⑥願いごと(side*朔也)

1/1
前へ
/17ページ
次へ

⑥願いごと(side*朔也)

 好きなひとがいる、そう言ったならシュウちゃんはどんな顔をするだろう。少しは気にしてくれるだろうか。俺の気持ちに気づいてくれるだろうか。そんな期待をしていたけれど、振り返る勇気はなかった。ほんの僅かでも変化があったならと思いながらも、何もなかったら傷つくのは自分だとわかっていたから。 「そっか」  背中から聞こえたシュウちゃんの声はいつもと変わらない。 「頑張れよ」  振り向かなくて正解だったのだ。  入学式、履修登録、アルバイト、サークルの新歓合宿……春は目まぐるしく過ぎていった。シュウちゃんも大学院に進む準備で忙しく、部屋にこもることが多かった。同じ場所に住んでいても二人でゆっくり話せる機会は少ない。  再会するまでは物理的に離れていた。遠距離と呼ぶほどの距離とは言えないかもしれないけれど、全く会えなかったのだからそれに等しいと思う。  今はこんなにも近くにいるのに。物理的な距離はなくなったはずなのに。どうしてだろうか、今までよりもシュウちゃんを遠くに感じた。近くにいるからこそ触れられない距離に戸惑ってしまう。  このままでは本当にただの同居人になってしまう。  危機感を抱いた俺は、ある提案をした。  週に一度、予定を合わせて家で一緒にご飯を食べる。それだけ。でも、それだけのことさえ今はできていなかった。  初めてここに来たときに作ってもらったカレーを懐かしく思うくらいに。  部屋を訪ねれば、眼鏡をかけたシュウちゃんがドアを開けてくれた。閉じ込められていたシュウちゃんの香りに触れて心臓がちょっと跳ねる。シュウちゃんはドアを開けてはくれたけれど、その場に立ったままで、中には入れてくれない。 「いいよ。今週なら金曜日は何もなかったはず」  金曜日。サークルの飲み会があった気がするけど、そんなのどうでもいい。俺にとって優先すべきはシュウちゃんなのだから。 「じゃあ約束ね。俺、四限までだから何か買い物あればしておくけど」  うーん、と小さく唸ったシュウちゃんだったが、すぐにふっと笑いを零した。 「ふ、ふは……いや、いい。朔也はまっすぐ帰っていいよ」  小刻みに揺れる肩。緩く下がった目尻。何を思い出したのかわかってしまって、「わかったよ」と返すしかなかった。シュウちゃんの笑い声も笑顔も大好きだけど、自分のことで笑われるのはなんとも言えない気持ちになる。  野菜はまるまるひとつ。袋詰めのものは一番量があるもの。実家暮らしの意識のまま買って帰ったら「どれだけ食うんだよ」とシュウちゃんに笑われたのが、二ヶ月前のこと。 「代わりにメニュー決めてよ。その通りに作るから」 「え」 「リクエスト、聞いてやるってこと」  くしゃりと頭を撫でられる。優しい大きな手。昔からそばにあった温もり。今はそれ以上のものを望んでいる自分。変わらないものに安堵して、変わらないことに苦しくなる。 「カレーがいい」 「カレー? で、いいの?」 「うん」  初めて食べたシュウちゃんの手料理。たぶんこの先もずっと俺はカレーをリクエストするだろう。忘れられない。忘れたくない。思い出ではない、再会できたからこそ食べられた。 「了解」  優しい言葉と引き換えに離れていく手。  もう少し話していたいけど、シュウちゃんの机の上がチラリと見えてワガママを飲み込む。シュウちゃんの邪魔はしたくない。 「じゃあ……おやすみ」 「ん、おやすみ」  シュウちゃんとの約束の前日。  授業が終わり、アルバイト先へと向かう。いつもは外の暑さに文句を言うところだが、今日は全然気にならない。店内が混み合おうが行列ができようが笑顔を保てる自信があった。  アルバイト先は大きな商業施設に入っている喫茶店だ。強い日差しも施設の中までは届かない。建物に入った瞬間に汗は冷えていく。  ふっと息を吐き出すと、施設の特設スペースに飾られた笹が目に入った。長机にはペンと星やハートの形をした短冊が置かれている。  そっか、今日七夕か。  子供の頃は「ヒーローになりたい」「リレーの選手になれますように」と願いごとは尽きなかった。そのうちのいくつが叶ったのだろう。短冊に書くことで満足して、その先のことは覚えていない。リレーの選手にはなった気がするけど。 「どうぞ。書いていってください」  足を止めていたからだろう。係の人に声をかけられる。  バイトあるので、と断ろうと思ったが、時間まではまだ余裕があると思い直す。 「じゃあ」  と長机に近寄りペンを手に取る。短冊は星の形を選んだ。  今の俺の願いごと。それはひとつしかない。シュウちゃんに振り向いて欲しい。シュウちゃんの特別になりたい。でも、これは俺が自分で叶えるべきもので、誰かに叶えてもらうものではない。書いて忘れてしまうようなものにもきっとならない。  キャップを外し、文字を並べる。  今の俺に必要なもの。  書き終わり、笹に吊るしていたら 「家事能力?」  と聞き覚えのある声がすぐそばで発せられた。 「っわ、シュウちゃん……?」  驚いて体を揺らせば、シュウちゃんが「そんなに驚かなくても」と笑う。いや、驚くでしょ。いると思ってないし。それにこんな近くで声がしたらさ。驚かないわけないでしょ。と言ってやりたかったが、跳ねた心臓を鎮めるので精一杯だ。 「眼鏡買い替えようと思ってさ。ついでに朔也のところ寄ろうかなって」  飲食店、衣料品店、家電量販店まで入っている施設は大学のひとつ隣の駅にあるので、誰に会ってもおかしくはない。アルバイト先にも何人か友達が来たことはある。でも、シュウちゃんは来ていない。アルバイトを始めて三ヶ月。初めてのことだ。 「三ヶ月経てば慣れた頃だろ?」  何も言っていないのに、シュウちゃんは俺の思考を読んだかのように言った。慣れない頃に来られても緊張するだろうからさ、と小さく笑って。来てくれないことに寂しさを感じていた俺は、シュウちゃんの優しさを知ってちょっと泣きそうになる。そしてやっぱり好きだなと思った。 「……シュウちゃんも、書いたら?」  泣きそうになった顔を見られたくなくて、長机を指差す。シュウちゃんは素直に「そうだな」とペンを手に取る。けれどキャップを外しはしない。んー、と唸ったまま宙を見つめている。  シュウちゃんの考えるときのクセだ。  何を書くのだろう。シュウちゃんは何を願うのだろう。気になりすぎてじっと見つめていたら「バイト、時間大丈夫?」とシュウちゃんが言った。  すっかり忘れていた俺は腕時計を確かめる。十分前。お店は三階の端。着替えをすることを考えればもう行かなくては。 「俺、行くわ」 「おう、頑張って」  シュウちゃんと分かれ、早足で歩く。  アルバイト先へと向かいながらも俺の頭はシュウちゃんが書く願いごとが気になって仕方がない。あとで店に来ると言っていたからそのときに聞けるだろうか。  ――家事能力が欲しい。  自分の書いた願いごと。シュウちゃんに見られたのが、これでよかったと思いつつも。  それでも少しだけ。もしも本当に願っていることを書いていたらどうなっていただろうか、と思わずにはいられなかった。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!

93人が本棚に入れています
本棚に追加