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8年目の君
土曜日の昼下がり近所の書店へ足を向けた、原子物理学なんて常人には理解できない内容の本が並ぶ棚には誰一人いない・・・・・ゆっくりと欲しい本を選んでレジへ向かうも、土曜日とあって長い行列ができていた。
仕方なくその列に並び順番を待つ間平置きの雑誌に目を向けた、漫画や趣味の本、ファッション雑誌、映画情報誌・・・・・ありとあらゆる本が並ぶ。
見るとはなしに目を止めた経済誌の表紙に視線が止まった……彫りの深い目鼻立ちに肉感的な唇、その隙間から覗く白くきれいな歯並び・・・・・見ほれるほどの美しい男の顔がそこにあった。
8年ぶりに見たその顔に雑誌を取る手が震える・・・・・レジで支払いを済ませ、急いで自宅のマンションへ帰った。
室内に入ってテーブルに本を置き、ラグへ直接座り込む。
もう一度表紙に目を向ける・・・・・紛れもない彼の顔だった・・・・・
8年前突然目の前から居なくなった彼の名は久我山一聖。
大学3年から一緒に住むようになって3年目の12月20日、いつものように仕事に行った彼は二度と帰宅することなく忽然と消えた・・・・・
机の引き出しにはクリスマスに渡すつもりで買ったプレゼントが今もそのまま置いてある。
雑誌をめくると、表紙と同じにこやかに笑う彼、若き後継者3代目社長久我山一聖とあった。
プロフィールは年齢29歳、大学を卒業して3年間のイギリス留学を終え帰国、その後創業者である祖父の酒造メーカーに入社、彼の手腕で古い販売戦略から抜け出し、隠れた名酒としてたちまち話題になり売り上げは年々倍増、世界中に販売網を広げ、彼が跡を継いで5年後には売り上げは10倍となった。
老舗の味と信頼を駆使し、あえてネットでの販売をせず百貨店や酒店に限定したことでさらに人気に拍車がかかり手に入るのは予約後1年待ちという人気になった。
結婚して1年半の夫人との写真も掲載されていた。
美しく微笑む女性とその隣に寄り添う男。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
彼に初めて会ったのは大学入学後すぐだった、講義中も学食で食事をするときもいつも視線を感じて、その先に彼がいた。
名前も知らない彼が気になった、驚くほどの美形とすらりと伸びた手足、広い肩に厚い胸・・・・すべてが自分とは正反対な彼。
いつも一緒にいる友達と離れ学食で遅い昼食をとっていると、トレイを持った彼がいた。
目が合って笑いかける自分に彼がテーブルへ来て向かいに座った。
「こんにちわ」
「今日は一人?」
「うん」
「初めまして僕久我山一聖」
「僕は夏目 薫です」
じっと目を見て話す彼の視線が恥ずかしくて俯く・・・・・顔が赤くなるのがわかった。
自己紹介をしたことで少しだけ彼と近くなれた気がした。
「いつもの友達は今日はいないの?」
「彼らは中学や高校の友達で先に食事しちゃって…・・今は僕一人なんだ」
「そう・・・・・いつも一緒で仲がいいんだね。彼らは薫って呼んでたけど、僕もそう呼んでいい?友達になってくれる?」
「うんいいよ、久我山君はどこの学部?」
「経済だよ、薫は?」
「僕は文理学部」
「へ~難しい事勉強してるんだね」
「そうかなぁ~」
僕たちはその日から毎日逢うようになった、時間が合えば一緒に学食でお昼を食べて、授業が終われば待ち合わせをして彼のバイトが始まるまでの少しの時間を共有した。
彼は夏休みも年末年始もバイトをしていた、聞けば両親も兄弟もなく学費以外はバイトで賄うと話をしていた。
それでも僕たちは時間を見つけて一緒に居た。
2年になって僕の部屋で初めてのキスをした、僕にとっては生まれて初めてのキス。
その日バイトが休みで授業が終わった後、僕の部屋で手作りの晩御飯をごちそうすることにした。
手作りといっても僕に作れるのはカレーだけだった、それでも彼は喜んで食べてくれた。
食事の後片付けをして、僕の本棚にある小難しい本を手に取って、僕には到底理解できないと笑う彼の顔に見とれた。
ソファに座って彼の顔が近づいたとき、思わず目を閉じた僕に彼の柔らかな唇が重なった。
初めて好きだと感じた人、胸の中に膨らむ想いが熱い吐息となって彼の口中へ吸い込まれた。
ドキドキと高鳴る心臓の音が彼に聞こえていたのか、彼もまた胸が高鳴っていた。
何度も何度も貪るように口づけをしてお互いの舌を絡めながら、確かめるように囁き合った。
「薫・・・・・君が好きだ」
「僕もだよ・・・・・一聖」
好きだと言われたことが嬉しくて、うぶな僕たちは心も身体も震えるような快感を感じた。
初めてのキスから2か月、バイトの帰りに一聖が僕の部屋へ来た。
雨の激しく降る夜だった、びしょぬれで僕の部屋に来てドアを開けた瞬間抱き着いてきた。
何があったのか、ひどく疲れたようでタオルをもって髪を拭いている僕に大きな彼がもたれるように背中に手をまわした。
彼は泣いていた、胸が締め付けられるように悲しくなって、僕は訳も分からず泣いた。
濡れた服を脱がせた彼の胸に口づけをしながら、下着の中に手を入れる・・・・・そこだけ熱を持ったように熱く誇張した雄を引きずり出してギュッとつかんだ。
彼も夢中で僕の服をはぎ取り下着を脱がすと、ベッドへ運んで身体中にキスをした。
外の激しい雨音が僕たち二人の嬌声をかき消した。
その日から僕たちは毎日のように身体を重ね、熱情をぶつけ合った。
3年になって一緒に住むために引っ越しをした、毎日が夢のように過ぎていった。
卒業して僕は大学院へ進み、成績優秀な彼は大手企業へ就職をした。
朝は僕が朝食を作り彼を玄関で見送る、出がけの甘いキスも忘れない。
彼が出勤した後掃除と洗濯をして大学へ向かう。
一緒に住むようになって3年、喧嘩をしたことも不信感を抱いたこともなく、日々は甘く平穏に過ぎていた。
そして12月20日・・・・・朝いつものように出勤した彼は二度と僕のもとへ帰らなかった。
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