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機械仕掛けのからくり人形のようにぎこちなく首を捻り、俺は声の主と対面した。飛び込んできた勢いのまま前のめりになっていた青年の顔はひどく彼と似ていて、だが、ところどころが少しずつ違った。
「有賀朔太郎さん、ですよね?」
肯定の意を込めてゆっくりと斧を下ろすと、青年の顔に明らかな安堵が広がっていく。
「よかった、当たってた。僕は星崎の息子でーー」
「やめろ。名乗るな」
上ずった声で続きそうだった言葉を、慌てて遮った。ここに辿り着くまで、二十年もかかったんだ。すべてを終わらせるためには、新たな繋がりを手に入れるわけにはいかない。
「そうですね、すみません」
青年は丁寧に謝罪し、スタスタとこちらに近づいてきた。自分に子供がいないから考えたこともなかったが、親子とは不思議なものだ。ドキッとさせられるくらいあいつに似ていると感じる角度もあれば、まったくの他人のように見える瞬間もある。それが、父親と母親の血が半分ずつ受け継がれている証拠なのだろう。
「こんな日に押しかけた非礼は詫びるが、俺にはその権利がある」
握りしめているうちに皺くちゃになってしまった紙を投げつけると、青年は両手と胸板で受け止めた。ボールのように丸まってしまったそれを宝物を扱うように慎重に広げ、視線を動かしながら印刷された文字を辿っていく。A4サイズの紙の一番上に太字ででかでかと書かれているのは『報復許可証』の五文字だ。
ハンムラビ法典が現代に蘇って、早二十年。被害者が軽んじられる時代は、もう終わった。死刑が廃止される代わりに、加害者に対する報復行為が合法化されたのだ。
目には目を、歯には歯を。
暴力には暴力を、殺人には殺人を。
そんな理想の上に作られた制度だが、実際にどこまでの報復行為が許されるのか。そもそも、報復行為を正当化できる被害内容なのかは、裁判所の判断に委ねられているのが実情だ。
俺は、二十年間ずっとこの日が来るのを待っていた。星崎雄一との縁は、同じ産院で同じ日に産声を上げたその瞬間から始まった。
保育園のたまごぐみ、小学校、中学校、高校、大学。俺が追いかけたのか、それとも、あいつが離れなかったのか。今思えばただの腐れ縁だったのかもしれないが、そういう関係を求めたのは、雄一の方だった。
それなのに、二十歳の誕生日を初めての乾杯で祝ったその夜、『できちゃった』と告げられた。呆気に取られる俺の前で、本当に俺のことを愛しているのか確かめたかったのだと、彼はのたまった。だから女に愛情はないが、できてしまった以上、父親として責任を果たすことに決めたのだと。そしてあいつは、俺を捨てた。
刑事案件と違い、民事の報復申請審査には時間がかかる。「双方の事情を詳しく調べる必要があるので、お時間をいただくことがあります」なんて定型文が漏れなくついてくるが、恐らく〝痴情のもつれ〟の調査なんて、職員たちの士気が上がらないというのが本音なのだろう。
二十年かかってついに許可された俺の報復レベルは〝3〟。『全治二週間までの身体的報復、または同等と判断される精神的苦痛、または同等と判断される社会的制裁』だ。
正直望んでいたレベルからはほど遠いが、申請自体が却下されることも多い民事案件で、許可されただけでもラッキーなのだと前向きにとらえるのが正解だろう。
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