ヒナタカゲ

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神保町のラーメン屋。 日向(ヒナタ )が一人食べていた時に、その人はやってきた。 開口一番、その人は店内に響く大きな声で、塩ラーメンで!と言った。 それから、その人は日向と一つ開けたカウンター席に座った。 夜中22時30分。店内は、日向とその人と店主だけ。 日向が残りわずかな塩ラーメンをすすっていると、その人は声をかけてきた。 「ここの塩ラーメン、おいしいですよね」 突然言われたもんだから、日向も、え、ああはい、と詰まったような返事になった。 その人はそれだけ言うと、また元に戻った。 何か、どこか見覚えのある顔をしていた。   その日もまた、家に帰って風呂に入り、髪を雑に乾かして、そのまま布団を被りながらまたSNSを徘徊した。 毎日のルーティンはいつもこうで、変わり栄えのない日々。 残業ばかりで疲れてしまって、ただ目標もなく毎日をやり過ごす。 いつだっか、自分のアトリエを持つ夢も日向はもうすっかり忘れていた。 もうやめようと思って、指をスマホから離した時、一つの文章が目に留まった。 「ティーンの魔法事件って覚えてる?」 これの下に、赤色の文字で「怖い不思議な事件」と書かれていた。 詳しい概要が、更に下に書いてあった。   「2007年頃、一部のネット界隈で話題になったティーンの魔法事件。 10代の若者が、「ティーンの魔法」と謎のメッセージを残し、失踪する事件が多数発生。 彼らは皆、12月の同時期に失踪。 その後、彼等は発見されたというが、真相はわからないままである」   「気味の悪い話だな」 しかし、日向にとって、それはどこか馴染みのある言葉だった。 「ティーンの魔法…」 日向はそう呟いて、何か昔の事を思い出そうとした。 でも思い出そうとすれば、何故かそこの記憶が変形して、上手く合致させることができない感覚になる。 日向はそのまま段々と眠気に襲われ、目を閉じた。   翌日、仕事が終わってやっと帰れる頃には、夜はすっかり更けていた。 最近は、定時では帰れない日々が続き、残業ばかりのデスクワークに日向は少し参っていた。 瞼を閉じれば、そのまますぐ眠ってしまうぐらいの疲労感で、歩くのもおぼつかなかった。 自分では眠っているのか、起きているのかわからないような感覚で、足だけを勝手に進めるようにした。 すると、急にパッと強い光を感じた。 すぐ横で聞こえる空気を破裂させるような、ビー、という警告音。 一気に意識が戻って瞬間的に横を向く。 すぐ真横に車のヘッドライトが見えて、その瞬間がスローモーションになる。 「ああ、まずい。このまま死ぬ」 そう思って、身体の力が一気に抜けた瞬間、何かに捕まれて、グッと身体が後ろに引き戻された。 車が目前をブワッと勢いよく通り過ぎていく。 ヒナタはただ呆然としながら、思わず腰が抜けてしまった。 「大丈夫ですか?」 すぐ後ろでそう聞こえて振り返ると、昨日ラーメン屋にいた人が中腰になって、日向に手に差し伸べた。 「あなた赤信号で行こうとしてたから」 見ると、10メートル先の信号は赤信号になっていて、言われてみたらまったく気づくことはなかった。 仕事の疲れからか、思わず死ぬところだった。 「あ、ありがとうございます」 日向はその人の手は貸してもらわず、自力で立ち上がろうとしたが、中々力が入らなかった。 すると、その人は日向の手をグッと掴んで、ひょい、と立ち上げさせた。 「すみません、ありがとうございました」 その人は、日向は見てから少し笑って、それじゃあ、と言って立ち去ろうとした。 あの笑顔、やっぱり知っている顔だった。 その人の後姿を見ながら、思い出す。なんだったか、ずっと記憶を遡る。 その人は青信号を渡っていく。5メートル、6メートルと離れていく。 あっと日向は思わず声に出した。 息を沢山吸って、景?と日向は声を張った。 その人は、一瞬そこで止まった後、スッと振り返って日向を見て、ピースサインをした。 「当たり」     前行った神保町のラーメン屋。 深夜は1時までやっていて、店内は仕事終わりのサラリーマンや深夜トラックドライバーが3人程度いるぐらいだった。 「はい、塩ラーメン1つね」 テーブル席に、店主がそれを置いてまた厨房に戻っていった。 「景、久しぶり」 景はそれには反応せず、割りばしを開けて、うまそー、と言った。 「というか、お礼がラーメン屋で本当に良かったの?」 もう景はラーメンをすすりながら、十分だよ、と言ってメンマをすぐに口に入れた。 食べるのがせわしない景を見ながら、日向が改めてこの人が、かつての景だったことに驚いた。 新田景(ニッタカゲ)。日向が中学3年生の時に、仲が良かった人だった。 「ラーメン屋で私のこと、気付かなかったの?」 「日向のような気がしたけど、自信がなかった」 景はそう言って、また麺をすすった。 「中学の時、以来だよね?」 「そう、なるよね」 景は一瞬考える素振りをした後、箸を止めたと思ったら、またすすりだした。 黒が脱色されたような薄い茶色の前髪が目に少しかかっていて、大きな二重の目や、ぴょこっと小さくある鼻は中学の時からあまり変わっていないように思えた。 そういえば、聞きたい事や知りたい事は山ほどあった。中学の時からこれまで何をしていたのか、今仕事は何をしているのか、結婚しているのか、どこに住んでいるのか、そうやって頭の中の質問が沢山浮かんでは、それらを抑えた。 景はもう少なくなった麺を箸ですくいながら、チャーシューやナルトを一緒にパクパクと食べ、スープをすすっている。 フッと景が日向を見た。 「日向、中学の時からこれまで何してたの?」 景の口調や、その言葉のイントネーションは中学の時からまるで変わっていなくて、日向は思わずフフっと笑ってしまった。 「中学の時から、景のその話し方、変わってないね」 景は口をもごつかせて、そうかな、と言った。 「中学から今まで、色々なことがあったけど、まぁ今はとりあえず神保町でデザインの仕事してる」 景は、ほへーと言って、凄いなぁ、と単調に言う。 「景は、その、どうなの」 あえて抑えていたことを、日向はそれとなく聞いてみた。 景は食べ終わって、そのまま箸を置いた。 「今は、地元でサラリーマンやってる」 日向は、そうなんだ、と相槌をわかりやすくうってみせた。 ふとスマホを見ると、時刻は深夜0時半となっていた。 景がそれとなく手持ち無沙汰にしているのを見て、日向もバッグを手に取った。 「そろそろ、出ようか」 景も、そうだね、と言って、二人でラーメン屋を出た。 薄暗い街頭が並び、この時間の人通りはとても少ない。 日向は別れるタイミングに困って、言い出せないままでいると、どうやら景も同じようだった。 少しだけ間が空いて、風が吹いて二人の髪が揺れた。 「それじゃあ」 日向は流れるように景に言うと、景はそのまま黙った。 景は、日向をスッと見る。 「僕、もうあの時のことは気にしてないし、大丈夫だよ」 日向も、景を見た。 景は少し笑って、本当に全然気にしてないから、と言った。 「ねぇ、このあと…うちくる?」 日向が躊躇いながらそう言うと、景もまた躊躇いがちに頷いた。   1LDKの部屋、東京の家賃はこれでも高いほどだった。 景はテーブルの前に座ってテレビを見ていた。 「お酒、いける?」 日向は冷蔵庫をあけながら聞くと、景は、多分いける、と言った。 「多分ってなに」 日向はフフっと笑って、缶チューハイを二つ持って、景の横に座った。 「乾杯」 二人は、テレビから流れる深夜バラエティ番組の前で、酒を飲み交わした。 酔っ払っているのか、景が時々とんちんかんな事を言うと、日向はそれに笑ってツッコんだ。 いくらか飲んでいると、先に日向が大分酔ってきて、景もぼーっとしていた。 日向は身体が火照って、景を求めそうになる自分を抑えながら、またグッと酒を飲んだ。 景にそういう気はないのか、日向の意識はただ混沌とする中で、景を見た。 「景って、恋愛経験は?」 酒に任せて聞くと、景は、そんなにないなぁ、と言った。 日向は酒のせいか、景のその顔に、懐かしさと愛しさを覚えた。 「私は、めちゃくちゃあったよ」 ぶっきらぼうに日向がそう言うと、景は少し寂しそうな顔で、そっか、と呟いた。 「何、私のこと好きだった?」 日向はふざけながらそう言ってみると、景はただ何も言わず、酒をまたグイっと飲んだ。 「やっぱり僕、お酒あんまり好きじゃないや」 そのまま、部屋はテレビの音だけが聞こえる静寂になった。 それからすぐに、日向は段々と意識が濁ってきて、そのまま寝てしまった。 翌日、日向がベッドで起きると景はいなくなっていた。 日向は、あのまま床で寝てしまったはずだが、景がベッドまで運んでくれたのか、と思った。 置手紙もなく、そういえば連絡先だって聞くのも忘れていた。 「もう地元に帰ったのかな」 最後に挨拶もなく別れるのは、前と同じみたいだ。 自分がしたことを今度は景にやられたのだ、と思った。 そのまま、その日は心に穴が開いたような感覚がして、仕事があまり手につかなかった。   その日もまた残業だった。今度はしっかり意識を保ち、帰路につこうとした。 昨日の交差点が見えてきて、また景を思い出した。 信号は赤。今日は、この時間でも車は多かった。 「あれ」 10メートル先の信号機、まるで止まることを知らないように、交差点に吸い込まれていく人がいた。 ぼんやりした薄暗い街頭、でもその後姿ではっきりわかった。 すぐ横に見えた黒のワンボックスカーはスピードを落とさずにやってきている。 「景!」 景がフッと後ろを振り向いたと同じタイミングで、彼の目前をビュンっとワンボックスカーが通過した。 景は少しくたびれた顔で、日向を見ていた。 日向は景のところに走ると、景の服装が昨日と同じであることに気づいた。 「景、どうしたの?」 景は酷く苦しそうな顔で、ずっと日向を見つめながら今にも泣きだしそうだった。 「ちょっと、そこで話聞くから」 日向は景の手を無理矢理引っ張って、近くの公園まで急いだ。   ベンチと滑り台、それにドーム状の遊具があるだけの寂しい公園だが、都内にしては広い程だった。 また、そこは中学生の頃、景と日向がよく遊んでいた公園にそっくりな造りだった。 肌寒そうな景を見ると、どこか今にも消えてしまいそうで、思わず自分の羽織っていたクランチコートを景に羽織らせてあげた。 景はずっと下を見ながら、日向とは目を合わせないようにしていた。 何があったか、それまでも日向は聞かないようにした。 穏やかな風で木々が揺らいで、12月の夜は一層に寒かった。 「日向」 フッと急に景が口を開いたが、視線は相変らず落ちたままだった。 「あの時、なんでいなくなったの」 ただ、ぽつりと呟くように景はそう言った。まるで大人の気配を帯びてない少年のような、そんな声色だった。 「親の転勤で、全部急に決まったんだ」 日向も、当時の事を思い出しながら言った。 「寂しかったよ」 そう言った景は、昨日とはまるで別人のようだった。 「本当に、ごめん」 景は日向を横目でちらっと見た。 「日向は、中学生の時、何が一番楽しかった?」 そんなことを急に聞いてきた景に、日向も少し動揺して、少し考えた。 「授業よりも景と話してたことが楽しかったな」 自分のありのままの気持ちをそのまま言った。 景は、やっと目線をあげて空を見ていた。 「日向と将来のこと、沢山話したよね」 「話したね」 「将来は、有名デザイナーなって自分のアトリエ作りたいって言ってたよね」 「昔の話ね」 景は、日向を見て、今はまだできてないの?と聞いた。 「今は、もう目の前のことで精一杯だよ」 寒風がまたフワっと吹いて、日向の足元にあった枯れ葉が流れた。 景は、ただドームの遊具を見つめていた。 「昔、あんなドームの遊具の中で約束したこと覚えてる?」 「約束?なんだっけ」 「どちらの未来もしっかり叶えられますようにってこと」 景は日向を見て、スッと笑った。 「僕はもう叶えられそうにないや」 日向は思わず景を見ても、景はもう前を向いていた。 「日向なら絶対にやれるよ。頑張って」 景はおもむろに立ち上がって、そのままその遊具に走っていく。 景は、遊具の後ろまで行くと、日向をジッと見た。 「日向、ありがとう」 景は、その後何かを言いかけるように口を開いたが、すぐに口をまた結んだ。 「言いたかったこと、昔のここに全部書いておくから」 景はそうやってよくわからないことを言った後、スッと中腰になって遊具に隠れた。 昔と一切変わらない、中学生の時に、二人でよくやったかくれんぼみたいだった。 日向もそのまま立ち上がって、遊具まで走った。 「ちょっと、景。何歳になってまでかくれんぼすんの」 日向は笑ってそう呼びかけても、景は顔を出さなかった。 「景?」 日向はドームの中を見渡した。 もうどこにも景はいなかった。 「あれ、景?」 大きな雲に月が隠れて、それまでの月明りが一瞬、消えた。 夜がまた一層暗くなった。    
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