01.多分これが運命ってやつで

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01.多分これが運命ってやつで

――藤井清良の世界には、埋まらない『空白』がある。  そう。目の前に。人一人分の無が。  無いものを気にする事ほど無駄なことはないというのに、その無の先に黒板がある以上目をそらすこともできず。   今日も今日とて、清良はその無を見つめている。 (……今日も来ない)  本来なら、その席には中尾という男子生徒が座っているはずだった。  それなのに入学式から1ヶ月経ってもその姿を見ることは叶わず、クラスメイト達はすっかりその不在を当たり前の景色として受けいれてしまっている。  そりゃあそうだろう。誰だって、居ない人間のことよりも目の前の現実のほうが大事だ。  特にこの学校は私学故に持ち上がりという制度もなく、教室の中は9割9分、はじめましての集合体である。  今現在の振舞いや選択は、確実に今後3年間に影響するだろう。彼らからすれば「そんな大事にな時期を棒に振るほうが悪い」のであり、その無関心ですといわばんかりの態度は清良も大いに賛同――いや、むしろできるなら積極的に無関心でありたいと思う。それが紛う事なき本音だ。  そこに無がなければ。と、逃げようのない席の配置に思わず溜息が零れる。  「……今朝の伝達事項は以上だ。最後に、これは明日の話だが、ようやくこの教室にクラスメイトが全員揃うことになる」  しかし彼らの担任である杉田が突然、そのようなことを言い出したものだから。  教室の空気が、大きく揺れた。 「先生!中尾君が出てくるってことですか?!」 「マジで~?! 登校拒否って1ヶ月で治るもんなの~~?」  真っ先に声をあげたのは、クラスの中でも一際騒がしい男子グループだった。  賑やかな部類である運動部組とはタイプの違う、総じて感じのよくない発言が目立つ、ちょっと悪ぶりたいお年頃といった感じの集団である。 「登校拒否なんてしてないぞ。誰がそんな適当なことを言ったんだ」 「じゃあなんで1ヶ月もこなかったんだよ」 「怪我をして入院していると俺は入学式の日に言ったはずだが?」 「だから、心の怪我でしょ」 「うわっこいつサイテー」  何がそんなにおかしいのだろう。サイテー、と責めるような言葉を口にした生徒も一緒になってゲラゲラと笑いだし、多くの生徒が眉を顰めた。  清良もその中の一人だ。清良は自分のことを善人だとは思っていない。けれど一般的な感性の持ち主ならば、今の一連の発言には『不快』の二文字をくくりつけるのではないだろうか。 (……これはまずいんじゃない? 先生)  来る前からこの調子じゃあ、明日以降どうなるかなんて目に見えている。 「お前達、いい加減にしろ! ……俺は何度か本人と話をしたが、こちらが気後れするほどしっかりした奴だった。だが出遅れたこともあり不安も大きいみたいだ。お前達が、しっかりとサポートをしてやってほしい」 「せんせー、俺らが面倒みるから安心しろって」 「そういうの得意だもんねー? 俺らー」 「……勿論、お前達も気がつくことがあれば手伝ってやって欲しい。だが、そうだな……藤井。藤井清良」 「……はい?」  いじめとか起きたら嫌だな。とか、毎日この調子は気が滅入るな、とか。  完全に他人事として傍観していた清良だが、突然思いがけないところで名前を呼ばれ、びくりと身体を揺らした。 「お前に任せる」 「は? え? なにを?」 「中尾のサポートだ。……話聞いてたか?」 「聞いてたけど、え?! なんで?!」  晴天の霹靂。まさかのご指名である。 「後ろの席だし、都合がいいだろ」 「いやいやいやいや、まって!」  席が後ろだから。そんな雑な理由であらゆる意味で面倒なことを押し付けるのは勘弁してほしい。  清良は慌てて立ち上がると、『無』のひとつ先の背中、そして両隣をくるりと見渡した。  両隣は女子列。まあ確かに、事故物件といっても差し支えない男子生徒の扱いに女子は向いていないかもしれないとそこは素直に諦めるとして。  前方の席は男子だ。間に『無』が挟まっていることもありプリントの受け渡しくらいしかやりとりをしたことがないが、杉田の基準でいえば彼にだって同等の義務が生じるのではないだろうか。  清良は大きく息を吸い、その背中を指指した。声高らかにいってやるつもりだったのだ。「手島君だっているじゃないか」と。  だが運悪くタ行の苗字を背負って生まれてきてしまった手島は、一切こちらを見ようとはしなかった。  教室中の目が清良に向く中でのその頑な態度は、明らかに自分にも矛先が向いていることを理解しているというのに。 「……ん、んんんんん~!!」  こっちに振るな、押し付けるなと怒ってくる相手ならばまだよかった。  だが手島はそうじゃない。言い返すとか、怒るとか、そういったことが出来ない人種なのだろうということは、普段の彼の様子からもわかる。  とにかく、気が弱いのだ。  そんな彼にうまい事サポート役を押し付けたとして。――想像できる未来は、明るくはないだろう。むしろ二次災害まで起きそうだ。 「……わかったよ! やればいいんでしょ!」  清良が降参のサインを出すと、手島は目に見えて肩の力を抜いた。  頑なだった視線が動き、一瞬だけあのグループのボス見て、また正面に戻る。 「お前ならそういってくれると思ったわ。とりあえず今日のところは、中尾の机の中を整理しておいてくれ。適当にプリント突っ込んでんだろ。んで、放課後俺んとこきて」 「――へーい」  ちくしょう、と独りごちて椅子に座りなおすと、斜め前の席――『無』の隣席に座る女子、霧島旭がにやにやと笑いながら清良を振り返った。  旭とはこの1ヶ月でそれなりに交流を重ねているため、距離感は充分に友達のそれだ。 「キ~ヨ」 「なあに、旭ちゃん」 「あんたって、いいやつだね」  旭が寄越したのは、ストレートな賛辞だった。  清良としてはただ空気を読んだだだけのことで、良い奴といわれるような善行を行ったつもりは全くない。  それでも今後の気苦労を思えば、「そんなことないよ」と返す気にはとてもなれなかった。 「もっと言って」  美人からの褒め言葉は、万病に効くものだし。
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