プラスチック狂走花

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「次のレース絶対に勝つぞ」  その日の晩、セツはハヤマの部屋を訪れた。  またか、とでも言いたげな視線を投げハヤマは再び雑誌に視線を落とした。 「おい、聞けよ」 「何度目だよ。毎回同じことを言って、毎回同じように負けてるじゃねえか」 「いや、今回は違うんだって」  セツは今日カワバタと会ったときのことを話した。 「──勝てる器じゃねえなんて言われて黙ってられっか。絶対に勝って見返してやる」 「なるほどな……」  ハヤマは雑誌を閉じた。 「それじゃあ走り方を変える覚悟もあるわけだ」 「……ああ」セツは答えた。 「勝てるっつうなら、その勝てるレース運びってやつもやってやるよ」  セツの言葉にハヤマは笑みを浮かべた。何度言っても、最初から全力で先頭を走り続けようとする自滅的な走りを変えなかった。だけど今回は違う。ただのスピード狂ではないことをみせてやるのだ。  セツの目をみて、ハヤマも今回の本気っぷりが分かったようである。 「やっとか……」  ハヤマは安心したように息をはいた。 「次のレースは二か月後、八月の終わりにあるナミカワ杯だ。前回と同じサーキットコース。それまでにみっちりレース展開と仕掛けどころを頭と身体に叩き込むぞ」 「ああ」  セツはうなずいた。 「何度も言ってるけどお前はちゃんと走れば勝てるだけの素質があるはずなんだ」 「ちゃんと走れば、ってどういうことだよ」 「いや、定石通りのっていう言葉のあやだ。悪い」 「どうせ、今までのアタシの走りは馬鹿みてえに突っ走るだけでふざけてたよ。悪かったな」 「そう怒るなって。初めてのレースで馬鹿みてえに走るお前をみて、おれは整備士としてコンビを組みたいって思ったんだぜ」  ハヤマは屈託なく笑った。セツのバカ正直な走りに一番魅せられているのも、セツの勝利を一番に願っているのもこの男だっていうのはわかっている。 「……それからもうひとつ相談があるんだけどよ──」  そしてセツはずっと考えていたことをハヤマに提案した。常識外れでもセツなりに勝利にこだわって可能性を模索した末の考えだ。  聞いたハヤマはしばし沈黙してその提案に考えをめぐらせた。 「いや、できないわけじゃないし、実際なかったこともないけど……それでも効率が悪いからな」 「アタシもそれは分かってるけどよ。試してみる価値はあんじゃねえかと思うんだよ。こっちの方がアタシの魔力を発揮できると思うんだ」 「うーん……まあ用意してみるけど、どっちにせよ次には間に合わねえな。いろいろ試したり調整をして、実戦に使えるかも調べねえといけねえし……それから金もかかるけど大丈夫なのか?」 「貸してくれ」  セツは大真面目に言った。ハヤマが肩をすくめる。 「まあお前はそういうやつだよな」 「親に言っても出してくれるわけねえ。もちろんバイト代から出すけど、足りない分は貸してくれ。絶対に返す。そうだ、利子としてひとつだけ何でもしてやるよ」  ハヤマの目を見て笑顔を浮かべた。そして目を逸らされた。  なんだこの間は。  なんで口ごもっているんだ、この男は。 「じゃあ……ート……」 「え?」 「一日だけデートに付き合ってくれよ」  ハヤマが小さな声で言った。 「い、いや、いいだろ? ずっとお前といるせいで他の女子から相手にされねえんだよ。このままデートのひとつもしたことのないまま高校生活が終わるなんて寂しすぎるんだよ」  早口でまくし立てるハヤマにセツは呆気にとられた。「お前にしてもらうことなんてねえよ」とでも一蹴されるもんだと思っていた。  せめて照れずに言え。ごまかすように必死になるな。  脈が速くなり、汗がふきだした。 「ちょ、ちょっと待て! 急にデートなんて言われてもよ……!」  耳が熱くなる。戸惑いながら部屋の中を見回した。ドアの向こう、廊下の先にあるリビングで流れているテレビ番組の音が妙に鮮明に聴こえる。セツはこちらから漏れ聞こえる声を気にしてトーンを下げた。 「これまでも一緒にレースを観に行ったりはしてただろ? パーツショップとかにも行ってるし……ほら去年の暮れには格闘技だって観に行ったじゃねえか」 「そういうのとは違うんだよ。もっと遊園地とか水族館とか……映画でもいいからもっと高校生らしいデートをしてみたいんだ。ダメか?」  ダメじゃないが改まって言われると気恥ずかしくて仕方ない。水族館みたいな退屈なところは断るかもしれないが、遊園地くらいなら普通に誘われていれば何の気兼ねもなく行っていただろう。  視線を流しながら、ちらとハヤマの顔を盗み見た。一瞬ではっきりとは分からなかったが、情けない顔でセツを見つめていた。 「ダメじゃねえけど……せめて次のレース──いや、カワバタとの約束に決着つけるまで待ってくれ」 「分かった。絶対、約束だからな」  その後の会話は妙な気まずさもあり、ほとんど上の空だったからよく覚えていない。帰るときのおばさんの態度がいつもと違うような気がしたが、気のせいだろう。  部屋に戻ると弟のエイはまた女の子宛てに手紙を書いていた。冗談ぽく「その子のこと好きなのか?」と訊くと、意外にも素直に「うん」という返事が返ってきた。  母と入れ替わりで風呂に入り、ぼろい浴槽のぬるい湯の中で 「情けねえなあ」  とポツリとつぶやいた。
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