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『お山』が解禁となる。
おせんはそれを、父から聞いた。
おせんの住む村は四方を山に囲まれている。お山を通れば隣町へ半日で出られるが、お山は長く昔から禁足地とされていた。そのため付近を行き来する者は、丸一日を費やして迂路を取らねばならなかった。
「中央から来た役人が道を通すそうだ」
父はそう言ったきりだったが、顔には不安と不満が浮かんでいた。
この辺りの人々は、山神とその使いである狼を信仰している。お山解禁とお役人が言ったところでそれは人間の勝手な独り言だと、父は言いたいのだろう。
父は呟いた。
「悪いことが起きなきゃいいが」
道路敷設のために人夫が集められ、『お山』には里道が敷かれた。
工事中に目立った事故はなく、敷設はつつがなく終わった。道路が通り、お山には人が通行するようになった。
それから間もなくして、付近の集落で原因不明の病が流行り始めた。患者は発熱し、食欲が極端に落ちる。子供や老人には死者も出始めた。
また、お山に限らず、周辺の山で奇妙な声を聞いたとか化物を見たという者が相次いだ。こういう話は以前から時折あることだったが、その数が増えたということである。
おせんの家でも、父母が流行り病にかかった。
おせんは両親を介抱したが、病が回復する兆しはない。父は言った。
「山神さまの祟りだから、これは治らんだろう」
そのうちに村では、大人にも死者が出始めた。
日々欠かさず、おせんは家の神棚に手を合わせていた。ある日祈りを捧げるうち、不意に思いついた。
それまで足を踏み入れたことのなかった『お山』を、おせんは訪ねた。
おせんは山には登らずに山裾を歩き、美しい滝と、そのそばに立つ大杉を見つけた。
杉の巨木に厳かな神々しさを感じたおせんは、杉の前で手を合わせた。
「山神さま、どうかお父さんとお母さんをお助けください。村の人たちをお許しください」
おせんは毎日その大杉に通った。
秋の間通い続け、冬になり雪が降り始めると、父母の病が篤くなった。おせんは杉の前で祈った。
「山神さま、お父さんとお母さん、村の人たちをお助けください。そのためなら、私は何だっていたします」
そしてふと目を上げたとき、おせんは人影の絶えた雪景の中に、一匹の狼を見た。
狼と目が合った。
その時、おせんは声を聞いたように思った。
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