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やあ、お目覚めかい。あまり動かんほうがいい。足をくじいているみたいだ。運が良かったな。ここはまだ沙漠の端っこだが、俺たちが通らなかったら確実に干からびていたところだぞ。
おまえさん、あそこの岩場から落ちたんだろう。この辺りはときどき北から突風が吹いてくるんだ。あれに落っことされたんじゃないか? そう、急にぬるい風が体にまとわりついて、次の瞬間ドッと突き飛ばされる。俺たちはお婆のため息と呼んでるがね。積年の恨みをぶつけられるようなイヤ~な感じだろ。
ははは、思い当たることがあるって? そりゃご苦労さん。あんた、可愛い顔して何やらかしたんだい。ああ、言わんでいい、今は客人として迎えよう。しばらくこのテントで休んでいくといい。待ってろ、命の恩人を呼んでやるから。
おーい、フララ。おまえの見つけた旅人が目を覚ましたぞ。水を一杯くんでくれ。ああ、待て待てそれじゃ多すぎるだろう。気持ちは嬉しいが、ちょっとずつだ。俺たちの分も残しておいてくれ。徹夜で走ってくれたアンシアがくたばっちまうぞ。こっちの器に水を分けて、アンシアにも飲ませてやるんだ。なに、あいつのたてがみがいつになく真っ青だって? 仕方ないな……ちと無理をさせすぎたか。怪我人もいることだし、出発は様子を見よう。
さて、自己紹介がまだだったな。俺はクロ。緑の髪は珍しい? ああ、そうだな。この辺りじゃあまり見かけないかもしれん。さっきの女の子はフララだ。あの金髪は綺麗だろう? 多少日に焼けちまったが、あたたかな色合いがいい。お、気に入ったか。そうだろうそうだろう、なかなかお目にかかれない美人だろうが。
おまえさん、腹は減ってるか。昼の残りだが、不味いパンがある。は、は。そんなに警戒しなくていいぞ。運が悪けりゃ一晩腹をこわすだけだ。本当にダメそうなら、近くの村まで運んでやるとも。馬のアンシアが走れれば、だがな。あまり期待はせんでくれ。
俺たちのことか? うん、ちと訳ありでね。そうかい、そう言ってくれると助かるよ。機会があったら話してやろう。そのうちな。
おお、フララ。お疲れさん。ちょっと旅人さんの様子を見てやってくれ。そろそろ湿布を貼り替えよう。なに、薬がなくなりそうだって? ああ、わかった。それじゃあ今夜頼めるかい。ありがとう。明日は美味いもん食わしてやる。いやいや、俺を信じろって。爆発するのは三回に一度だろうが。
おまえさん、歳はいくつかね? そうか、フララと同じくらいだな。どうだ、ここで体を休める間、あの子の話し相手になっちゃくれんかね。といっても、フララは言葉を話せないんだ。おまえさんの旅の思い出を聞かせてくれたら、あの子の慰めになるだろう。必要ならその辺の砂に書いてくれ。紙は貴重だからな。
礼は後でかまわんよ。お? おまえさん、ホシクズムシを持ってるのか。そいつぁ新月の夜に空からポトポト落ちてくるちっこい奴だろう。あまり美味くはないんだが。珍しいムシだよな。人の多い都市には生息していないんだ。フララもマントを広げてたくさん受け止めるのが好きでね。甲羅は暗い場所で光るから、売れば小遣い稼ぎにはなる。ちょいと加工してネックレスにしてみたりとかな。
さあ、ちっと腹に入れておけ。固いパンだが食えなくはない。チーズもつけてやろう。湿布の調子はどうだ。また痛み出したら言ってくれ。ははは、泣くな泣くな。せっかく生き延びたんだ、楽しくいこうや。
おまえさんの故郷はずいぶん遠いのか。ふうん、一人っ子ねえ。え、兄弟はみんな病で倒れた? そりゃあ……なんていうか、残念だったな。親を残してきちまってよかったのかい。異端者か。そりゃあ難儀だったな。そうかい、そうかい。ふうーん。
そろそろ月が出てきたな。ずいぶん細い月だぜ。猫の目のような、ってやつだよ。どうだ、痛みはマシになったか。外に出られそうか? 面白いものを見せてやるぞ。
お、歩けるのかい。若いもんは回復が早いねえ。しっかりマントを羽織っておけよ。少し寒いからな。今夜は星が綺麗だ。そろそろ雨の季節が来る。この星空も見納めだ。
ああ、ランプは点けなくてもいい。足元に気をつけろ。蠍に刺されたら薬がない。今、そのための薬を作ろうというのさ。
そら、テントの裏に繋いである馬、あれがアンシアだ。全力疾走してヘトヘトだっていうのに、砂に埋もれてぶっ倒れてるおまえさんを乗せてここまで来たんだ。フララが見つけなかったらまったく視界に入らなかった。今は疲れて眠っているから、挨拶は明日にしてやってくれ。
フララとは何か話したかね?
うん、そうだ。あの子は星の神話が好きなんだ。ホシクズムシの物語はどの国にもあるよな。奴らの小さな光は、人間より古い時代の神々が魂となった姿だといわれているだろう? 新月の夜、道しるべとなる月の光を見失って地上に落ち、そこで繁栄した神々の末裔が俺たちだ、っていうご都合主義な話さ。あ、……と、神への冒涜だな。このことはあの子に言わんでくれよ。はは。
フララはあそこにいるよ。あの金髪、月の光を受けると仄かに光って見えるんだよな。妖精みたいに。満月の夜はもっと美しいぞ。なにぃ、キザなセリフだって? いいか、俺にも教養というものがある。見た目で判断せんでほしいね。
ほら、静かにしてろ。フララが舞う。少し風はあるが、砂つぶてを食らうほどではなかろう。
始まったぞ。
満天の星空の下、沙漠で少女が一人、音も無く舞っている。いい景色じゃないか。
……どうだ。流れるような動きをするだろう。あの子は言葉の代わりに全身で感情表現するようになった。笑えば高らかに拍手をするし、怒れば腕を振り回して地団駄を踏む。小さい子どものように。舞はその副産物だな。
笛のひとつもありゃあ、舞に合わせて一曲披露してやるんだがなあ。俺に音楽の素養はないもんで。
あの細い脚でくるくる回る姿は何度見てもうっとりしちまうね。おっと! あぶねえ。この砂場で舞うのはまだ慣れてないんだ、転んで頭を打ってくれるなよ。
ん? ああ、そうだ、新月の夜に舞えば、ホシクズムシの小さな光が降ってくる。ムシたちがチカチカ光りながら愛を交わしている真ん中で、舞姫はマントをひるがえして沈黙の歌をうたうのさ。
……聞きたいか? うん、そうだな。おまえさんなら話してもいいだろう。ちと長くなるが、いいかね。
俺たちの国の名を知っているか。そうだ、大国に囲まれた肩身の狭い国だ。
フララは王女だ。本名を聞けば、ああそういえば、と思い出すはずだぜ。フララは長子ゆえに次期女王が確定していたんだが、王族のごたごたでな、妹君に暗殺されかけた。腕の良い術師がいたんだな。喉を開かずに声だけ持っていっちまった。障害者にしてしまえば、王位を継ぐ権利は失われる。妹君にも温情ってやつがあったのかねえ。姉君を溺愛していたらしいから。ふつうなら目玉を抉るくらいやるものさ。
孤独に舞いながら、フララは何を考えているのか?
さあてな。あの子に聞いてみな。
あ、フララが天高く腕を掲げた。ちょうどてのひらに月を乗せているように見えるぞ。いい角度だ。……おまえさんにもわかるか。フララの腕から蛇のようにうねうねしたものが伸びている。
さっきの続きだが、フララは王位を剥奪されたうえに、かけられた術が悪質で面倒なことになっちまった。見てみろ。
あれは植物の芽だ。両腕から生えてくるんだよ。やがて長い蔓が幾重にも束になって、あの子の身体を覆い尽くす。そこに白い花が咲くんだが、これが薬になる。葉もスープに入れれば立派な食事になる。
うん? 気になるか。フララの身体から生えた植物はあの子とは別物だぞ。人を食べているようで気分が悪い? そうだろうな。俺も最初のうちは深く考えすぎて何度か戻していた。
慣れとは恐ろしいものだ。今ではあの葉を見ると腹が鳴る。専用のスパイスも開発したぞ。ちょっと辛い味つけにしてやると美味いんだ。
俺は王女の従者の一人だった。フララの呪いを初めて見たのが俺だったが、全身に緑の蔓を絡ませ花を咲かせている王女は、もう人ではなかったな。
見つかって始末される前にあの子を城の外に出した。俺はこっそり森の廃墟に匿ってやろうとしたんだが、そのまま一緒に走ってきちまった。まあ、なんというか、あれだ。うん……。
身を隠しながら逃亡している間は主従関係を匂わせてはいけないんでね。旅の相棒として、くだけた物言いを習慣とするのにけっこうな時間がかかったもんだ。
次期女王の座を奪った妹君は、挨拶程度に刺客を送ってくる。蚊に刺されるみたいでうっとうしいったらないね。何度か危ない目にも遭ったが、ほとんどが程度の低い見てくれだけの凡骨だった。遊ばれてるのさ。俺たちはこんな辺鄙な沙漠まで逃げてこなきゃいけなかった。
けどな、俺たちもただでやられたりはせん。フララの面倒な呪いを上手く活かす術を考えていたんだ。
俺たちは新しい居場所を作ろうと思っている。知らない国にコソコソ隠れるのではなく、山の奥に引っ込むのでもなく、堂々と生きてやろうと思ったね。建国なんてデカいものじゃなくても、小さな街くらいなら手が届きそうだろう?
まあ、今はまだ夢物語なんだがな。フララは王女という肩の荷が降りた。もうまともな人間生活にも戻れない。これからは好きな生き方をすればいいのさ。
沙漠に雨が降る頃、フララの花の種を植えるんだ。すぐに芽を出すぞ。砂が乾く前に土壌を整えられるかどうかは、神のみぞ知る、てところだがな。
新しい街を作ったら王国の連中が大軍で潰しに来るかもしれないって?
ははは、そこはフララ女王のご加護があるからね。街中に張り巡らせた植物の鉄壁が侵入者を許さない。将来の目標としては、デカい食虫植物なんかも作ることができればいいんだがな。兵士の代わりさ。
今まで何十人もの刺客に王女の呪いを植えつけてきた。蔓の先をちょっと口の中にねじ込んで汁を舐めさせるだけだ。しかし、皆すぐ身体が腐って地に還ってしまった。フララの花の苗床にでもしてやろうと思ったんだが、使えない奴ばっかりだ。
やらなければ、こっちがやられるんだ。王女もだいぶ肝が据わってきた。こう、太い蔓を使ってな、捕まえた刺客を無言で絞め殺すとき、灰色の目をしているのが痛ましいが、王族に生まれたものの背負う道だ。命ある限り、害悪は排除せねばならん。
どうした、震えているぞ。寒いか? テントで休んでいてもいい。気のせい? ならいいんだが。む、今のフララはサボテンのように見えるって? ははあ、言い得て妙だ。
さあ、舞は終わりだ。こっちへ来い。
やあ、フララ。立派な花が咲いたなあ。大輪だ。おまえさんも手伝ってくれ。そこのカゴを取って。うん。フララは植物に縛られて動けないんだ。早く助けてやろう。まずはナイフで花を切り落とす。ひい、ふう、みい……今夜は調子が良いぞ。友達ができたからかな。
俺の手が黒く見える? 切り口から出てくる粘液は後で洗えばいい。ああ、そうだ。これは植物の血だよ。……赤だ。直接見ると心臓に悪いから、フララは夜に舞うんだ。
ううむ、今夜はやけにベトベトするな。ほら、花を切ったら次は葉を摘むぞ。新しいカゴを……
あ、おい、こら待て! 一人で沙漠に出たらいかん。死にたいのか! くそ、カゴをひっくり返しちまいやがった。……おい!
…………
……い、
……おい、
生きてるか?
へえ、けっこう体力あるじゃないか。足をくじいてるのに走っていくとはね。な? フララの薬はよく効くだろう。
おまえさんが持ってるホシクズムシを詰めた袋、あれにちょいと穴を開けさせてもらった。後はわかるよな。アリの行列ならぬ、ホシクズの行列を俺は辿ってきたのさ。闇夜の沙漠に点々と光る道はなかなか幻想的だったぜ。
新月は明日だ。光る豆粒があちこちに落ちてきたらおまえさんを追う目印を見失うところだった。
さあ、動くんじゃない。いてて、暴れるな。意外と力がありやがる。はは、いい面構えだ。俺は一人で来た。フララとアンシアはテントで待機している。もうあの子も護られるだけのお姫様は卒業したんでね。自分の身は自分で護れるさ。
おまえさん、さっきパン食ったよな。あれにフララの花の蜜を練りこんである。しかし腹ひとつ壊さなかった。免疫の高い異常体質が幸いしたな。
俺も同じだ。元々王女の毒見係だったが、危篤状態を繰り返しているうちになぜか毒への耐性がついちまった。今じゃ何を食ってもピンピンしてるよ。
俺はフララの呪いを分けてもらった第一号だ。あの子のように植物を操ることはできないが、こうしておまえさんの頭の中に直接語りかけることができるようになった。なかなか使える呪いだよ。深夜に刺客から追われても、暗闇でフララに指示を与えられる。
おまえさんが何を目指して人の領域を超えた場所に入りこんで来たのかはこの際聞かないでおこう。独りで沙漠を越えようなんて、なかなかどうして蛮勇じゃないか。
俺はおまえさんが気に入った。どうかね、俺たちと一緒に来ないか。さっきも言ったろう。新しい居場所を作ると。
どうせおまえさんにももう帰る場所はあるまい。
ふうむ、首を振るか。おまえさんをみじん切りにしてスープの具にしてもいいんだが。俺が料理を作ると爆発させちまうことがあるからなあ。理由は知らん。知らんぞ。
あせらず考えてみることだ。おまえさんの髪の色が変わったとき、どんな呪いの効果が現れるのか楽しみにしているぜ。
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