⑦揺れる願いごと(side*修一)

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⑦揺れる願いごと(side*修一)

 彼女はいないと知って安堵したのも束の間、好きなひとがいると言われ、緩んだ心が一瞬にして固まった。  朔也が敢えて伝えてきた意味は何だろう。彼女はいないけど、好きなひとはいるから――「シュウちゃんを好きになることはないよ」そう言われた気がした。  どこかで朔也に対する俺の気持ちが漏れていたのではないだろうか。幼馴染以上の想いを持ってしまっていることに気づいて、伝えてきたのではないだろうか。俺を傷つけないよう遠回しに……「気持ちには応えられない」と。  もしもそうなら、傷つくのはどちらだろう。  きゅっと心臓が鳴る。俺の痛みなんてこんなものだ。応えてはもらえないと。叶うことはないとわかっているのだから。  でも、朔也にとっては小さい頃から知っている幼馴染に裏切られたようなもので。俺がこんな気持ちを向けているなんて思うはずがなくて。  ――予想して身構えている俺とは違う。  気づかせてはいけない。少しの疑いなら勘違いだと思わせなくてはならない。俺は朔也を傷つけたいわけじゃないから。  朔也が背中を向けている今ならきっと間に合う。ほんの少しのわざとらしさなんて笑ってごまかせる。 「そっか」  ――好きなひとって? 同級生?  続けようと思った言葉が喉にとどまる。  ただの幼馴染なら聞けるはずの、自然な問い。朔也の恋を応援するって顔で、普通に聞けばいい。お前のことは何とも想っていないんだって。ただの勘違いだから、安心しろって。そう伝えるべきなのに。  落ちてきた痛みが抜けなくて。うまく笑えないのが自分でもわかる。ごめん。ごめん、朔也。 「頑張れよ」  声を震わさないようにするのが精一杯だった。朔也がこちらを向いていなくてよかったと心から思った。  それから俺は朔也を意識的に避けることにした。たった一日一緒に過ごしただけで、三年かけて冷ました熱が戻ったのだ。このまま加速度的に膨らんでしまうのが怖かった。  急に近づくのではなく、少しずつ今の距離に慣れていきたい。ただの幼馴染として当たり前に接することができるように。朔也を傷つけずにすむように。 「シュウちゃん、いま忙しい?」  部屋を覗きに来る朔也に申し訳なさを感じながらも、俺は「あー、うん」と曖昧な返事を返す。 「どした?」  とドアを開けはするが、決して中には入れない。立ち話で終わりたい、と態度で示す。そのくせこうして朔也が来てくれることに嬉しさを覚える。優しく笑ってしまう。完全に突き放すことはできない。幼馴染に戻るためだと言い訳して、心の奥へと想いを隠す。本当はただ嫌われたくないのだと臆病な自分をごまかしているだけのくせに。 「履修登録で聞きたいことあったんだけど、自分で調べてみる。邪魔してごめんね」  寂しさを滲ませた笑い。そんな表情どこで覚えたのだろうと苦しくなる。俺にはそんなふうに笑わないで欲しい、と。 「あ、いや。じゃあ、リビングで待ってて。もう少しで片付くから」 「いいの?」  弾んだ声に、綻んだ表情にきゅっと胸が鳴る。  ――朔也を傷つけたくない。大切にしたい。  そのために避けているのに、そのことで寂しさを感じさせていて。この想いさえなければ、ただの幼馴染としてもっと親身になってやれるのに。こんな想いさえなければ。 「すぐ行くから」 「うん。ありがとう、シュウちゃん」  ドアを閉めながら、そっと息を吐く。誰よりも笑っていて欲しいと願いながら、傷つけてしまう自分に。 「……苦しいなぁ」  漏れた言葉は窓からの風に攫われた。  筆記試験免除者の選抜。書類選考結果を受け取り、「次は面接か」と壁のカレンダーを確認する。七月に入り、カレンダーの写真はひまわりになった。ギッと軋ませた背もたれを戻し、机の上のスマートフォンへと手を伸ばす。真っ黒の画面は、ほんの少し触れただけで待ち受け画像へと変わる。  ――この頃の自分に戻りたい。  苦しくなることも戸惑うこともなく、純粋な気持ちでそばにいられた自分に。  コンコン、と小さく鳴らされたノック。  そっと息を吸い、立ち上がる。ドアを開けると朔也が「あのさ」といつもより強く視線を向けてきた。遠慮がちに窺う様子は消え、何かを決意したように。 「ん? どうした?」 「シュウちゃんが忙しいのはわかってるんだけど、でも」  言葉を切りつつも視線は揺れない。 「週一回でいいからさ。一緒にご飯食べない?」  大学院の試験勉強を理由に避けていた俺と、アルバイトやサークル活動で忙しくしていた朔也。気づけば避ける必要などないほど自然とすれ違っていた。一緒に暮らす上で必要なこと(日用品の買い出しや洗濯、食事や掃除など)はなるべく俺がやるようにしていて、それで問題なく生活は回っていた。朔也には朔也の世界がある。新しい環境に、広がる視野に、俺の存在はどんどん薄れていくだろう。一緒にいられないことを寂しく思うのはきっと自分だけだ。そう思っていた。  じっと言葉を待つ朔也。  これはきっと「一緒に暮らす幼馴染」に対する寂しさだ。勘違いしたくなる自分を押し込め、先ほど確認した予定を思い浮かべる。 「いいよ。今週なら金曜日は何もなかったはず」 「じゃあ約束ね。俺、四限までだから何か買い物あればしておくけど」  朔也の顔がほっと安堵の色を見せる。こんな些細なことで緊張させていたのか、と申し訳なくなる。俺は朔也にとって「話しやすくて、相談しやすい年上の幼馴染」になれていなかったのだ。反省の意味を込め、いつもならすぐに「別に大丈夫」と返すところを、ゆっくり味わうように思考を回す。  浮かんだのは、買い物を頼んだ日のこと。  二人暮らしだってわかってるよな? と尋ねたくなるほど大量の野菜が置かれたテーブル。よかれと思って選んだのだろうと思いつつも苦笑せずにはいられなかった。 「ふ、ふは……いや、いい。朔也はまっすぐ帰っていいよ」  苦しさでも申し訳なさでもなく。胸の中がくすぐったくなる。こんなふうに自然と笑えたのは久しぶりかもしれない。  纏わりつく蒸し暑さから逃げるように建物に入る。ふわりと冷たい空気が体を包み、自然に息が漏れる。  度が合わなくなってきたことに気づき、眼鏡を買い替えにやって来た商業施設。大学の最寄り駅のひとつ隣。朔也のアルバイト先である喫茶店もここに入っている。  そろそろ様子を見に行ってもいい頃だろうか。  慣れるまではあまり見られたくないだろうと気を遣っていたが、働いている朔也を見てみたい気持ちはずっとあった。家の中で見るのとはきっと違うだろう。たまに大学の構内ですれ違うことはあるが、ゆっくり視線を止めることはできない。  思い出の中ではない、今の朔也。少しずつ変わっていく姿を見ることが嬉しいのか、寂しいのか、どちらなのかは自分でもわからなかった。  ――店に着く前に会うとは思わなかったけど。 「……シュウちゃんも、書いたら?」  朔也に言われ手にした短冊。すぐに書けるかと思ったのに。朔也を見送ったあとも、まだ俺はペンのキャップを外せずにいる。 『家事能力が欲しい』  朔也が下げた星を見上げる。  そんなこと気にしてたのか、と笑みが零れる。 「願いごと、か」  七夕に願わなくてはならない、自分では叶えられないとわかっているからこそ書くもの。  ――俺はどちらに進みたいのだろう。  自分で叶えられないと思うのはどちらだろう。  朔也への想いを諦めること。  朔也への想いを成就させること。  どちらも今の自分には無理なことに思えてならない。とくに後者を望むことは、朔也の幸せを奪うことに繋がる。そんな自分勝手な願いを吊り下げられるわけがない。  だけど……諦める方を書いて、もしも本当に叶ったら、自分は嬉しいのだろうかと考えてしまう。ずっとずっと持ち続けた、何年もずっと。この苦しさから逃れたいと思っていたのに。こんな願いごとひとつまだ書けない。  ペンのキャップを外す。  自分の願いを決められないなら。  きゅっと文字が短冊に並ぶ。それを朔也の隣に結ぶ。エアコンの風で揺れるそれを見つめ、俺は歩き出した。  ――『朔也の願いが叶いますように』  俺の基準は変わらない。
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