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「嘘、だろう」
「いいえ。免許証見ます?」
俺は慌てて首を横に振り、青年の手から許可証をもぎ取った。そして、知らん顔して眠ったままの白い顔を、精一杯睨みつけてやる。
なんてやつだ。捨てた男の名を自分の息子に付けるなんて、いくらなんでも趣味が悪すぎる。
急に胃の中がむかついてきて、俺はわざとごくりと唾を飲み込んだ。まっすぐに戻りかけていた紙をもう一度丸め、ポケットに突っ込んでおく。許可証の受け取りは裁判所での対面方式のみだが、履行報告だけなら郵送でもできる。帰りの道すがら封筒と切手を手に入れる算段をしようとするが、郵便局がどこにあったか思い出せない。
「父からの手紙です」
波打ち始めていた思考を、再び青年の声がせき止めた。視線をずらすと、なるほど。青年の手のひらの上に、長方形の封筒が乗っている。ご丁寧に、立派な筆文字で『有賀朔太郎様』としたためられていた。この最低野郎は、自分の息子と同じ名前をどんな気持ちで綴ったのだろうか。
「読みたくなければ、棺桶に入れます」
「あいつ……親父さんは、なんて?」
「有賀さんの好きにさせてやれって」
またか。ついに、ため息が漏れた。どこまでずるい男なんだ。最初から最後まで、すべてを俺に委ねてきやがるとは。
「要らないよ、そんな縁起悪いもの」
終わらせるためにここにいるんだ。いくらそれが真っ白な封筒だとしても、俺は騙されない。よりにもよって、手紙なんて一番怨念のこもってそうなもの、絶対に持ち帰ったりするものか。
「燃やしてくれ」
「わかりました」
まるで俺の答えなんて最初からわかっていたかのように、青年はあっさりと頷く。そして、白い封筒を、未開封のまま父親の硬い手のひらの下に潜り込ませた。ぼとっと音を立てて落ちた左手の薬指に、俺の知らない指輪が光っている。
「いいのか、あれ」
亡くなった夫の結婚指輪を形見にしている女を、何人も知っている。火葬しても燃えずに残ると聞いたことはあるが、万が一ということはないだろうか。
「有賀さん」
青年が、俺を呼んだ。穏やかな声音の奥にそれまでとは違う気配が潜んでいるのを感じ振り返ると、ほとんど変化のなかった顔にはっきりと笑みが浮かんでいる。どこか挑戦的な瞳から目を逸らせずにいると、青年の唇がゆっくりと動き出した。
「僕の名付け親、父じゃなくて母なんですよ」
まさか。音にしたはずの言葉は、吸い込んだ息と一緒に喉の奥に消えた。まさか。まさか、そんな。
なんということだ。法律なんて関係なかった。許可証なんて関係なかった。俺が復讐できなかった三十年の間、雄一はずっと報復され続けていたのだ。
息子の名前を呼ぶとき、彼はいったいどんな気持ちだったのだろう。想像してみると笑えてくる。天罰だ。ざまあみやがれ。ああ。ああ。なんて素晴らしいんだ。
「こんな終わり方、最高じゃないか……!」
声が震えた。抱いている感情の中身だって、溢れてくる涙の意味だってわからない。
大きな手が、俺の背中を行ったり来たりする。誘われるように顔を上げると、ぼやけた視界の中心で青年の笑顔が弾けた。
「復讐、お疲れ様でした」
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