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短編集 その二 妖精の写真
私の散歩コースは家を中心に東西南北、幾つかのルートがある。ヨーカドーで買い物するときは北回り、アップダウンの道を歩きたいときは西コースなど、その日によって方角を変えている。
この日はヨーカドーへ行くので家を出て左手に進んだ。コースの中ほどにある東中町第二公園内を歩くのが楽しみだ。
「妖精みたいですね」
東中町第二公園のベンチで、スマホの写真を見せたら堀池さんがそう言った。
「どこで撮ったのですか」
「横浜のみなとみらい地区にあるスポットです」
その写真は先日、友達と赤レンガ倉庫の近くにあるファッションビルに行ったときに撮ったものだった。白い壁にクジャクやペガサスなどの翼の絵が描かれていて、その前に立つと、背中から翼が生えているようなインスタ映えする写真が撮れる。一緒に行った友達はペガサスの翼で撮ったのだが、小柄な私の身体には重すぎて似合いそうになかった。そこでチョウの翅の絵の前で撮ってみた。
それを堀池さんに見せたら「妖精みたい」とほめてくれたのだ。
友達と出掛けたときにはプリクラでも写した。翅の生えた写真は何も加工していないけれど、その写真で「妖精」ならば、プリクラの写真は女優クラスだ。なにしろ最近のプリクラは、目はパッチリ、頬はほっそり、肌はツルツル、あまりに盛り過ぎて、別人のように可愛く撮れる。翅の生えた写真は小さくて顔は分からないが、プリクラの加工修正した写真ならバッチリだ。
堀池さんと公園で話すようになったのは新型コロナが流行して以後のことである。屋外でも常にマスクを着けているので、お互い、素顔を見たことはないし、見せたこともない。
「妖精は可愛らしい女の子の容姿で、翅があるというのが一般的なイメージですよね」
「ええ、そうです」
さっき見せた私の写真がまさにそれだ。
「これは、シシリー・パーカーという画家が描いた絵が元になっているんです。女の子の背中にチョウの翅が生えた絵をたくさん描いていて、画集も何冊も出ています」
「それ、見たことあります。チョウチョウは可愛らしいから、妖精にピッタリですね」
「小型のシジミチョウには、キマダラルリツバメ、シルビアシジミなど、名前だけでも妖精のような仲間がいます。都会では見られないけれど、ツマキチョウ、ウスバシロチョウも可愛いです」
聞くだけで美しい名前のチョウだ。
「シシリー・パーカーが昆虫に擬した妖精の絵を描いたのは1930年代です。実はそれまでは妖精は可愛い存在ではありませんでした。どちらかというと不気味な姿をしていて、日本の妖怪みたいな格好で描かれることが多かったんです」
「妖怪ですか」
「たとえば、ベッドに寝ている女性の周りに、怪しげな姿をした小さい生き物がたくさんいるというような絵もあります」
「そのシチュエーションは怖いですね、話を聞いただけで、なんだか、今夜寝られなくなりそうです」
枕元に得体の知れぬモノがいたら悲鳴を上げてしまうだろう。夜中に例の黒い虫が現れたら、昆虫好きの私でも大騒ぎだ。
「すみません、おどろかして。かつては、妖精はいたずらをする悪い存在だと思われていたんです」
「なるほど、何か不思議な現象は悪い妖精のせいにしたんでしょうね」
「ところで、妖精は本当にいると思いますか」
いますよ、ここにも・・・そう答えたくなったが、そこは自重して、
「悪さをしたり、妖怪みたいなのは困るけど、可愛い妖精ならいて欲しいわ」
と言った。
「イギリスのコティングリーという町で、二人の少女が妖精の写真を撮ったというのはご存知ですか」
「ええ、聞いたことがあります。でも、あれはイタズラだったんでしょう」
コティングリー事件といわれる妖精写真の一件は何かの本で読んだ覚えがある。
堀池さんが話してくれた。
1917年のことだが、二人の少女、エルシーとフランセスが自分たちの前に妖精が現れたところを写真に撮った。この写真については、当初から日の当たり方がおかしいなどと疑問視する声があった。ところが、シャーロック・ホームズで知られる作家のコナン・ドイルが、妖精の写真を本物だと認めたのだ。『赤毛連盟』『六つのナポレオン』など、探偵ホームズの推理が冴えわたる小説を書いていたので、ドイルが言うのならば本物ではないかと大きな話題になった。
「ところが、その後1984年になって、少女のうちの一人が、とはいっても、このときは八十歳を過ぎたおばあさんでしたが、実は写真に写っていた妖精は、絵本から写し取って描いたものだったと明かしたのです」
「そうそう、ニセモノだったんですよね。シャーロック・ホームズは、いえ、コナン・ドイルは騙されちゃったんですね」
「コナン・ドイルは作家として知られていますが、彼は心霊学者でもあったのです。晩年になって、作家は副業に過ぎず、心霊現象を研究するのが本業だったと告白しているくらいです。コナン・ドイルの父親は役所に勤めるかたわら、素人画家として妖精の絵を描いていました。本人には道端や草むらに妖精が見えたようなのです。コナン・ドイルの叔父もまた妖精画家でした。こちらは『パンチ誌』の挿絵画家になるほど優れた才能がありました。ドイルはそれらの影響を受けたのでしょう」
「それは初めて聞きました」
「心霊現象に興味のあったコナン・ドイルが、妖精の写真を本物だと思い込んだのも十分に頷けます」
もし、ニセモノだと知ったら、コナン・ドイルはさぞや残念だったことだろう。本物と信じて亡くなったのだから、むしろ良かったのかもしれない。
「フイルムカメラを使ったことはありますか」
堀池さんが訊いてきた。
「インスタントカメラ『写ルンです』なら使ったことあります」
「あれもフイルムカメラでしたね。しかもほぼ自動で撮れました。それに比べて、昔のカメラは一枚写真を撮ったら、フイルムを一枚分、巻き進めなければなりませんでした。もし、フイルムを巻かずにそのまま写真を撮ったら、どうなると思います?」
「フイルムには前に写したのが残っているんでしょう。そこに新たな写真を撮れば、先に撮ったのは削除されるか・・・」
スマホのカメラとは全然違うようなので、どうなるのかよく分からない。
「それとも削除されるんではなくて、二重撮りになるのかな」
「そうです、二重写しになってしまいます。これでは、失敗写真なのですが、この機能を利用すれば簡単に合成写真ができます。たとえば、接近して縫いぐるみを写し、次に、そのままで風景や家を撮影すると、家を襲う巨大な縫いぐるみ怪獣が出現するわけです」
「はああ、なるほど。もしかして、お子さんの頃そうして失敗したとか」
「私の子供の頃には、レバーを操作してフイルムを巻き進めないとシャッターが押せない仕組みになっていました。いわば防止装置です。二重に写せるのは骨董品級のカメラでした。それに、カメラもフイルムも今と違って高価でしたからね。一枚撮るのも真剣でした」
確かに、私はデジカメさえ持っておらず、もっぱらスマホで撮っている。
「イギリスのヴィクトリア朝、1850年頃ですが、写真が普及してきて一般人も肖像写真を撮るようになりました。ところが、あまりにも実物そっくりに写ってしまうため、ご婦人方は『私の顔はこんな変な顔ではない』と写真屋に苦情を言ったそうです。その点、現代では写真の修正も簡単だし・・・プリクラもそうらしいですね。いえ、あなたは妖精のように可愛いから、修正の必要ないか」
盛りまくったプリクラを見せなくて良かった。
「昔はリアルな妖精がいました」
「リアルな妖精?」
「女子のスポーツ選手で、アイススケートのジャネット・リンと体操のコマネチ。この二人は氷上できれいに滑ったり、床運動で華麗な演技を見せていました」
「何時頃の話?」
「ジャネット・リンは札幌オリンピックに出てました。銀盤の妖精と呼ばれてました。失敗して転んでしまったのも可愛かったですね。コマネチはモントリオールオリンピックだったと思います。登場するときの音楽が「妖精コマネチのテーマ」いう曲でした。どちらも1970年代です」
「随分前だわ。その頃から、フィギュアスケートで三回転とかトリプルアクセルとか決めてたんですか」
「それが、その当時、札幌オリンピックの頃は、フィギュアスケートでは今のような高速の回転技はなかったと思うんです。むしろ、エレガントに滑ることが重要視されていたようでしたね。現在では、テクニックが進んで、小学生ぐらいでも回転技をマスターしている時代ですから」
「フィギュアスケートは、スローで見たって何回転したのか分からないくらい早い。解説者の人がトリプルルッツとか叫んでも、はあ、みたいな感じで」
「女性のスポーツ選手がパワフルになったんですね。それで、今では妖精みたいという形容がつかなくなった。体操も同じですよ、女子の体操がアクロバティックになりすぎたので、新体操という種目を加えた」
そこで私は思い出した。
「新体操の日本チームをフェアリージャパンと言いませんでしたか」
「そうだ、アイドルにもフェアリーズというのがいたなあ」
意外にも堀池さんはアイドルオタクだったことが判明した。実際の年齢は分からないが六十歳くらいに見える。もしかしたら、乃木坂46とか見ているのだろうか。
ベンチを立って公園内を歩いた。
公園の隅の方に、ミミガタテンナンショウの実がなっていた。地面から筆の軸のような物が伸びて、その先に緑色の逆三角形の塊が付いている。
ミミガタテンナンショウの花はミズバショウのような形をしている。花と呼んではいるが、花びらのように見えるのは仏炎苞といわれるものだ。これは葉が変化したと言われている。ミミガタテンナンショウの仏炎苞は薄い茶色をしている。花が見られるのは三月の末の十日間ぐらいだ。
「今は緑色ですが夏になると真っ赤な実になります。ただし、毒性があるので気をつけてください」
「ミミガタテンナンショウの中は妖精の棲みかのようでしたね」
「あの形なら、妖精が棲んでいてもおかしくはない。ミミガタテンナンショウの仲間には、ウラシマソウ、マムシグサ、それから、カラスビシャク、ユキワリソウなどがあります」
堀池さんがスマホで撮った写真を見せてくれた。
カラスビシャクは緑色の花で、とても細く小さい。マムシグサも緑色だった。ウラシマソウは濃い紫色の仏炎苞で、その先から、紫色のツルのようなものが長く伸びている。数株が群生している様子はかなり不気味だ。
妖精の家というよりも妖怪が現れそうである。
「妖精という概念は西洋から入ってきたもので、日本では妖精に該当するものがない。強いて言えば、コロポックルや座敷わらしですかね」
「最近、小さいオジサンっていうのがネットで話題になってました。オジサンの妖精がいるらしいんですよ」
「オジサンですか・・・あまり逢いたくないないですね」
「私も逢いたくありません」
それでも、世間的にはオジサンの部類に入る堀池さんとは妙に気が合うから不思議だ。
「疫病を退散させるアマビエがいたでしょう。新型コロナを撃退するということで話題になりました。アマビエは妖怪の仲間ですが、人を助けてくれる頼もしい妖精だ」
「それそれ、私、アマビエのぬいぐるみを部屋に飾ってあるんですよ。ベッドサイドにね。そのおかげでこれまで新型コロナには感染してません」
飾ってあるとは言ったものの、アマビエのぬいぐるみは部屋の片隅に置いてある。このところ新型コロナはやや流行が収まり、緊急事態宣言における行動制限はなくなった。それにつれてアマビエも部屋の端っこにいるようになった。
とはいえ、コロナには感染したくないので、これを機会に、家に帰ったらアマビエの埃を払って大事に飾ることにしよう。
でも、アマビエって見た目はちょっと怖いんだよね。
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