偽りの幸せ

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「新しい家を探す?それともしばらくここに住む?」  湯気の立つお揃いのマグカップをローテーブルにことりと置いて樹が言った。  樹がキッチンに立っている隙に部屋着を身に付けた千鶴は、ベッドを背もたれにしながら樹と向かい合って座る。  何でもない様子を装いながら、コーヒーを一口啜った樹が話しを続けた。 「先に入籍する?だとしたら改めてご両親に挨拶しなきゃいけないし」  千鶴は単身用のアパートに住んでいて、今いる樹のマンションの方が広い。一緒に住むとなれば、必然的に樹の家になる。  しかし樹のマンションはひとり暮らしとしては広いけれど、ふたりで暮らすには若干狭い。 「それなんだけどね。ちょっと考えてることがあって……」 「なに?」  千鶴が崩していた足から正座に切り替えて、背筋を伸ばす。 「あの…、お試し期間を設けてここで一緒に暮らしてみて、何事もなければ『結婚』というのはどうでしょう」  樹はコーヒーを飲もうとマグカップに伸ばしていた手を引っ込めて、胡座から同じく正座に座り直した。 「期間って、それは必要なの?どれくらい?」 「まだ、もう少しだけ、時間がほしいの。お互いのためにも…。期間は……一年、でどうかな」  樹としては、いつでも挨拶に行く覚悟はできていたが、昨日の今日で千鶴の気持ちが完全に固まらないことも予感はしていた。 「わかった。じゃあ俺も一年後、改めてプロポーズをやり直すよ。ってか、寧ろリベンジしたいくらいだったし。さすがに、昨日のあれはちょっと…」  樹が困ったり、照れたりした時によくする仕種、左の耳たぶをふにふにとつまみながら 「がっつき過ぎたと思ってた」  と、一息で言い切った。  顔色はあまり変わらないのに両耳と首を真っ赤に染めるのは、本当に緊張しているか本気で照れている時の樹の特徴だ。 「……ふふっ」  樹が真剣だからこそ愛おしくて、思わず声が出てしまった。 「笑わないでよ」 「うん、ごめん。なんだか可愛くて、つい」 「可愛い、って…。それ、褒めてるの?」 「もちろん!最上級に褒めてる」 「なら、いいけど」  唇を尖らせながら不服そうに呟く樹が、「いい」とは思っていなさそうに言うからますます可笑しくて、くすくすと笑いが込み上げる。  千鶴の笑顔を眺めていた樹も、つられて笑顔になる。隣にやってきた樹から戯れるようなキスをされ、今度は千鶴が赤くなった。  こんな風にふたりで笑い合いながら、何事もなく一年が過ぎて行くと信じられていた。  間違いなく、この時は。
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