第一章 執念が伝わってくる遺体

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 頸動脈の切り傷は、首の前と後ろが深い。一度切りつけた後、力を入れて凶器を引き上げたのだろうか。血痕は肩のあたりまであり、地面をどす黒く染めていた。  心臓については、凶器で後ろから一突き。傷口の広さから見て、かなり深く刺したのだろう。それ以外にも、腹部や胸部に切り傷が多数あった。  拘束した形跡がないので、被害者は抵抗できない状態だったと考えるのが妥当だ。 「急所を二か所……」 「……執着していたのか」  呟いた獅乃だったが、その理由までは分からない。  なぜそうしたのか、という疑問が脳裏をよぎった。  足に視線を向けると、右太腿をざっくりと切られた痕があった。  被害者が生きていた場合、すぐに助けを求められないようにしたのか。それとも、ただ感情任せに刺しただけなのかは、怪しいところだ。  遺体に刻まれた数多くの傷は、どれも深く、加害者の殺意と、異常なまでの執着が感じられる。  気の済むまで観察した自らの結論に、獅乃は背筋が寒くなった。その顔からは、血の気が失せていた。  それを後ろで見ていた滝坂は、まったく動かない獅乃を不思議に思った。横顔が見えるくらいまで近づいたが、本人は身動きひとつしない。 「……獅乃?」  頬を冷や汗が伝った。  中腰になって声をかけたが、反応がない。  滝坂はその場に屈むと、肩をつかんで揺さぶった。 「っ!」  びくりと肩が震えたのが分かり、慌てて滝坂は手を離した。 「……いつからそこに?」  普段とは違う、掠れた声だった。 「そんなことより、なにを考えていたのよ」 「今回の事件についてだ。それ以外に考えることはない」  その言葉を聞いた滝坂は、拒絶しているようにも思った。声をかけようとしたが、立ち上がって現場を出ていってしまった。 「もう……なんなのよ」  溜息混じりに呟いた滝坂は、現場を眺めて、その場を後にした。  翌日、滝坂は捜査一課にきていた。腕時計を見ると、午前七時三十分だった。  徹夜明けなのだろう、デスクに突っ伏している男性捜査官がいるだけだった。  ――そうなっても仕方ないわ。  その背中を眺めて、息を吐き出すと、自分のデスクに向かった。  抽斗(ひきだし)からなんの変哲もない、掌サイズのメモ帳を取り出し、一枚破り取った。
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