復讐、解禁。

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「俺は正当な手続きを経て、その許可証を手に入れた。いくら君が血縁者でも、邪魔することはできない」  皺だらけの『報復許可証』を隅々まで読み漁っていた青年は、ようやく視線を上げた。  怒り。  戸惑い。  恐怖。  対峙したふたつの瞳からは期待したどの感情も読み取れなかったが、とりあえず飛びかかって来る気配がないことを確認し、俺は雄一に向き直った。  生気のない白い顔を見下ろし、再び斧を振り上げる。刃先が最頂点へと達したところで腕を止め、微動だにしない青年の姿を視線だけで捉えた。 「止めないのか」  青年は淡い笑みを浮かべると、ゆるゆると首を横に振った。 「その時が来たら好きにさせてやれと、父に言われていますから」 「好きに、だと……?」  この後に及んで、同情とは。どこまでも癪に障るが、他でもない本人がそう言ったのなら、ありがたくお言葉に甘えさせてもらおうじゃないか。  俺は、三度(みたび)斧を構え直した。遠心力を頼りに振り下ろすと、鈍い音を立てて空気が振動する。何かをぶった斬った感覚はまったくなかったが、どうやら狙いは外さなかったようだ。男の白い首元で、銀色の細いチェーンが真っ二つに千切れていた。  役目を果たした斧を足元に捨て置き、俺は手触りの良い白い布の上を(さら)った。すくい上げたチェーンにぶら下がっていた輪っかを抜き取り、宙にかざしてみる。すると、三十年ぶりに対面した金属にしては、やけに艶がかっている。それに、どれだけ見回してみても傷ひとつない。 「父の日課でした」  落ち着いた声が、思考の渦に割り込んできだ。 「リングの手入れをしている時の父は、本当に優しい顔をしていました。子ども心に、ちょっと嫉妬してしまうくらいに」  思い出の作文に出てきそうな文章を紡ぐと、青年は身をかがめ、いつの間にか滑り落ちていたらしいチェーンの切れ端を拾い上げた。差し出そうとする青年の手を押しとどめ、骨董品とは思えない輝きを放つ指輪を中指に通してみる。やはりサイズが合わず、第二関節を超えられない。仕方なく隣の薬指に移動させ、親指と人差し指で挟んで何度も上下させるが、しっくりくる場所がなかなか見つからない。なにせ三十年ぶりなのだ。指輪は元に戻ってきても、一緒に奪われていた感覚の方はすぐには戻ってくれないのだろう。  拭えない違和感は時間に解決してもらうことにし、俺は相変わらず突っ立っているだけの青年に意識を戻した。 「悪いが、ペンを持っていないか」 「ペン?」 「君に、履行確認のサインを頼みたい」  青年は眉頭をひょいっと持ち上げ、黒いジャケットの内ポケットを探った。すぐに細いボールペンを取り出し、だが、ペン先を押し出そうとした手を止めてしまう。 「だけで良いんですか」  青年の視線が、俺の左手に突き刺さった。確かに、所持品を奪うだけでは『報復レベル3』の復讐としてはかなり地味な終わり方だ。だが、斧で殴りかかったとしても、うっかり治癒するまでに二週間以上かかったなんて言われてしまえば、今度は俺が罰せられることになるし、何より血を見るのはあまり得意ではない。罵詈雑言の限りを尽くして精神的苦痛を与えることも考えたが、どちらかというとM気質なあいつのことだ。むしろ喜ばれそうだからやめた。  ならば……と社会的制裁に狙いを定め、「こいつは隠れゲイの裏切り者だ」とかなんとか触れ回ってやるつもり満々でいたが、今となってはそれも意味がなくなってしまった。せめてあと数日早く許可証が手に入っていれば、もっと思い知らせてやれたのかもしれないが。 「十分だ。サインしてくれ」  青年は頷き、ペンを構えた。 「立会人の欄に署名してくれればいい」 「フルネームですか?」 「ああ」  上下左右へと動くペンの頭を眺めながら、ペンの持ち方が綺麗だなんて呑気なことを考えてしまう。どうやら、目的を果たせたことで気が緩んでいるようだ。  しばらくすると紙の擦れる音が止まり、皺の伸びた許可証が逆向きで差し出された。礼を言って受け取り、増えた文字を何とはなしに見下ろす。そこには、少し右上がりの達筆な文字が並んでーー 「星崎……?」 「はい。それが僕の名前です」
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