恋愛の経験値

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恋愛の経験値

次に目が覚めたとき、部屋の中には朝の気配が漂っていた。 遮光カーテンの隙間から、光が線になって入ってきている。 無意識に身体を動かすと、なにも着ていないことに気づく。 …そうだった、先生のマンションに泊まっちゃったんだな。 背中に気配を感じて振り向くと、肘枕をしてこっちを見ていた彼と目が合った。 自分はちゃっかり黒のTシャツを着ている。 「よく眠れた?」 身動きしたせいで、布団が少しはだけて胸が見えそうになっているのに気づき、慌てて隠す。 「なにを今さら…」 そういって先生は笑った。 「おいで」 腕を広げられたので、素直にその胸の中に入る。 「家にいたら、今日は何をしてた?」 彼は、私の頭の後ろ髪をそっと撫でながら聞いてくる。 「いつもは…、掃除して、洗濯して、午後は買い出しに行くわ」 「日曜日は?」 「好きなことして、のんびりする」 「好きなこととは?」 「ネットで映画を見たり、本を読んだり、出かけたり」 「どこへ?」 「美術館の企画展とか、本屋で市場調査とか」 「いいね」 「先生は?」 途端に額を(つつ)かれた。 「俺の名前忘れた?」 「…悠哉…さん?」 彼はふふふっと笑って 「妃奈とそんなに変わらない。  といっても俺の場合、決まった休みはないから、時間があればジムに行って、本屋に行くくらいかな。調べ物があれば泊まりで出かけたり」 ふうん、と言って 「じゃあ、今夜も泊まっていけば?」 「どこからのじゃあ?」 「どうしても今日やらないといけないことはなさそうだから」 「洗濯物がたまってる」 「一人分の洗濯物なんてしれてる」 「やったことあるの?」 この家には、家事をする女性が通ってきている。 「売れない時代の方が長かったから、家事は一通りできるぞ? 上手下手にこだわらなければ」 「…買い出し行かないと、食べるものがない」 「うちの冷蔵庫に、いっぱい作ってくれてあるぞ」 「週1回はジムに行かないと太っちゃう」 「夕べからいっぱい運動してるだろ?」 一気に顔が赤くなったのが分かった。 思わず彼の胸の中に顔を隠す。 「なんだよ、その乙女みたいな仕草は…」 冷やかすように、あきれたように言って、私の肩を離して顔を見る。 まだ多分赤い顔をのぞき込まれる。 何?と目で聞くと 「昨日、分かったことがある」 そう言って、一度言葉を切ると 「今まで、ろくな男と付き合ってこなかっただろ? 心も身体も妃奈のことを大事にしてくれるような…」 ぐっと詰まる。まあ、そうですけど… 「俺だって人のことは言えないが、なんか昨日から聞いてた話と、身体の反応を見てると、年齢の割に恋愛の経験値が少なすぎるような気がする」 ハイ、そうですけど何か、と開き直りたくなる。 …好きだとか愛してるとか言えなかった若い頃の(ひと)は、結婚を意識するようになって行き違いが増え、別れることになった。 結婚相手と意識して付き合った人は、他の人を選んだ。 35を過ぎるともう、そういうことを考えることさえ、面倒になった。 「そういう自分は?」
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