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合コンの次の日、知らない番号から着信があった。
千鶴は登録していない番号からの電話は、一回目は出ないようにしている。勧誘や間違い電話なら、もうかかってこない場合が多いからだ。
しかし、数十分後に同じ番号から電話があったので、二度目の着信で千鶴は名乗らずに電話に出た。
「もしもし」
「桜井さん?瀬名です。昨日の合コンの」
電話口での樹の声や話し方は、昨日の合コンの時よりも落ち着いていた。
軽い男性だという印象を抱いてしまった事がまるで嘘のような好青年そのものの口調だったので、思い出してからもしばらく疑ってしまったほどだ。
「あぁ昨日の……って、え?なんで電話番号知ってるんですか!?」
「吉岡さんから教えてもらいました。俺が無理を言って聞き出したので、どうか彼女を責めないでください」
あのあずさから千鶴の連絡先を聞き出すなんて、一体どんな話術を使ったのだろうと疑問に思った。
「それで、なんの用事ですか?」
「今度の日曜日、映画に付き合ってもらえないかと思って。今話題のミステリー映画なんだ」
タイトルを聞いたら、千鶴が観たいと思っていた映画だった。一緒に観に行かないかとあずさを誘ったけれど、興味がないと言われて振られてしまった作品だ。
「俺、映画を観終わった後って、すぐに感想を話したくなるんだ」
「わたしもそうなの!」
謎解きやミステリーは特に、観終わったままの新鮮な気持ちが冷めやらぬうちに語り合いたい。
千鶴は感想を言い合いたいタイプだけれど、一緒に映画に行けるほど仲のいい友人たちはみんな自分の中で余韻に浸りたいタイプばかりだ。一人行動が苦手なわけでもないけれど、だからこそまだ観に行っていなかった。
「よかった。じゃあ十時に映画館の前で待ち合わせで」
言われてから、しまった、と後悔した。うっかり同意するような物言いをしてしまったことを。
「待って!まだ行くって決めたわけじゃ…」
「来なくても勝手に待ってる」
そう告げられて、一方的に通話を切られた。
千鶴から、深いため息がひとつこぼれた。
「これは絶対遊び慣れてるな……」
樹の見た目は格好よかった。千鶴の好みかと問われれば、それはまだよくわからないけれど。
きっと相手にしてくれる女性に困ったことなどないだろう。ただでさえ恋愛をしないと決めているのに、遊ばれて傷つくのなんて絶対にごめんだ。
「行かないんだから…」
千鶴は真っ黒な小さな液晶画面に向かって、そう呟いた。
勝手に取り付けられた約束の十分前に、千鶴は映画館の近くに来ていた。遠くからこっそりと入り口付近を観察する。
そこに、樹は一人で立っていた。千鶴は人の顔を覚えるのがあまり得意ではない。グループアイドルなんてみんな同じ顔に見えてしまって、全く覚えられないほどだ。
正直にいうと、あの日の彼がどの人なのか分かるかどうかも疑問だった。
でも、すぐにわかってしまった。
他にも待ち合わせをしている風の男性は何人かいた。その人たちの視線は一様に手元の小さな液晶画面に注がれている。しかし、一人だけ、真っ直ぐに顔を上げている男性がいた。
時々、腕時計で時間を確認するが、あとはじっと前を向いている。その姿が、とても印象的だった。
きっと千鶴が来ないと察したら、代わりの相手を呼ぶに違いない。
果たして樹は何分で諦めるだろうか。試すようなことをして申し訳ないとは思うけれど、そう簡単に暗闇の映画館にほいほいついて行けるほど、千鶴は男性に慣れていないし、彼を信用もできない。
見つからないように慎重に隠れながら、樹の様子を伺った。
二十分経っても、三十分経っても、樹はそこから動かない。どうせすぐに、彼は携帯電話を取り出して「どうして来ないの?」と千鶴を詰ると思っていた。
諦めて帰ることも、他の誰かを呼ぶことも、千鶴本人に連絡をするでもなく、ただひたすらに待つ樹。
「行く」と返事をしたわけではないけれど、千鶴の中に罪悪感が募っていく。間もなく一時間半が経過するというところで、とうとう千鶴の罪悪感がメーターを振り切った。
「なんで待ってるんですか!?」
千鶴は普段、負の感情を人にぶつけることはほとんどない。しかし、彼に対しては、なぜか少し強い語気になってしまった。
けれど、樹はそんなことはまるで気にしてないない様子だ。あれだけ待たせたのに、樹からは苛立ちの欠片も感じない。
「勝手に待ってるって言ったはずだけど」
なんでもないことのように、飄々とそう答える樹。
「だったら電話を寄越すとかするでしょう。わたしが来なかったらいつまでここに立ってるつもりだったんですか」
樹が、木漏れ日を眩しがるように目を細めて、ふっと微笑んだ。
「でも、来てくれた。来てくれると思ってた」
あまりにも嬉しそうに言うものだから、千鶴の胸がちくりと痛む。
「遅くなって…ごめんなさい」
「大丈夫。俺、待つのは得意なんだ」
会うのは二回目のはずなのに、まるで遠い日に向かって話しかけるような眼差しをする樹を不思議に思った。
「じゃあ、次の回の座席を取りに行こうか」
樹が映画館を指して、建物の中に入るように促してくる。ここで「そんなつもりで来たんじゃないです」と断って、帰ってもよかった。
それをしなかったのは、結果的に一時間以上も待たせてしまったことへの贖罪の気持ちと、どうせ千鶴と話しても盛り上がらないだろうから、これっきりになると思ってのことだった。
*
「主人公は死んでしまったけど、あの映画はハッピーエンドだったと思います!」
映画を観終わったらすぐに帰るつもりだったのに、少しだけ映画の内容について話したいと誘われて近くのカフェに立ち寄り、かれこれ一時間は語り合っている。
「それは一理ある。自分の死までも計算に入れて犯人と対峙して、結果として大切な人たちを守ったわけだからね」
最後まで予測不能で、重厚なミステリー映画だった。
「守られた側が守られてたことにすら気が付かないまま、誰にも知られないまま主人公が死んでしまって、そんな悲しいストーリーはない、って言う人もいるけど…。でも自分の大切な人を守って逝くことができた彼は、最後まで幸せだったんじゃないかなって」
樹がうんうんと頷きながら言葉を繋ぐ。
「彼が死んだことを知らないままで生きていく守られた側の人たちも、きっとどこかで元気でいるだろうって思ってるわけだからね」
「そうなの!知らないままの方が幸せなこともある、ってメッセージでもあると思うんですよ、あの結末は」
「そういう考えもできるね。けど、知らないままでいるのは嫌だ、っていう人たちは納得できないんだろうな」
知らないままでいるのは嫌。でも、知ろうとしても教えてもらえなかった場合はどうすればいいのだろう。
——あの時、両親に聞けなかった真実は、今でも知らないまま。
世の中は、そんなあやふやな問題であふれているんだと、映画と現実をリンクさせて考えてしまう。
知っている方が幸せなのか。知らないままでいた方が幸せなのか。
過去と現在の境界線があやふやになり、思考がぼんやりとしかけたところで、樹の一言で一気に現実に連れ戻された。
「また会いたい。今日すごく楽しかったから」
ハッとして顔を上げると、樹が真剣な眼差しで千鶴を見ていた。
あまりにも真っ直ぐに見詰めてくるから、思わずあからさまに目を逸らしてしまった。
「わたしと会っても時間の無駄だと思います。瀬名さんなら一緒に遊んでくれる人なんて、いくらでもいるでしょう?」
「それは否定しないけど、一緒にいて楽しいと思えない人と会ったって仕方がないでしょ?話してて、こんなにあっという間に時間が経ったのは初めてなんだ」
認めたくはないけれど、千鶴も同じことを感じていた。
話し始める前は、どうせ会話に詰まって沈黙が痛くなって、きっとすぐに帰りたくなると思っていたのに。
千鶴はあまり心の内を話すのは好きではない。忖度した話し方も得意ではない。樹は、千鶴が予防線を張ろうとすると、それを察して話題を変えてくれる。正直、話をしていてとても楽しかった。けれど…。
「わたしは恋人を作る気はないんです。もし、仮に…その……友だち以上の事を求められても、わたしが応えることはできないです」
「いいよ」
「へっ?」
あまりにも即答されて、思わず素っ頓狂な声が出た。
「まずはあなたを知りたいし俺を知ってほしい。俺は桜井さんのことを、知らないままでいるのは嫌だ」
——知らないままでいるのは嫌だ
その言葉が、千鶴の胸に刺さった。
「本当に…、いいんですか?お付き合いとか、そういうのじゃなくても。わたし、恋人にはなりませんよ」
「それでもいい。頑張って好きになってもらうだけだから」
「どうして、わたしなの……?」
樹がジッと千鶴を見て、ふっと笑んだ。
「それは、追々話すよ。まずは来週の日曜日、また一緒に遊びに行こう」
そうやって、二人で休日に会うことが増えた。
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