その夜

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男性にしては長めの髪を後ろでひとつに束ね、うつむいて机の上を見る顔に長い前髪がかかり、顔をやや隠している。 それを見るたび「必要のないヤツは寄って来るな」という意思表示なのかと思っている。 作家という人種は、人と係わることが好きではない人も多い。 この先生は多分、それほどきつい性格ではないとは思うけど、黒縁眼鏡の奥の目は、しっかりとした意志を持って動き、ちょっと冷たい印象を与えるのと、仕事が途切れず入っていて、あまり外出している様子もない。 このマンションにも、今のところ女性の影は感じられない。 私は、10人は座れそうなテーブルの端の椅子に座り直し、先生の様子を見るともなく見ていた。 広いリビングには壁3面分に本棚が置かれ、びっしりと本で埋まっている。 20代から兼業で作家生活に入り、今は、本がそこそこ好きな人なら名前くらいは知っている、というくらいの先生だけど、年齢的には中堅、40代前半といったところ。 以前はお金になればなんでも書いていたそうだけど、今は何社もの連載を持っているし、新聞小説も書いている。 しばらくすると先生は電話を切り、区切りがついたようで、自分のノートパソコンを片付けながら時間を潰していた私に、「お待たせ」と寄って来る。 キッチンとの仕切り扉を開け、どうぞ、と促されて入ってみると、テーブルには、何種類かの料理が載った大皿が数枚、自分の前の白い皿に取って食べるスタイルらしい。 「良かったら飲まないか? 帰るときはタクシーを呼べばいい。これはなかなか貴重なやつなんだ」 私を4人掛けの椅子のひとつに座らせると、冷蔵庫から赤ワインの瓶を出して見せる。 「…じゃあ、一杯だけ」 実は、それほどアルコールに強くない私は、それが精一杯だ。 先生は目を細めて、少しはにかんだような表情を見せた。 シンクの上の棚からグラスを2つ出すと、テーブルに置く。 「イタリアから直輸入している友達がいてね。いつもシーズンになると送ってくれる。若いものと熟成したものと両方あるんだけど、これは若い方」 私の椅子のすぐそばに立って、グラスへと赤い液体を注いでくれる。 眼鏡の下から照明が透けて見える。うっすらと青い色がついているようだけど、あまり度は入っていないようだ。 …やっぱり女除け? シャープな顎のラインに、斜めに切った前髪が弧を描いて落ちている。 グレーの柔らかそうな素材のシャツ、左手首には細い銀のバングル。 私の前にグラスを置き、向かいの席に座った先生が、自分のグラスを持ち上げて、目で合図してくる。 …カンパイ。
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