プラスチック狂走花

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 数日ぶりの学校。先日のレースで横転したことも、また勝てなかったこともすでに一部の人間には知られているらしい。  身体のあちこちに包帯を巻いたセツを遠巻きに盗み見てはせせら笑う連中。セツが睨めば目をそらして口をつぐむ。 「ンだよ。言いてえことがあるなら直接言えよ」  自分は負けることが怖くて本気の勝負もしたことがないくせに、他人の勝負にはケチをつける。笑っているのはそんなやつらだ。  気分がわるい。まだ教室にも入っていないが、今日はもうフケてやろうか。そう思ったときだった。 「よう、タケダ」  隣のクラスのドイがにやついた笑みを浮かべて声を掛けてきた。時代遅れどころか絶滅種となったリーゼント頭をした〝ツッパリ〟で、何かとセツに喧嘩を吹っかけてくる。彼自身は魔力を持たない魔力障害者(ラッキング)であり、そのことを周囲からよく馬鹿にされている。喧嘩っ早さではセツにも劣らない男だが、その腕は大したことないので返り討ちにされることもしばしば。それでもその根性だけはセツも一目置いていた。  しかし機嫌の悪いときにはもっとも会いたくない男である。一瞥(いちべつ)だけくれてそのにやけ面に無視してやろうと決めた。 「無視すんなよ、タケダ。せっかくなぐさめてやろうと思ってんだからよ」 「うっせぇな」 「おめえ、またレースで敗けたんだってな」 「うるせぇつったんだよ。聞こえなかったのか」 「まあまあ、今回は相手が悪かった。あのオガタの息子だっつうんだもんな」  なんでこいつがそんなことまで知っているのか。セツは意外そうにドイを睨んだ。 「だけどこれでさすがのお前も分かっただろ? 勝てないやつはどうあっても勝てないって。勝てるやつは生まれつきの才能ってやつを──」 「うっせえな!」  セツは顔面に学生カバンを叩きつけた。  突如廊下に響いた大きな音に周囲の学生は騒然となった。鼻を押さえて低い声で唸るドイを無視して、教室に入ることもなく来た道を帰った。  やってきたのは港湾都市にある小さな喫茶店だった。  学校を出たもののゲーセンなどで時間をつぶすこともできなかった。レースで転倒して怪我をするのは人間だけではない。バイクも工場に送られた。検査の結果、廃車は免れたもののいくつかのパーツ交換等が必要で、かさむ出費に身を切る生活をしなければならなかった。  寒々しい懐具合を抱え、どこに行こうかと当てもなくぶらついていたとき、ふと制服のポケットから出てきたのは一枚の名刺だった。病院でハヤマに渡されたものだ。  名刺に書かれているのはセツもよく知るスズカゼの社名。その社員──カワバタという男が連絡してほしいと言った。いったいどんな話なのか、冷え切った胸に高鳴りがよみがえった。  期待と不安に鼓動を早くしながら公衆電話を探し、深呼吸をしたあと震える指で名刺に書かれた番号を押した。  受付の女性を通してようやく繋がったカワバタはセツのことを覚えていなかった。レースのことを話すと思い出したように「ああ、あの思いきり吹っ飛んだ子ね」と笑われた。舌打ちをのみこみ、退院できたことを告げるとさっそく会えないかと言われた。  今日は創立記念日で休みだと嘘をつき、そして直接会って話すのにカワバタから指定されたのがこの喫茶店だった。 「ったく、いつまで待たせんだよ」  約束の時間をもう三十分は過ぎている。その前から来ているので、一時間以上はこの喫茶店の隅でちびちびとコーヒーを舐めていることになる。コーヒー代を出してもらえるかわからない、出してもらえたとしてもお代わりの分までは図々しい──そんなことを考えて一杯のコーヒーで粘っているのがなんともむなしい。  冷めたコーヒーをスプーンでゆっくりとかき混ぜる。魔力を練るとみるみるうちに湯気が立ち、コーヒーの香りが鼻孔をくすぐった。ひと口すする。 「()っつ!」  温めすぎた。思わずカップをひっくり返しそうになる。  魔力をコントロールできなかった自分のミスにさえ苛立ちがつのる。 「ちっ」  気を落ち着かせようと、魔力で動く円盤のおもちゃを探した。しかし、制服のポケットにもカバンの中にも入っていなかった。 「どっかに忘れたか……」  舌打ちをして、かわりにカバンの奥からライターを取り出した。  ライターを右手に、魔力を燃やすイメージで──ライターの先からおだやかで小さな火があがった。魔力を絞ったり開いたりしながら火をコントロールする。火をくねらせたり、小さな爆発を連続で起こしたり、セツは火を思いのままに動かした。 「きみがタケダ・セツさん?」  ふいに頭上から声を掛けられた。慌ててライターの火を消した。  視線を上げると背の高い作業着姿の男がセツのことを見降ろしていた。 「は、はい!」  セツは立ち上がった。それでも男の頭はセツのはるか上にある。身長一九〇センチはあるだろうか。  身長に対して横幅はなく、ひょろっとした体に銀縁の眼鏡、ボサボサの黒髪、無精ひげ──営業マンでないことはひと目で分かる。まるで弟のエイが好きな特撮に出てくる研究所の博士みたいである。 「そんなかしこまらなくていいよ。座って座って。スズカゼ工業のカワバタです──って名刺はもう持ってるか」  カワバタは名刺を取り出しながら笑った。机の上に置かれた名刺を一応受け取り、改めて表面と裏面に目を通した。当然だがハヤマから受け取ったものと同じだった。 「それにしても上手いもんだね、それ」  カワバタはあごでライターを示した。セツは慌てて説明した。 「あ、あの、タバコを吸ってるわけじゃないっすよ」 「うん? 別にそんなの興味ないよ。きみの先生じゃないんだし。本当にただ感心しただけ。僕はそういうのできないし」 「ま、まあ魔力を燃やすのは昔から得意だったんで……」  セツは少し得意げになった。タバコを吸わないのも本当である。健全な魔力は健全な肉体に宿る。魔力トレーニング関連の本に書いてあった言葉だ。酒もタバコもやらない。こうみえて健康には人一倍気を遣っている。 「あ、すいません。タケダ・セツです。レースのあとハヤマ──アタシのバイクを整備してくれるやつから少しだけ話をききました。退院したら連絡してほしいって」 「そうそう。それにしてもあのレースはすごかったね。やっぱり天才の息子は天才っていうのかな。お父さんとは違う走りだったけど、最後のスパートは圧倒的だったもん。きみもおもしろいよ。普通倒れるほど魔力使い切ったりしないって」  カワバタは子どものように無邪気に笑った。またオガタの話と、ついでのように並べられる自分の無様さ。セツの中でまた苛立ちがつのったが舌打ちはこらえた。 「あ、ちょっと待ってね。すみません店員さん、ホットコーヒーひとつお願いします。タケダさんは? おかわりいる?」 「いえ、大丈夫っす」 「じゃあホットひとつで」  カワバタは人差し指を立てて店員に告げた。呼び止められた店員は不愛想に注文を繰り返し、カウンターの奥へと消えていった。 「あの、それでアタシにいったい何の話があるんすか」  セツはさっそく切り出した。用件ははやく聞きたい。 「ああ。いや僕、技術者でね、エンジンの開発をしてるんだけど──」  カワバタは椅子に座り直した。セツもつられて姿勢をただす。 「タケダさん、きみはたしかにレースで敗けはしたけどスタート直後の加速力、スピードには目を見張るものがあったからね」  セツは胸が高鳴った。スカウトに違いない。  スズカゼ所属のレーサーとなれば最新のマシンが提供される。  開発されたばかりのバイクにまたがり、コースを駆け、先頭で走り抜ける自分の姿まで想像した。  笑みがこぼれる。 「それでね」 「はい」 「その魔力の瞬間的な爆発力をいかして、うちのエンジンのテスターになってくれないかなって思ったんだよ」 「へ?」 「レース用の魔導エンジンって乗り手の魔力によって性能が変わるし、スペックが測りづらくてね。魔導セルと人間の魔力で計測しても全然違った結果になるから、人の力でどれだけのパワーが出るかって最大値を調べるのも大変なのよ。そこで、もし卒業後の進路が決まってないならうちに来てくれないかと思ってね。きみなら瞬間的にでもエンジンの最大出力まで引き出せると思うんだ」  セツは言葉を失った。カワバタはセツの様子をみて続けた。 「もしかしてレーサーのスカウトだと思った? だめだめ。僕は技術者であってスカウトじゃないしね。スカウトに紹介することもできるけど、未勝利戦に出てたってことは勝ててないってことでしょ? いくらなんでも勝てないんじゃ彼らも動いてくれないよ」  カワバタはあざけるように笑っていた。失望感よりも悔しさと怒りがふつふつと込み上げてくる。 「テスターだって悪い話じゃないと思うんだけどな。バイクの開発には欠かせないし、そういう仕事があるからこそレーサーたちは力を出せるんだから」 「アタシはレースを支えたいわけじゃない。誰よりも速く、先頭をぶっちぎってやりたいんだ」  セツは口を開いた。カワバタは黙って続きを促す。 「裏方の重要さは分かってる。アタシは自分で整備ができないから、ハヤマがいなきゃレースにすら出れねえ。だけど、やっぱり──」  愛想の悪い店員がコーヒーを持ってきた。カワバタはそれを無言で受け取る。 「すいません。レースに出れないなら……断らせてください」  カワバタは無言でコーヒーをすすった。 「それじゃあどうするの?」 「はい?」 「実は整備士の子から聞いてたんだ。きみ、まだ何も決まってないんだろ? もちろんプロのスカウトなんか来ていないし、大学の推薦もない。このままだとレーサーになれる可能性なんてほぼゼロだ」 「っ──」セツは唇をかんだ。 「うちに来れば可能性がないわけじゃない。テスターからでも持っている力が認められればレースに出られることだってある。わらを掴むような可能性だけど。それに、もしうちに来てくれるなら頃合いを見計らって僕から推薦だってしてあげられるよ」  さっきの笑っていたときとは打って変わって、カワバタの言葉には真剣みと──必死さが感じられた。 「……なんでそこまでしてアタシを? ふつうテスターのスカウトなんてあるもんなんすか? ただのテスターならアタシじゃなくてもいくらでもいるでしょうに」  セツは純粋な疑問をぶつけた。カワバタは一瞬困惑したような表情をみせた。 「ただもったいないなって思っただけ。きみのスピードはすごい──たしかにすごいスピードを持ってる。だけど、それだけじゃレースは勝てない。勝てる器っていうのがあるんだ。そしてきみはその器じゃない。だったらせめてその力を活かせる方向に行ってほしいと思ったんだ」  カワバタは笑っていなかった。ポケットからタバコを取り出し、口にくわえ、魔力障害者用のガスライターで火をつけた。吐き出した煙が天井に消えてゆく。  勝てる器じゃない──。 「わかったよ。この話受けてやろうじゃねえか」  セツは奥歯を噛みながら言った。 「そのかわりアタシが勝てるレーサーだって証明できたらスカウトに紹介してもらうぞ。無理だったらテスターでもなんでもなってやる」  セツはカワバタを睨んだ。カワバタは口の端を吊り上げた。 「きみ、やっぱり面白いね。だったらせめて三勝、それからイワナミくんかオガタ・リョウくんに一度でも実力で勝ってみせてよ。それができたらスカウト連中も少しは興味を示すだろうし、そのときは推薦してあげる」  イワナミはセツの世代の中で頭ひとつ抜けたレーサーだ。卒業後のプロ入りが確実視されている。  イワナミかオガタ・リョウか。どちらと戦うにしてもまずは未勝利戦を勝って同じ舞台にあがらなければならない。 「いいだろう。その約束忘れんなよ」  セツは立ち上がり、テーブルに三百円を置いて去った。コーヒー代には少し足りていなかった。
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