③虹の先(side*修一)

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③虹の先(side*修一)

「とりあえず雨宿りするぞ」  咄嗟に掴んだ手。激しい雨の音が耳を塞ぐ。景色が灰色に塗り替えられていく。  荷物の片付けを終え、必要なものを買いだしたところだった。カーテンを買い忘れたことに気づき、どうしようかと悩む間もなく天気が急変した。春というよりは夏みたいだ。明るく晴れていた空は一瞬にして雨雲に覆われた。雨粒とは呼べないほどの激しさで地面が打ち鳴らされる。  振り返る余裕はなかった。足元の水たまりを避けるよりも屋根の下へと走ることを優先した。掴んでいる手の熱なんてわからない。  シャッターの下りた空き店舗の軒下。ようやく雨から逃れてみれば、当然のように二人ともびしょ濡れだった。着ている服が肌にはりつき、体温を奪っていく。 「これやばいな」  離した手。じわりと残る体温を搔き消すように、リュックの中へと突っ込む。 「タオル買ったよな」  雨の音で満ちる空間。自然と声は大きくなる。内側で響く心音に気づかないフリをして、タオルを差し出す。買ったばかりで吸水性はよくないだろうけど。ないよりはマシだ。引っ越してきて早々、風邪をひかせたくはない。 「ほい。とりあえず拭いとけ」 「……うん」  朔也に水色のタオルを渡し、自分は白いタオルを手に取る。結んでいたゴムを外せば、重くなった髪から雫が落ちた。  後ろからタオルで拭きあげていく。手の中の熱はもうない。揺れ続けた心臓も落ち着きを取り戻しつつある。風邪を、と考えた自分にちゃんと幼馴染として接することができていると安堵した瞬間。  ――視線を感じた。 「どした?」  振り向けば、朔也は両手にタオルを載せたまま固まっていた。ワックスで固められていた前髪は落ち、顔には幼さが浮かんでいる。懐かしさが膨らむと同時に、自分へと向けられる視線に違和感を覚える。  ほんの数時間前にも感じた、今までとは違う――熱。  ドクン、と心臓が跳ねる。恐怖にも似た感覚が生まれる。消えていくはずの想いが主張を始める。まっすぐ見つめられているだけなのに。胸の奥にしまった熱が引きずり出されそうだった。 「全然拭けてないじゃん」  閉じてしまいたかった。視線を繋ぐのが怖かった。朔也の顔を隠すようにタオルで拭く。自分が今どんな表情をしているのかわからない。内側に渦巻く感情もわからない。 「え、ちょっと」  ――わからないことが怖かった。 「なんだっけ。こんなこと昔もあったよな。水遊びしたときだっけ」  無理やり思い出を引っ張り出し、声を落ち着かせる。朔也は幼馴染なのだと自分に言い聞かせる。 「あのさ、シュウちゃ」 「カーテンは明日にするか。さすがにこれじゃあお店入れないし」 「あ、う、うん」  一瞬遮ってしまった気がしたけれど。朔也は頷いたあと何も言わなかった。そっと手を離す。水を吸って色を変えたタオルを朔也の肩に残す。 「ま、ゆっくり揃えていけばいいよ」 「……そうだね」  ゆっくり。自分で吐き出した言葉に跳ね続けた心臓を包み込まれる。近づいてしまった距離に、変わってしまった環境にしばらくは落ち着かないだろう。けれど、時間が経てば慣れていくはずだ。朔也を大事に思う気持ちは変わらないのだから。きっとまた幼馴染として、兄弟のように過ごしていけるはずだ。 「お、止んできたな」  雨の音が遠ざかるにしたがって、熱も引いていく。  分厚い雲の隙間から光が降り、灰色に染まっていた景色が色を取り戻していく。 「……虹見えそう」  小さく耳に触れた声に、思わず笑みが零れた。  変わったと思ったのは気のせいだったのかもしれない。 「じゃあ、探しながら帰るか」  パラパラと小さな粒が残る中へと踏み出す。肌にあたる冷たさはもうすぐ消えるだろう。後ろをついてくる朔也の気配を感じながら歩く。雨上がりの空気は澄んでいて心地よい。パシャンと水の跳ねる音が耳に届き、そういえばまだ言ってなかったな、と足を止めた。 「これからよろしくな」  朔也が眩しそうに目を細める。流れる風が雲を攫っていく。 「うん。一年だけだけど。よろしくね」  明るくなった視界の真ん中で朔也が笑う。――初めて見る表情だった。  前髪は下りている。タオルは肩にかけられている。それなのにどこか大人びた印象を受けた。  ふわりと風が触れる優しさで胸の奥が揺れる。落ちてきた言葉がゆっくりと沈んでいき、理解するまでに時間がかかった。……一年? 「ん? 一年? なんで?」 「え、だってシュウちゃん来年には社会人でしょ。そしたら今のところ出て行くかなって」 「いや、院行くつもりだからまだ出て行かないけど」 「そうなの⁉︎」 「え、母さんたちから聞いてない?」 「……ない」  驚きに跳ねた声が小さく萎んでいく。母さんたちに逆らえなかっただけで、朔也は本当は一人で暮らしたかったのかもしれない。 「一人暮らしの予定が狂った?」  ツン、と鳴った痛みを隠して笑う。  こうなったらしばらくは一緒なのだから。少しでも一緒でよかったと思ってもらいたい。 「まあ、諦めろ。母さんたち家賃抑えられてラッキーってなってるから」 「うん」  小さな頷きが弾んで聞こえたのは自分に都合のいい耳のせいだろうか。 「お、虹発見」  見上げた先に現れたカラフルな光。視線を動かせば、隣に並んだ朔也も同じように顔を上げていた。同じ高さで並んだ肩が微かに触れる。こんなにも変わったのかと思うと同時、吸い込んだ空気に混じる土の匂いに懐かしさを感じた。 「ほんとだ」  振り向いた朔也が笑う。子どもの頃から変わらない柔らかな表情と大人びた眼差し。胸の奥が揺れる。痛みと懐かしさと切なさと。苦しさもあるけれど、嫌な心地はしない。  ――変わらないもの。変わっていくもの。  閉じ込めた想いはどちらなのだろう。このまま消えていくだろうか。それともあの虹のように輝きを見せることもあるのだろうか。 「帰るぞ」 「――うん」  始まったばかりの生活に不安がないとは言えないけれど。永遠には続かないこの時間を大切にしたい。  ――変わっても、変わらなくても。  この先もきっと、俺が一番に想うのは朔也だから。
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