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アタシがガキの頃に初めて見たレースでは死人が出た。でもガキだった自分には人が死んだ恐怖感なんかなくって、目の前を猛スピードで走り抜けるバイクと、あの猛々しい魔導エンジンの残響音――そればかりが心に残っていた。
オガタ・シュウ。それがあのレースで死んだ男の名前だ。稀代の天才レーサーと言われ、プロデビュー以来三十九戦無敗。あのレースでは前人未到の無傷の四十勝目と、自身で樹立したコースレコード、その更新が期待されていた。もっともバイクに興味もなく、住んでいる街でレースが行なわれるから、というだけで見物に行った当時のアタシはそんなことも知らなかったのだけど。
天才と呼ばれた男にもプレッシャーはあったのだろうか。彼は得意の逃げ切り戦法で一周目のラップタイムを以前よりも大幅に更新した。しかし、むしろ速すぎた。魔導エンジンのバイクは搭乗者の魔力を燃料にして走る。そして車体の制御にも魔力を消費する。瞬間的に魔力を消費すれば時速二〇〇キロメートルを超える速度でのコーナリングだって可能ではあるが、速く走ればそれだけ魔力の消耗は激しくなり、肉体的な疲労と同じように身体の自由を奪っていく。そのため魔導セルや液体燃料のエンジンのバイクと違って、〝燃料切れ〟は搭乗者の命に大きくかかわってくる。
オガタはスピードを上げ続けた。誰が見ても明らかに三周を走り切れるペースではなかった。バイクレースのことをよく知らない当時のアタシは、そのスピードにただ興奮していただけだったが、周りの観客たちは皆、緊張の面持ちで「走り切れるわけがない」と言葉を漏らした。それでアタシも息を呑みながらレースの展開――いや、オガタの走りを見つめた。
オガタのスピードは落ちない。さっきまで「無理だ、無理だ」と言っていた観客たちも、オガタが先頭を走り続けるにつれてとんでもない偉業を目の当たりにできるのではないかと期待を抱きはじめた。モニターに映るオガタはそんな観客の思いなど知らぬふうに、スピードを上げ続け、そして二周目のラップタイムも五秒以上も縮めて、轟音を唸らせながらアタシの目の前を通過した。観客の期待が最高潮まで高まり、それでもなお速度の衰えないオガタに歓声が強く沸き起こったそのとき、ついにオガタは体勢を崩して転倒した。一瞬の出来事だった。
歓声が悲鳴に変わった。事故があってもレースは中断されない。騒然とする観客の声は輪郭を失っている。アタシは、目の前を走り抜ける後続のバイクが巻き上げた突風と轟音のなかで、命を燃やしてスピードを追い求めた男のことを考えていた。
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