プラスチック狂走花

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 タケダ・セツは人気(ひとけ)の少ないバイパスをバイクでかっ飛ばしていた。スズカゼ製の魔導セル式バイク、ツルギ。中古で買った二世代前のバイクだが走りは悪くない。加減速も滑らかだし、コーナーでもタイヤが地面に吸い付くような安定感がある。  搭乗者の魔力で走る魔導エンジン式バイクは、その危険性から公道での走行を禁止されているため、仕方なく魔導セルでバイクを走らせている。セルに内蔵された魔力は人が出せる力を遥かに凌駕している。少しアクセルを捻ればあっという間に魔導エンジンを超えたスピードが出せるが、それでもやはり物足りない。自分の力で走っている、という感覚がないのだ。  しばらく走ったのち、大きな河川沿いの堤防にバイクを停めた。何かあってもなくても、ここに来て景色を眺めることが癖になっていた。河の向こうにあるのは知らない街。建ち並ぶ一軒家や団地、建設中のビルたちが夕日を受けてオレンジ色に染まっている。セツは土手に腰掛け、目を細めながら沈みゆく夕日を眺めた。  夕日を浴びているときが一番魔力を発揮できる――そんな話を小学生のころだったか、聞いたことがある。セツはポケットから小さな円盤型のおもちゃを取り出した。魔力を流すと回転する、それだけの単純なおもちゃである。小さな子どもが遊ぶようなものだが、モニターに回転数が表示され、ちょっとした計測器の代わりにもなるので持ち歩いていた。  セツは夕日の熱を肌に感じながら、意識を手のおもちゃに集中させた。おもちゃはゆっくりと回り始め、さらにセツが全力で魔力を流し込むと甲高い音を鳴らしながら高速回転を始めた。回転をイメージしながらさらに魔力を高める。バイクを走らせるよりもずっと小さな魔力で回せるので、いつまでも回し続けることはできる。しかし瞬間的な回転数は別だ。肉体的な力を入れるときのように息を止めてしまいそうになるが、そうしてはいけない。あくまでも身体の力は抜いて、呼吸も自然に――。回転が限界に達したと思ったところで力を抜いた。今度は逆に回転を緩めるために魔力を流す。  小学生のころは、このおもちゃをぶつけ合う円盤相撲で負けたことはなかった。友達の誰よりも力強く回すことができた。そして、そのころよりも今の方が格段に魔力は増している。しかしゆっくりと止まった円盤に表示された数字は去年から増えていなかった。 「誰だよ、夕方は魔力が強くなるなんて言ったやつは」  セツは舌打ちをして、おもちゃをポケットに突っ込んだ。そもそもこんなもので正確な魔力が測定できるはずもないのだが、それでも自分の程度を教えられている気分になる。  魔力はだいたい十八歳までにその成長が止まり、それ以降は三十代を越えて下降するまでほとんど変わらないと言われている。中学生からバイクレースをはじめ、一着を獲ったことがないまま十八歳を迎えようとしているセツは、そのことに目を背けたい気持ちだった。いつも三着や四着止まりで、これ以上の成長も見込めないと言われているようなものである。魔力を高めると言われるトレーニングは片っ端から実践し、テレビで魔力が強まると紹介された食材があれば、バイト代をはたいて買い漁ったが、それでも結果は伸びなかった。  実際、当たり前のように使っているこの力は解明されていないところが多く、トレーニングで多少伸びるものの、ほとんどが生まれ持った力によると言われている。要は才能なのだ。そしてセツはずば抜けた才能を持っているわけではなかった。  将来はプロレーサーになるんだと親にも担任にも言い続けてきたが、そう説得できるほどの実力はない。そのうえ勉強もサボり倒してきたので、進学して大学のレースチームに入ることも難しい。卒業後の進路は考えるだけで憂鬱になる。 「ふう……」  セツは小さく息を吐いた。紫に染まり始めた空を眺めながら、ふと気がつけば次に走るレースのことをまた考えていた。  兎にも角にも、いまはまず来週のレースだ。いまさら勉強ができないことを悔やんでも仕方がない。レースで結果を残してプロになる、今はひたすらその道を探るしかない。レースに全力を尽くすこと以外に考えを持てない、セツはそういう性分の人間だった。  自宅に着くころには、空に夕日のオレンジは欠片も残っていなかった。  E棟まである小さな団地群のなかの小さな一室、そこにセツは家族四人で暮らしていた。とびきり貧乏でも裕福でもない、普通の家庭である。  バイクを共同の自転車置き場に停めて、薄暗い階段をのぼった。剥き出しのコンクリートはあちこちにヒビが入っている。 「ただいま」  セツは乱雑に靴を脱ぎ捨てた。鉄製のドアは閉まるときに、「ガン!」と大げさな音が鳴る。母の「ドアを静かに閉めなさい」「靴を綺麗に揃えなさい」の小言のあとに、「いつもバイクに乗って、勉強はちゃんとしてるの?」と続く。いつものことだった。そっちこそいつも家にいるんだから、勉強していないことくらい知っているだろう。 「来週のレースが終わったらするよ」  この言葉も、意味を持たなくなるほど繰り返してきた。  セツの目には父も母も、団地に住む大人たちみんなが、情熱を失った抜け殻に映っていた。しかし大人からすれば、自分こそが将来を考えていない空っぽな若者に映っているのだろう。〝大人たちを見返してやりたい〟いつからかそんな思いも乗せて走るようになっていた。  夕食の準備をする母を尻目に、セツは自分(と弟)の部屋に入った。小学三年生の弟、エイは勉強机に向かってちゃんと宿題をしている。その反対側の壁には自分の勉強机もあるのだが、その上はファッション誌やバイク専門誌、その他雑多なもので溢れかえっていた。勉強机として使われていたのも今は昔、今では〝とりあえず物を置いておく場所〟になっている。弟には「ちゃんと勉強してえらいえらい」と声を掛けながら、セツはふたつの机の間にある小窓を開けた。  窓の下には受け皿のような出っ張りがあり、そこに小さな紙飛行機がふたつ入っていた。ひとつは白いシンプルな紙飛行機。もうひとつは薄ピンクの紙に小さなキャラクターのシールが貼ってある。 「エイ、手紙来てるよ」 「あっ! 読まないでよ!」  エイは鉛筆を放り投げ、素早くセツの手元からピンクの紙飛行機をひったくった。 「読まねえよ。それにしても小三で女の子と手紙のやりとりなんて、最近の子はマセてるねえ」  セツの言葉はもう弟には届いていなかった。エイは小さな背中を丸めて、食い入るように手紙を読んでいる。セツが背中越しにその中身を覗こうとしたら、振り向いた弟に叩かれた。 「イタタ……おお怖い怖い」  おどけてみせたが、エイは笑わなかった。セツは肩をすくめて仕方なく自分宛の手紙を開くと、やはりハヤマからだった。  ハヤマはセツと同じ団地に住んでいる同級生である。バイクの技術士を目指していて、いつもセツのバイクをレース用に整備してくれている、いわばレースにおけるパートナーでもある。 〈すげえ情報がある! 来てくれ!〉  その〝すげえ情報〟が何なのかを書かないところが彼らしい。 (さすがに今出ていくと、また怒られるな。それに向こうも晩飯どきだろうし)  セツは手紙の裏に〈飯食ったら行く〉とだけ書き、ついていた折り目を逆に、紙飛行機の形に折りなおした。そして紙飛行機に魔力を込めて窓から飛ばした。セツの手を離れた紙飛行機はUターンをするように大きな弧を描きながら上昇して、すっかり暗くなった群青の空へと消えていった。 「あら、セッちゃんいらっしゃい」 「お邪魔します、おばさん」  夕食後、セツはハヤマを訪ねた。ハヤマ家とは小学生のころからの付き合いで、家族同士も仲がいい。セツのことを〝セッちゃん〟なんて呼ぶのもおばさんくらいだ。セツは脱いだ靴を丁寧に揃えて家に上がった。 「またレースがあるんでしょ? ケンなんかがバイクを整備して大丈夫なの? いつもセッちゃんが怪我でもしないか、それだけが心配でねえ。セッちゃんも女の子なんだし……」 「大丈夫ですよ、ケン君が整備してくれるおかげでいつもいい走りができてますから」  いいとこ三着のくせに何を言ってるんだとセツは内心、自嘲しながら言った。しかし彼の整備のおかげで走れているのは事実だ。足りないのは自分の実力である。 「母さん、ジュースとお菓子お願い!」 「母さん忙しいんだから、それくらい自分で持っていきなさい!」 「おれは今からタケダと大事な話があるんだよ」  ハヤマ親子のやりとりは、自分と母のケンカと似ているようで違う。言葉に棘がない。なんだかんだ言ってもハヤマ息子は技術者として優秀だからだ。 「あの、すぐ帰るんでお構いなく……」 「いいのいいのセッちゃん。ケンに持っていかせるから、先に部屋で待っててちょうだい」  おばさんに言われるがまま、セツはケンの部屋に入った。難しそうな本やバイクの模型のなかに、走らなくなったバイクから取った、まだ使えるパーツがガラクタのように段ボール箱に詰め込まれて置いてある。  セツはバイクの機構を詳しく理解せずに走っている。理解せずとも走れるのだからいいだろうとは思っているが、それでもこの部屋をみると自分も勉強しておかなければという気にもなる。実際何度も勉強はしてみたのだが、さっぱり理解できず、魔力で走るバイクは、その魔力を効率よく使って走っているのだということしか分からなかった。液体燃料式のエンジンの方が、燃料の爆発を回転に変えているだけなので、理解できたほどだ。 「おまたせ。オレンジでいいよな」  部屋の(あるじ)が缶のオレンジジュースとポテトチップの袋を提げて戻ってきた。 「ありがと、それで話ってのは?」 「まあ慌てるなって」  ハヤマは座布団をセツに放り投げ、ポテトチップの袋を開いて一枚摘まんだ。セツもあぐらをかいて、ポテトチップを二、三枚まとめて口の中で割った。 「オガタ・シュウ。さすがにお前でも知ってるだろ?」  悲劇の天才レーサー、オガタ・シュウ。その名前が出たときセツは少し緊張した。 「当然。レースやってて知らねえやつはいねえだろ。で、それが?」 「その息子が来週、お前と同じレースに出る」 「は?」  あまりのニュースにセツは目を丸くした。 「息子なんていたのか? しかも何で急にレースに……今までそんな話一ミリもなかっただろ」 「オガタ・リョウ。おれたちの二つ下、高一だってよ。中学の大会にも出てねえから、来週が本当に初めてのレースらしい」  ハヤマはレースのエントリー表と、付箋(ふせん)のついた雑誌をセツに放り投げた。 「いくら天才の息子とはいえ、息子は息子だ。バイクレースは政治や会社と違って、親の七光りなんて役に立たねえ実力の世界。だけどよ、やっぱ話題性はあるからな」  ハヤマの言葉はセツの耳を通り抜けていた。セツは付箋のついたページを食い入るように見ている。  悲劇の天才レーサーが遺した息子が高校生大会のレースでデビューするということで、一ページほどの特集が組まれている。  父親の栄光のヒストリー、その息子がなぜ今になってバイクレースに姿を現したのか、デビュー戦に勝機はあるのか――本人へのインタビュー記事ではなかったので、正体不明の関係者筋の情報や憶測ばかりでほとんど中身はなかった。  問題のレースについてだが、レースコースはサーキット。市街レースよりも遥かに走りやすいとはいえ、初めてのレースで勝てるほど甘いものではない。特にこのレースには未勝利の高校生であれば、学年問わずエントリーできる。つまりセツのようないくつものレースを走ってきた者も出走するのだ。  しかし記事の中では、未勝利戦であれば周囲の経験値を超えて勝利し、天才の再来が見られる可能性は高いと書かれていた。 「勝手なこと言いやがる」  セツは悪態をついた。しかし複雑な心境だった。オガタといえば全レーサーの憧れと言っても過言ではないほどの人物だ。彼に憧れ、走っているレーサーは多い。セツもそのひとりである。その息子がバイクに乗るとなれば期待せざるを得ない。一方で持ち前の反骨精神が、天才の子も天才なんてことになるのは面白くないと思っている。 「まあ実力に関しちゃ未知数だけど、それもすぐに分かるさ」  ハヤマは軽い口調で言った。 「それよりもこれはチャンスだぞ、タケダ」 「チャンス?」 「こんなちっぽけなレースに注目が集まるか? 普段なら親族も観に来ねえようなレースだぞ。それが今回は違う。きっと当日も人が集まるはずだ。実業団やレース関係者も観に来るかもしれねえ。目当てはオガタの息子だろうが、自分をアピールするチャンスにはなる」  ハヤマは口の端を吊り上げた。 「おれはお前の走りを買ってるんだぜ。成績は……まあ置いといてよ、トップスピードなら誰にも負けてねえと思ってる。レースで勝てなくても、それさえ見せられればもしかして……」 「どっかから声がかかるかも、か」セツは言った。 「なるほどな。だけど〝勝てなくても〟ってのは余計なお世話だ」 「だったら勝ってみせてくれよ。せっかくおれが整備してるんだからよ」 「う、うるせえな」  返す言葉もなかった。 「……なあ、トップスピードなら誰にも負けてねえならよ、なんでアタシは勝てないんだと思う?」セツの口調は珍しく少し弱気だった。こんなこと素直に訊けるのもハヤマだけである。 「自分でも分かってるだろ? まずお前はペース配分が下手くそすぎる。下手っつうか、考えてねえんだな。最初から飛ばしすぎだ」 「アタシは最初から最後まで全力で先頭を走りてえんだよ」 「勝ちてえんだったら、それじゃダメだっつう話だよ。お前は何のためにレースに出てるんだ? 自分の走りを貫きたいからか? 勝ちたいからか?」ハヤマは言った。 「別にお前の走り方は否定しねえ。実際、おれもそういうお前の走りは好きだし、(くだん)のオガタもそういうレーサーだった。だけどオガタには桁違いのスタミナもあったからな。あれで勝てるのはバケモンだけだ」  ハヤマはセツを真っ直ぐ見た。 「勝つことに意味があるのか、自分を貫くことに意味があるのか、そりゃお前次第だし、おれはただの整備士だから何も言わねえよ。ただ、プロになりてえって言ってるのに、勝てる道を模索せずに同じことを続けてんのは根性でもなんでもねえと思ってる」 「あンだと……!」  セツはハヤマを睨んだ。  レースの定石は、終盤まで魔力を温存しておき、ラストスパートで一気に勝負をかけることだ。逃げ切り戦法は、そのラストスパートでも追いつけないほどのリードをつくるスピードと、キープできるスタミナが必要となる。セツには充分なリードをつくるスピードはあっても、最後まで逃げ切るだけのスタミナが足りなかった。それは分かっていた。分かっていて、ずっと同じ走りを貫いた。目に焼き付いた、天才の走りが忘れられないのだ。 「自分から訊いといて怒んじゃねえよ。それにもし、このレースでいつもの走りをして、そこに才能を見出してもらえたとしても、結局は勝つためのレース運びを求められるぞ。勝ちたいなら、プロになりたいなら、理想を捨てなきゃならないときもある」  あれもこれもと求めるセツに比べて、ハヤマの考えは大人だった。 「くそっ、偉そうに……」  セツは不貞腐れてジュースに口をつけた。 「言っとくけど、さっきも言ったようにおれはお前の走りも、走ってるお前も好きなんだぜ。おれもオガタに憧れてレースを始めたクチだしよ。だからこそお前にはプロになって走り続けてほしいんだ」  それでいて臆面もなくこういうことを言ってくるのがまた腹が立つ。セツは手元のバイク雑誌のページを適当に開いて視線を落とした。 「それにしても、タケダも早くPHS(ピッチ)くらい持てよ。ガキに()じって魔導紙買うの恥ずかしいんだよ」  魔導紙というのはここに来る前のやりとりに使った特殊な紙のことだ。魔力を込めることで、思い通りの場所へ飛ぶ紙飛行機や、本物のように動く折り紙が折れる。 「そんなもん親が買ってくんねえよ。こないだのテストも散々だったしよ」 「あれだけ勉強手伝ってやったのに甲斐なくか……」  ハヤマは大きな溜息をついた。
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