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 万結が平井辰巳のもとに嫁いだのは、今から九年前だ。看護師として勤めていた病院を退職して時間を持て余していたころ、友達の誘いで選挙のボランティアに参加した。政治に関心があったわけではない。暇つぶしと軽い好奇心からだ。  平井辰巳のことはもちろん知っていた。平井辰巳の父親も祖父も政権与党の国会議員で、平井辰巳は三代目だ。いわば地元の名家で、万結が勤めていた病院や町のいたる所に、浅黒い笑顔でガッツポーズをする平井辰巳のポスターが貼ってあった。スローガンは「不景気にトライ!」。元ラガーマンの力強さをアピールしていた。  平井家は政治家の他にも、不動産や幼稚園、葬儀屋まで幅広く事業を展開し、地元K県では知らない人がいなかった。  普通のサラリーマン家庭で育った万結とは住む世界が違う人間だったが、その平井辰巳に万結は見初められた。万結は平井辰巳のような脂ぎった男は苦手だったが、しつこさと強引さに負けて何度か食事に行った。そのことを友達に話すと、 「え、すごい玉の輿じゃない!」と羨望の眼差しで驚かれたが、万結の心は覚めていた。  それでも、平井と幾度か会ううちに多少は情が移った。  総選挙で順当にトップ当選を果たし、選挙事務所でスタッフとともに万歳三唱したとき、自然と涙がこぼれ、万結は自分でも不思議だった。  総選挙から数日後の夜、結婚して欲しいと告白(プロポーズ)された。国会議員の熾烈(しれつ)な仕事を全うするために、どうしても君が必要だ。一生大切にするからと一生懸命に訴えてきた。  普段は偉そうな男が自分に平身低頭し必死に懇願(こんがん)する姿が可哀想に思え、万結の心 が動いた。国会議員という大変な仕事を終えて帰ってきたときに、鎧を脱いで安心して過ごせる場所を作るくらいなら、自分にもできるかもしれない。そんな心持だったし、まだ、選挙の余熱に酔っていたのかもしれない。  万結が、「わたしで良ければ、よろしくお願いします」と言ったときの平井の、驚いたような顔は今でも忘れない。万結は平井に勢いよく抱き寄せられ、「ありがとう一生大事にするから、ありがとう」と、何度も言われた。  あれから九年が経った今でも、万結はあのときの自分の決断を、ずっと後悔している。
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