川魚

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 どうもお粗末様でした。如何でした、うちのイワナ、お気にいられました?それは良かったです。有難うございます。こんな山の中の小さな宿なもんで、川魚くらいしか、売りになるものが無くてねえ、へへ。はい、ここの渓流も二か月ほど前から解禁になってましてね。凄く大きなヤマメやイワナが釣れることで有名なんです。他県から来られる方もいらっしゃいますよ。お客さんは、釣りはなさりますか?良ければ道具もお貸ししますので、お申し付けくださいね。  そうそう、川魚と言えばね。こんな話があったんですよ。  実は今から一月ほど前のことですが、ここの上流でちょっとした土砂崩れがあったんです。ええ、比較的限定された場所で起きたもので、幸い民家や人命に関する被害は無かったんですけどね。そのせいか、マスコミの扱いも小さく、あまり大きく報道されなかったからご存知ないかもしれませんがね。ご存じないでしょう?まあ、そうでしょうね。  ところが、この界隈では結構大きな問題になったんです。というのは、その土砂崩れが起きた場所というのが、山の中腹にある墓地の傍だったんです。もうかなり昔からある古い墓地だったんですが、そこの地面の一部が大きく抉られるようにすぐ傍を流れるE川に向かって流出しましてね。最終的に三基ほどの墓石がご遺骨と一緒に川に沈んでしまいました。  ただ、比較的川底が浅いところだったんで、沈んだ墓石も川岸から確認することが出来ましてね。地場の建設業者さんを引っ張ってきて、何とか墓石は回収することが出来たんです。中の骨壺も大半は回収出来たんですが、やはり、全てを見つけることは出来なかったんですよね。墓石と違って、骨壺やご遺骨は小さくて軽いわけですから、土砂が流出した時にそのまま一緒くたに下流に流されてしまった分もあったわけです。残念ながら何体かのご遺骨は、ご遺族も諦めざるを得なかったようですね。  そして、流されてしまったのは、それだけじゃなかったんです。先ほど申し上げましたが、ここの墓地は相当古いものでしてね。敷地の一部が、昔から無縁仏を埋葬するために使われていたんです。もう、それこそ何百年の前からの話ですが、ずっと昔から今に至るまで、何体もの無縁仏が埋葬されてきたのですが、そこのエリアも完全に流されてしまいました。もともと墓石も何もない状態でしたから、それこそ見つけようがありませんし、そもそもそこに何体の人骨が埋葬されていたのか、正確な記録も残っておらず、結局これらの無縁さんたちも、土地ごと川に流されてしまったんですよね。まあ、お気の毒な話ですが、どうしようも無かったんです。    ところが、そんなこんなしているうちに、土砂崩れから一週間ほど経った頃でしょうか、一人の男性のお客様がお泊りになったんです。その方、四十絡みのごくありふれた感じの中年男性だったんですが、今回の土砂崩れについて、ちょっと調べたいことがあると言って、事故当時の状況とか被害の程度とか、ここの関係者に色々話を聴いてまわっていました。  そして明日お帰りになるという晩に、丁度こんな風に夕餉を召し上がりながら、私に事故当時のお話しを聞いてこられましてね。こちらもお給仕をしながら、知っていることを色々とお話ししていたんです。丁度その時も、大きなイワナをお出ししてあって、お客様も美味しそうに箸を使っておられたんです。ところが、ふと「じゃりっ」という音がしたかと思うと、顔を顰めながら、何やら口をもぞもぞさせておられます。  お食事に何か混入してしまっていたのか?慌てて「何か、混じってましたか?申し訳ございません」と私が謝ると、果たして、ご自分の手のひらに何かを吐き出されました。見ると、何やら直径1センチほどの輪っかの形をした黒いものが乗っています。どうも、イワナの腸の辺りに紛れ込んでいたらしいのです。腸の独特の味わいを好むお客様も結構いらっしゃるので、うちでは敢えてそのままお出ししているのですが、それが仇になってしまったようです。 「大変失礼しました!お口の方は大丈夫ですか?」 「いえ、大丈夫です」  流石に不愉快そうな顔をしながらも、特に苦情じみたことを言われなかったのは、不幸中の幸いでした。ただ、少し不思議に思ったのは、そのお客様、掌の上の異物を、妙にじっくりと観察されているように見受けられました。険しい目つきで、まるで固まってしまったように、じっと見つめておられました。単に食事に紛れ込んだ異物にしては、妙に長々と掌に載せたまま、眺めておられました。  そして、私が改めて「本当に申し訳ございません」と謝罪すると、我に返ったように「ああ、大丈夫です」と言うと、何事も無かったように、その異物を皿の上に置きました。  そして、その晩はそれ以上のことは何もなく、お膳を片付けた後、お布団を敷いて、お客様はお休みになられました。  ところが、その翌朝のことです。  何やら外が騒がしいと思ったら、消防団の人が慌ただしく行き来している様子です。何事かと思っているうちに、すぐに情報が伝わってきました。近所を流れるE川の川下の方で、水死体が上がったというのです。  丁度うちの近くが詰所になっていたため、水死体はそこに搬入されていましたが、野次馬根性で駆け付けた私は、思わず声を上げてしまいました。   そこに横たわっていたのは、昨日私がお話しをした、例の泊り客だったんです。  警察の調べたところでは、どうも昨日の真夜中、川べりを歩いているうちに、足を滑らせて川に転落し、そのまま流されてしまったのではないか、ということでした。つまりは事故ということで処理されたわけですが、実は少々妙な点があったんです。その方の私物はお部屋に残っていたので、一通り調べられたんですが、その人の身元証明書類、具体的には運転免許証だったんですが、そこに載っていた氏名住所と、宿帳に書かれた氏名住所は、異なっていたんです。要は、その人は予約の時もチェックインの時も、自分の氏名も住所も偽っていたんです。それが、たまたま事故死という不測の事態が発生したため、免許証を見られる結果となり、宿帳への虚偽記載がばれてしまったというわけです。  それにしても、何故そんなことをする必要があったのか、誰にもわかりませんでした。  一方で、あの泊り客が掌に吐き出したリング状の異物ですが、何となく気になった私はそれを取っておきました。そして改めて自室で落ち着いて見ているうちに、突然ある事を思い出したのです。  それは、三年ほど前のことですが、この村はずれにある崖の下で、ひとりの女性の遺体が発見されたんです。年の頃は、三十くらいでしょうか、ごくありふれた身なりをしていたんですが、この村の人間ではなかったんです。警察によると、死体発見時の状況からして、死因は崖の上からの転落死とのことのようで、自殺なのか事故なのかも、よくわからなかったんですが、困ったことに、身元を証明するものが全然見当たらなかったんですね。結局身元不明の人間がこの村をふらりと訪れて、誤って崖から足を滑らせて転落したんだろう、そんな話で処理されることになりました。 行旅死亡人として処理されて、遺体もこの村で荼毘に付されて、無縁仏として埋葬されました。  ところが、その女性、身元を証明するものは無かったと言いましたが、正確に言いますとね。右手の薬指に少しばかり特徴的な指輪をしていたんです。遺体発見時の騒動には私も立ち会ったのでよく見覚えがあるんですが、二匹の蛇が絡み合ったようなデザインでね。勿論、そういうデザインの指輪も量産品として売られていますし、結局は、身元特定につながるほどのものではなかったんですけど、まあ、私の印象には残りました。その指輪も、指にかなり深く食い込んでしまって、どうしても抜けなかったんで、もう面倒だから、そのままの状態で遺体は火葬場に回されましてね、お骨上げの時に遺骨と一緒に骨壺に埋葬されました。勿論黒焦げになってましたけどね。ええ、実は私も他の住民と一緒にお骨上げに参加したんで、よく覚えてます。  そして、あのイワナの腹に入っていた例の異物は、その指環にそっくりだったんです。  例の土砂崩れの時に無縁墓地から流れ出た、あの女性の骨壺から指環が川に流出し、貪欲なイワナの腹に収まり、それがあの泊り客の口へと運ばれた……そういうことだったんじゃないかと思いました。  それにしても、あの泊り客は、何故自分の身分を偽って、この界隈で起きた土砂崩れの状況を調べていたんでしょう。  土砂崩れが発生し、無縁さんのご遺骨も流出されたという噂を聞いて、万が一何か殺人や死体遺棄の可能性のある証拠とか出てきて、騒ぎになっていたりしないか……それが物凄く気になる人物にとっては、居ても立っても居られない気分になったかもしれませんね。そして身に覚えがある人物は、自分の身分を隠そうとするものですよね。  あの泊り客は、ひょっとしたら、あの指環を嵌めていた女性の死に関わっていたんじゃないだろうか。女性は崖からの転落死とされたわけですが、ひょっとしたら、誰かに突き落とされて転落したのだとしたら……  自分の食べていた川魚の腹から、口の中に入って来た異物が、見覚えのある指環だと気づいた時の彼の驚愕は、容易に想像がつきます。そして、彼はそのまま、"何者か"に呼ばれるように、川べりまで連れ出され、やがてはそのまま川に引きづり込まれてしまったんじゃないだろうか。あの女性の時と同様、事故死扱いされるような死に方で……  そんな想像を巡らせてしまったんですが……考えすぎでしょうかね、へへ。 [了]
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