嫉妬!

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 ヒロコ号が竜彦と出会ったのは、まったくの偶然によるものであった。当時の彼女はほとんど無名の存在であり、全国区のテレビ出演などきわめて稀なこと、時折り、地方のイベントに声がかかるくらい、もっぱらアルバイトで日々の生活費を稼ぐ日常が続いていた。  このころのヒロコ号は、“やさぐれ”といったキャラクターを確立していたが、ステージ上だけの振舞いであるならばまだしも、バックヤードにおいてもそのスタイルを貫き通していた。当然ながら周囲の評判は(かんば)しいはずもなく、抜群の演技力が高く評価されているにもかかわらず、一様に彼女と関わることを避けられる傾向にあったのだ。  ある日、ヒロコ号は、竜彦の地元である長野のローカルテレビ局主催のイベントに招かれる。昨今人気の女性アイドルも出演するとあって、多くの観客が詰めかけ、イベントそのものは大いに盛り上がった。しかし、ほとんどの視線がアイドルに向けられ、ヒロコ号は、完全に引き立て役になってしまっていた。そんな経緯(いきさつ)もあり、虫の居所が悪かったのであろうか、夕方、イベントでMCも務めた局の看板アナウンサー・松山たちとともに慰労会に参加したのだが、ほとんど会話に加わろうとせず、不機嫌そうな表情で、壁際の席でひとり日本酒を煽っていた。そして、そのふて腐れた態度が、場の空気をいやおうなしに(よど)んだものにしており、同席した若手女子アナや共演のアイドルも彼女に恐れをなして、声すら掛けられず、ただオドオドしているだけといった有様であった。  業を煮やした松山アナは、この場をうまく取り繕ってくれることを期待して、携帯電話を手に取ると、ひとりの友人を呼び出す。竜彦である。松山は、事情を説明するとともに、「でも芸能人がいっぱいいるよ」とやや誇大な表現で興味をひき、彼を誘い出すことに成功した。ほどなくして現れた竜彦は、松山に紹介されて、(うたげ)に合流すると、  「な~んか、いつもテレビで見ている方ばっかりで、こんなところに声を掛けていただいて恐縮です!」 と愛嬌たっぷりの笑顔を振りまく。しかし、女性陣の顔は、いまだに引き()ったままだ。すると再び松山が動き、部屋の隅に隠れるようにしていたヒロコ号に声をかけるよう促した。竜彦は、言われるがままに、彼女に近寄り、 「こんばんは、今日は声を掛けていただいてありがとうございます…えーと、ごめんなさい、お初ですね。」 と話しかけ、さらに、隣にいたアイドルのほうに視線を促すと、 「でも、こちらと同業の方ですか? モデルさんとか、女優さんとか…」 と持ち上げながらその顔色を伺ってみた。  いきなり、“モデル”と言われて驚いたのか、相変わらず面等くさそうな仕草を見せるものの、それでもこちらを振り返って口を開いた。  「全然違いますよ。売れない芸人ですよ。」  「へー、そうなんですね。お名前、なんておっしゃるんですか?」  「ヒロコ号です。」  「ヒロコ号さん。昔の彼女と同じ名前だなあ。ピンですか、どなたかとのコンビですか?」  「ピンです。」  「どんなネタなさるんですか。」  ひとなつっこい笑顔を見せながら、たたみかけるように聞いてくる。そして、動画投稿サイトにその様子がアップされていることを知るにつけ、  「ちょっと見てみてもいいですか?」 などと言いながら、おもむろに手帳型のスマホケースを開いた。すると、挟みこんであった競馬の勝馬投票券が1枚、スルっとテーブルの上に落ち、それを見た、無類の競馬好きであるヒロコ号の表情が変わり、竜彦に向かって話しかけてきた。  「へー、競馬やりはるんですか?」  「ええ、軽くですけどね。」  「GⅠ(ジーワン)のときとか?」  「一応、毎週やりますよ。」  「ぜんぜん軽くやないやないですかぁ。」  「でもかなり少額ですよ。」  「いやいや、軽いか重いかは、金額やなくて、頻度ですよぉ。」  「えー、そーなんですか? じゃあ僕なんか超ヘビースモーカーじゃないですかぁ!」  そのとき、ヒロコ号が急にケラケラと笑いだした。先ほどまでのムスッとした様子からは考えられないほど、屈託のない、しかも、たいへんかわいらしい笑顔である。  意外にも競馬の話題で会話が弾み、松山からのミッションをクリアできたと、やや油断していた竜彦は、その表情に思わずキュンとなった。  この出来事をきっかけに、場の雰囲気が一変する。先程までビクビクしていたアイドルにもようやくいつもの笑顔が戻り、それまでとは打って変わって、和やかな時間が過ぎていった。  ヒロコ号自身、この日の竜彦との出会いが大きな転機となる。キャラクターとしての“やさぐれスタイル”はこれまで通りだが、一歩舞台を降りたときは、彼女の“素”の姿である“気立てのやさしい素朴なお姉さん”といったイメージを前面に出して、極力笑顔で人と接することを心掛けた。やがて関係者も彼女の変化に気が付き、その見方が代わりはじめると同時に、少しずつ仕事のオファーが増えていったのである。  ところで、竜彦とヒロコ号は、どうウマが合ったのか、このときすっかり意気投合、松山たちの目を盗んで、いつの間にか連絡先まで交換すると、ほどなく本格的な交際に発展した。ふたりの恋路は“遠距離”であるにもかかわらず、そんな困難など、これっぽっちも感じさせず、順風満帆に愛を育んでいく。そして、初めて顔を合わせたあの日からおよそ2年が経過したヒロコ号の誕生日に竜彦がついにプロポーズ、結婚に向けての準備が始まっていった。彼女の主演ドラマの依頼はそんな矢先の事であった。
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