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 滞在二日目、僕は溝口邸への道を辿っていた。現在は役場の管理になっているというが、訪れる者もいないのだろう。屋敷に至る道は雑草が深く生い茂っていた。歩いているうちにトレンチコートの下には汗が滲み、腕まくりをしたらたちまち蚊に刺された。前途多難だと僕は溜息を吐く。  正面に着き、改めて屋敷を見上げる。  塗装はほとんど剥げかかっているが、陰気な松林に囲まれた白亜の洋館は、おぼろげな光を纏っているかのように浮き上がって見えた。それは優雅な貴婦人のようにも、虚ろな幽鬼のようにも見える。木製の雨戸を硬く閉ざし、時代も惨劇もその内に秘めたまま、きつく口を引き結んでいるのだろう。  ポーチを上がり、玄関扉に手を掛ける。鍵は壊れているらしく、警戒色のロープが幾重にも巻かれているだけだった。容易く外せる封印を解き、僕は慎重に屋敷の中へと足を踏み入れる。  黴臭さが鼻を突いた。ここは市街よりも海が近い。磯の臭いはこの高台まで這い上がってきているが、それでも屋敷は当時の様相をそのまま残していると言ってもよかった。高所にあるがために湿気から守られてきたのだろう。松林によって、風雨からも。  正面には二階へ上がる階段が。吹き抜けの天井には照明が吊るされていた跡があるが、落下の危険性から外されてしまったらしい。絨毯は大きな染みによって本来の色を失っているが、もとは鮮やかな臙脂だったに違いない。調度品の数々もそのまま残されていた。突き当りには人の背丈ほどもある古時計が、屋敷と共に時を止めていた。  一歩踏み出したところで、背後の扉がガチャリと音を立てた。建付けが悪く閉じ切らなかったはずなのに。驚いて振り返った僕の頭上を何かの影が横切り、再度僕は前を振り向く。  そこには、あたかも今を生きるように息衝く洋館が広がっていた。
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