彼の名前は夏目 薫

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彼の名前は夏目 薫

地方の高校から都内屈指の大学へ入学をした、親の家業を継ぐのが嫌で家族とは喧嘩別れのようにして家を飛び出して東京へ来た。 入学したその日に彼を見た、洗練された容姿と明るく屈託なく笑う彼の顔に見惚れた・・・・・彼の周りには数人の男女が常に張り付いていた。 その中心で彼は微笑み、じゃれ合い、大切にされていた。 どうしても彼と知り合いたくて、折に触れ視線の先に彼の姿をとらえていた。 偶然に彼と視線が合う事も何度かあった、ただそれだけだった・・・・ 近づく術はなく、数人の取り巻きがいつも彼を守っていた。 彼らは薫と呼んでいた・・・・・僕も同じように呼んでみたかった。 「薫」 ある日遅めのランチをしようと学食に行くと、彼がひとりで食事をしていた。 僕にとって千載一遇のチャンスだった・・・・・ 「こんにちわ」 「こんにちわ」 「ここいい?」 「はい」 「僕久我山一聖(くがやまいっせい)です。初めまして」 「僕は夏目 薫(なつめかおる)です、よろしく」 「今日は一人ですか?」 「はい、彼らは中学高校の同級生です」 「ぼくも薫って呼んでいいかな?友達になってくれる?」 憧れの薫と話ができて僕は有頂天だった、明るくて屈託がなくて時間がたつのを忘れて話した。 僕たちはすぐに仲良くなってバイトが始まるまでのわずかな時間を一緒に過ごした。 好きだという気持ちが膨らんで、思い切って薫にキスをした。 僕は実家のことは内緒にした、夏休みも年末年始もバイトをする僕を両親のない天涯孤独の身だと信じてくれた。 一つの嘘が次の嘘を重ねることを僕はその時知らなかった。 父親に言われた・・・・・ 「家に帰らなければ、あの男は無事では済まない」 父は造り酒屋の2代目とはいえ、家業は裏の仕事も兼ねていた。 裏の仕事とは…・・遥か昔から連綿とつづく仁侠道・・・・ 彼を失うことはできない・・・・・大雨の中泣きながら彼のマンションへ行った。 薫は何も聞かず一緒に泣いてくれた、その日僕たちは初めて心も身体も一つになった。 でもそれは悲しい別れの契りだった。 僕たち若い身体を求め合った。 一緒に住むようになって好きでたまらない気持ちは日々高まって、この先何があっても離れたくなかった。 大学を卒業したら実家へ帰るという約束も反故にして彼と一緒に住み続けた、彼は大学院へ進み僕は就職をした・・・・・だがすぐにそこも父の妨害で退社することになった。 朝彼に見送られてマンションを出る、家からの迎えの車に乗って実家へ向かい言われた通りの仕事をこなして彼のもとへ帰る日々が続いた。 毎日のように父からの脅しが続いた・・・・これ以上一緒に住み続けることはできない。 二人の暮らしに終わりが近づいていた。 一緒に住んで3年目・・・・・ 僕は12月のあの日何も言わずに薫の前から姿を消した・・・・・薫が生きていてくれればいい、ただそれだけだった。 薫の憔悴しきった姿を何度も目にした、駅でもマンションの周りでも薫は僕を探していた。 それでも近づくことも声をかけることも出来なかった。 携帯はマンションを出るときに没収された・・・・・僕は薫との繋がりを失った。 僕は接触することで薫の命が危うくなるなら、逢わない選択をする。 それでも気になってたまに薫の姿を探した・・・・・1年経ち2年経ち3年経って一緒に過ごしたマンションを引っ越した。 僕たちが暮らしたマンションは跡形もなく取り壊された・・・・・ 僕が薫を捨てた日から8年が過ぎた、ある経済誌に久我山酒造の特集が組まれることになった。 酒造メーカーの業績は僕が跡を引き継いでから、右肩上がりに上昇し今では莫大な利益を計上するようになった。 僕の働きが大きくなれば発言権も大きくなる・・・・そしていつか薫をこの手に取り戻す。 僕は心の中で秘かに誓った。 若き経営者として僕の写真も掲載するという・・・・・老舗3代目社長久我山一聖(くがやまいっせい)・・・・プロフィールは父の理想の息子を紹介していた。 結婚をして1年半・・・・初めて逢った女性と夫婦として写真を撮り、大学卒業後はイギリスへ留学? 僕にとって大切な思い出が嘘のプロフィールで塗りこめられた。 この本を薫が見ることがありませんように・・・・・そう願った。
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