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秋には景勝地がみごとな紅葉を見せるK県T市。その中心街から少し離れた高台に、歴史を感じさせる日本家屋が建っている。駅でタクシーに「平井邸まで」といえば、十五分ほどで着く。地元ではお屋敷とか御殿といわれている大豪邸だ。
晩秋の月が寒々と輝く底冷えのする深夜だというのに、お屋敷の二階の窓ガラスがみるみる白く曇り始めた。屋敷内の廊下に面した微かに開いたドアの隙間から、ベッドがきしむ不規則な音が漏れている。その淫靡な湿気を含んだ音は、暗く冷えた長い廊下を這うように漏れ伝い、平井万結の寝室に忍び込んだ。
万結は卑猥な空気を拒絶するように頭から布団を被り、丸めた躰を壁の方に向けた。固く目を閉じると、息を殺し情事に溺れる男と女の白い裸体がまぶたの裏に浮かび上がる。あの二人、夫の辰巳と家政婦の菜々美は、自分へのあてつけのように、微かなドアの隙間から秘め事の匂いを漂わせていた。
通常国会が閉会し、夫が地元に帰省するようになってから、毎晩のように夫は、あの家政婦の女を抱いている。嫌がらせなのは明らかだった。
自分がこの家に嫌気が差して離婚を切り出すのが狙いだ。そうなればあいつらは、どれほど喜ぶことか。でもそうはさせない。あの二人の喜びは私の苦しみ。あいつらの苦しみは、私の喜び。万結が不敵に頬を歪めたそのとき、
「ああっ……」と、思わず漏れ出たような喘ぎ声を鼓膜が捉えた。妻として、女として、これほどの屈辱はない。万結は両掌を強く耳に押し当て恥辱を嚙み締めた。そしてそのまま、いつものように眠りに落ちた。
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