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 僕は素早く野帳にスケッチを残した。船頭も入港のために慎重になり、しばし船上は沈黙に包まれる。船は港に入る際に一度大きく傾いたが、その後は何事もなく海面を滑り、緩やかに埠頭へと着岸した。  コンクリートに足を着ける。ザラついた凹凸の目立つ表面は、潮風による風化を強く感じさせた。   僕は船頭に礼を述べ、待ち構えていた旅館の番頭に頭を下げた。その後は送迎車で市街へ。この島の唯一にして最大の集落だというが、市街という言葉が大袈裟に感じるほど、小ぢんまりとして物悲しい風景が広がっていた。  僕が地図を求めると、番頭は快く観光用のパンフレットを提供してくれた。島全体はまるで昭和の半ばで時を止めているようだというのに、パンフレットだけは気の利いた今風のデザインだった。おそらくは県からの助成金で作ったのだろう。近頃話題の地域復興助成金が現場を置き去りにしたバラ撒き政策だという話を思い出し、僕は少し苦い気持ちになる。  その日はこの旅の一番の目的である、時姫神社の調査に行った。言い忘れたが、僕の本業は民俗学者である。全国の離島を回って特徴的な寺社仏閣を調査し、離島専門誌に寄稿しているのだ。地味なうえに時間と金の掛かる仕事だが、そのひとつひとつが異界のように空気を異にする離島は、僕にとって日常からの乖離を強く感じさせてくれる、心躍る存在だった。  時姫神社。祀られている女神は時を司ると言われていた。時姫は人間の青年との恋の末、自らの時を遡る力を用いて青年を死の淵から救おうとする。壮大な恋の物語が語られている場所だ。  こんな辺鄙な離島でなければ、恋人たちの聖地としてさぞやもてはやされていたことだろう。生憎、僕にはあまり関係のない場所だ。淡々と実地調査だけを進めていく。  調査は滞りなく終えることができた。もともとの逸話のドラマ性もあり、僕は記事の成功を確信して満足する。
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