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短編集 その三 各駅停車の虫
新幹線ができたから遊びに来て、と友人に誘われた。西九州新幹線のことである。つい先日、9月23日に佐賀県の武雄温泉駅と長崎県の長崎駅の区間で開通した。
その友人とは大学のときに九州方面に旅行に行ったことがあった。長崎にも一泊したのだが、夜景は素晴らしいし、ホテルもサービスが良くて、本当に楽しいひと時だった。彼女は感激して、いつかここで暮らしたいね、などと話していた。その後、本当に長崎に住む男性と結婚したのだ。今では子供が二人いる。
西九州新幹線はまだ部分開通だそうだ。東京方面から博多までは新幹線、そこから先は佐世保線、長崎本線を経由する接続特急を使って武雄温泉駅まで行くことになる。新幹線を乗り継いで行った場合、東京から長崎までの所要時間は八時間くらいになる。飛行機ならあっという間に着くが、八時間はかなり長い。せっかく友人が、新幹線ができたと言ってくれたけれど、飛行機の方が楽そうだ。事実、新型コロナが流行する以前は飛行機を使って行ったことがあった。格安航空券で5000円ぐらいだったと思う。
さて、いつものように散歩しながらコース途中にある東中町第二公園に行った。
サクラの木の幹をじっと見つめている男の人がいた。それも幹に額が付くくらいの至近距離だ。通りかかった人がチラリと視線を送って過ぎていく。いかにも不審者、怪しげな人に見えるので、係わり合いになりたくないといった感じだ。
しかし、私は近寄っていき、声を掛けた。
「堀池さん」
「おや、どうも」
顔見知りの堀池さんである。散歩の途中、公園で何度も会ううちに親しくなった。この前、会ってから二週間くらい経つ。その間に、かなり日に焼けているようだ。
「お久しぶりですね。焼けました?」
「ええ、京都まで歩いて行こうと思いまして、今回は浜松まで歩いていたんです。それで日に焼けました」
「横浜から浜松まで歩くとは健脚ですね」
「そうでもないんですよ、三歩進んで三歩戻る作戦を使ってます」
堀池さんが言う作戦とはこうだった。戸塚を起点にしたとすると、一日目は茅ヶ崎まで歩く、そこで一泊して二日目は小田原へ行く。そこでいったん終わりにして電車で自宅へ戻る。次の機会には小田原までは電車に乗り、そこから歩き始める。
「六十を過ぎると、歩くのはせいぜい一日で30キロまでですね。しかも、遠くへ行けば行くほど帰りも時間を要する。新幹線で帰ってこないといけないし、宿泊代もあるし、費用も嵩みます」
なるほど、それが堀池さんが言うところの三歩進み三歩戻るという作戦だった。次回はこの秋を予定しているそうだ。
「ところで、サクラの木を見ていたんですか」
「木の皮に・・・ここを見てください」
堀池さんがサクラの木の表面を指差した。木の皮はこげ茶色でところどころ黒や灰色が混じった色をしている。木の皮に虫が止まっていた。大きさは3センチくらい、六角形で、身体の表面は茶色で黄色の模様もある。
「キマダラカメムシです」
「キマダラカメムシ・・・初めて見ました」
カメムシというと緑色をしていて、特有の匂いを放つのを思い出す。あまり部屋の中には侵入して欲しくない虫だ。
「カメムシの仲間では一番大きいタイプです」
堀池さんは木の幹の裏側へ回り込んだ。そこにもいるらしい。私が覗くと、ギターの胴のような、あるいは果物のビワのような虫がいた。こちらは2センチほどの大きさだ。なんだか可愛らしい。
「これはキマダラカメムシの幼虫です」
「へえー」と、思わず変な声を出してしまった。これで私も周囲から見れば不審者の仲間入りだ。
果物のビワに手足が付いた虫、キマダラカメムシの幼虫には、背中に鮮やかなオレンジ色の斑点が幾つかあり、お尻に近い辺りには四角い模様がある。それがお面のようにも見えた。幼虫とはいうのだが、知らなければまったく別の種類に思える。
「脱皮すると先ほど見た成虫になります」
「似てると言えば似てますが、何だか笑っちゃう姿ですね」
「ふ化したばかりのときは、もっと可愛らしい。オレンジ色と黒の縞模様です」
そこで私は五月の末に見たアカスジキンカメムシを思い出した。アジサイの葉に黒と白のパンダみたいな虫がいた。テントウムシノに似た姿で、大きさはずっと大きかった。堀池さんが、これをじっくり観察してくださいと言うので、連日通い詰めた。すると、一週間ほど経ったときに、その黒と白のパンダのような虫のいたところに、見るからに綺麗な、赤と緑と金色の虫がいた。それがアカスジキンカメムシの成虫で、パンダ模様の虫は幼虫だったのだ。こんな綺麗になるとは幼虫のときの姿からは想像もできなかった。
アカスジキンカメムシの幼虫が劇的変化したのと比べると、キマダラカメムシの幼虫はそこまではいかない、天プラそばとタヌキそばぐらいの違いだろう。
これをきっかけに私は「ポケット版・昆虫図鑑」を買った。毎日のように開いて見ているのだがキマダラカメムシという虫は載っていなかった気がする。
「キマダラカメムシは謎の多い昆虫で、発見されたのは江戸時代の末期1783年、場所は長崎でした」
長崎という地名が出てきたので身を乗り出した。
「ところが、その後は見つかることがなく、1934年になって再発見されました。つまり150年くらい行方不明になっていたわけです」
「江戸時代から明治、大正ときて、昭和まで見つからなかったんですか」
それもびっくりだが、そんな昔に昆虫の研究者がいたことに感心した。それにしても、江戸、明治、そして昭和は、私とは無縁のすごい昔の話である。再度発見された1934年は両親が結婚する前の話だ。いや、両親が生まれる前だ。
「そのときは、再発見のときですが、場所は前回と同じ長崎で、研究者は長崎特有の虫だと思っていたようです」
「それがこうして関東地方の横浜に進出して来たんですね・・・でも、子供の頃はあまり見たことがなかったと思うんです。私の持っている図鑑に出ていたかな」
「いい指摘です。キマダラカメムシが、関東地方で見られるようになったのは、2008年頃なんです。横浜では2011年頃といわれています」
キマダラカメムシが横浜で見つかったのは、つい最近、2011年のことだった。道理で図鑑には載っていないわけだ。
2011年と言えば東日本大震災の起きた年だ。その年に高校を卒業して大学に入ったからよく覚えている。あの日は、横浜スタジアムでベイスターズとファイターズのオープン戦があって、早稲田実業から入団した斉藤投手が登板すると聞き、スタジアム周辺や、横浜の元町や桜木町を友人たちとブラブラしていた。そこで地震が起きて、ビルの壁は落ちるし、電車は動かないし大変だった。
「最初に長崎で発見されたのが1783年、横浜で見つかったのが2011年となると、およそ220年も掛かってやって来たということになりますね」
「長崎の西と北には海があるので、キマダラカメムシが生息域を広げるのは南か、東へ行くしかなかったわけです。とはいえ、長崎に留まる方法もあったので、どうして関東に来たのかは分かっていません」
「これも温暖化のせいでしょうか」
「温暖化によるものだろうと考えられますね」
そこで堀池さんはサクラの木の幹を丹念に見ていたが、
「まだ時期的に早かったかな・・・冬になるとサクラの木に、ヨコヅナサシガメが越冬しているのが見られます」
と言った。
「ヨコヅナサシガメ」
また新たな虫が登場した。
「これもカメムシの仲間で、刺す、カメムシといったところです」
「人を刺すんですか、注意しないといけませんね」
「特に子供が刺されると危険です。医者に行かなければならないでしょう」
「それは大変」
「越冬するときは、サクラの幹の窪んだところで固まっています。成虫でも越冬するはずです。元々は九州や沖縄に生息していたんですが、ヨコヅナサシガメも温暖化の影響で関東まで分布を広げました」
「家に帰ったらさっそく図鑑で調べます」
「ヨコヅナサシガメは黒い胴体で、翅の周辺には赤と白の模様があるので、一目で要注意だと分ります」
どうやらヨコヅナサシガメは奇怪な姿をしているようだ。
「そうだ、長崎といえば、ナガサキアゲハも関東地方で見られるようになりましたね」
「ナガサキアゲハ・・・メスが白っぽい感じのアゲハチョウですね」
これは図鑑で見た覚えがあった。アゲハチョウの仲間は図鑑の最初のページに掲載されているので目につきやすい。
「後ろ翅に尻尾がないのが特徴です。もっとも、オスは黒いので、クロアゲハの無尾タイプと見分けるのは難しい。ナガサキアゲハは以前から関西地方では定着していましたが、関東地方では30年前くらい前には普通に見られるようになりました。私はこれまで市内で三回ほど目撃しました」
「いいなあ、私はお目に掛かったことがありません。今のところは図鑑で楽しんでます」
「実物はきれいですよ。思わず、おおーっと言いたくなります」
ナガサキアゲハはその名の通り、九州、すなわち暖かい場所に多く棲んでいるのだろう。それが温暖化によって関東にも飛来したわけだ。それほどきれいなのならば、早く実物に逢いたくなった。おおーっと叫んでみたいものだ。町中で叫んだら、ますます「不審者」扱いされるだろうけれど。
そこで私はある疑問を抱いた。
「キマダラカメムシはどうやって関東まで来たのですか。220年は掛かり過ぎですよ。ナガサキアゲハは翅があって飛びますからどんどん移動できるでしょうけど、カメムシはあまり遠くへは飛べそうに思えません。歩いてきたんですかね」
「そこが大きな謎です。長崎から東へ進んだとしても、九州から本州へは海を渡らなくてはならない。広島、大阪と進むと、行く手には川が待ち構えています。私が先日歩いた浜松周辺だけでも、木曽川、大井川などがあります。虫にとって川を越えるのは一大事です。オスメスの番いで行動するか、または交尾を終えたメスが渡らなくてはなりませんからね」
「それにしても、長崎から横浜まで、220年も掛かるなんて・・・」
東京に出てきて、何かいいことがあったのだろうか。自然環境ならば、断然長崎の方が優れているはずだ。
「川に架かっている橋を歩くという方法もないことはないのですが、おそらくは、伐採した木の枝にタマゴが付いていたり、成虫が隠れていたりしたんでしょう。それがトラックで運ばれて川を越え、長崎から大阪、愛知と進出したと考えるのが自然です」
ある程度は人為的な要因も作用したのであろう。
「堀池さんは東海道を歩きながら、三歩進んで三歩下がるということでしたが、キマダラカメムシは三歩進むのに十年くらいかかっていたんですね」
長崎を出発して広島、大阪へ進んだ。中部地方の愛知に到着したキマダラカメムシは、あるものはそこに留まり、あるものはさらに東へと向かった。その間、220年にも亘って、キマダラカメムシは世代交代を繰り返しながら延々と東進し続けていたのだ。
「そうやって、各駅停車の電車みたいに長い年月を要して220年掛かったと考えるとロマンがありますね。私も東海道を歩いて、次は浜松から琵琶湖くらいまで行けたらいいなと思ってます。時間は掛かるけど、その土地をゆっくり見物できます。急ぐこともないし、この歳ですからね」
それを聞いて、長崎まで行くときは時間が掛ってもいいから、新幹線を利用しようと思った。東海道線の各駅停車に乗るのはやめておく。
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