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「これをしないと、いつの間にか靴が重くなっててよ」
シンの言葉に俺はうなずいた。
石落としが終わると、シンはつなぎの上半分を脱いで腰で縛った。下は目に痛いほど真っ白なTシャツだ。シンは薬も溶剤もやらない。そして俺よりずっと鍛えられたいい身体をしている。
二本目の煙草を吸い終えると、シンは立ちあがりながら、今日は残業が入ったから帰るのが遅くなる、と言った。
「ああ、わかったよ」
俺は答えた。奴はわざわざそれを伝えにきたのだ。携帯電話ではなく。
俺たちは小さなアパートの一室に一緒に住んでいた。といっても、金のないシンのほうが数か月前俺のアパートに勝手に転がりこんできたのだが。シンは居心地がいいのか、そのまま住みついてしまった。俺も別にこいつなら嫌じゃない。
「じゃあ、俺戻るわ」
かたわらに置いてあった俺専用の空き缶灰皿に自分の吸い殻をねじこむと、シンは俺に笑いかけた。こんな瞬間――今夜もひとりあのアパートの小部屋でこいつの帰りを待つのかと思うと、馬鹿みたいだが俺はシンの女になったような気分になる。
俺は会社の門を出ていく奴の後ろ姿をぼんやり見送った。
シンの姿が消えると、入れ違いにその後ろから見慣れない一団がぞろぞろと会社の敷地に入ってきた。
その姿に一気に気分を害され、俺はチッと舌打ちした。
男ふたりに女ふたり、リュックを背負い、手にガイドブックを持っている。近くの観光都市が『ツアー』の中継点として使われているため、よく紛れこんでくるよそ者連中だ。俺は無視した。
奴らは俺のそばによってくると、そわそわとこちらを盗み見た。都市への行き方がわからないのだろう。そんなのは爺さん連中に聞けばいいんだ。年寄りはよそ者にも親切だから。
「さーあ。仕事に戻るとするか」
聞こえよがしにそう言うと、俺は立ちあがって工場に入った。奴らはつけてこなかった。
俺はよそ者が大嫌いだ。あいつらは皆、無遠慮で無神経で図々しい。道に迷うと、工場の敷地だろうが何だろうが無視して入りこんでくる。
少ない日光浴タイムをよそ者たちにフイにされ、その日は一日中気分が悪かった。五時のサイレンが鳴り、ようやくラインから解放されると、俺は更衣室のシャワーに直行し、ウレタンの粉を髪や耳の中から洗い流し、着がえて街に出た。
◇◇◇
俺が住む街は工業団地の隣にあって、駅と短い商店街、通りの裏の歓楽街、それだけしかなくて、十分も歩けば全部回れてしまう小さな場所だ。しかし絶え間ない利用者のおかげで、いつもどこかが新しく作り直され、小ぎれいさがきちんと保たれている。俺はこの長年住み慣れた小さな街が好きだ。騒々しすぎず淋しすぎず、適度に落ち着いた空気感。不甲斐ない隣人を受け入れる許容力と無関心。
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