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辰也の妻・彩佳は、かなり独特なこだわりを持っている。
辰也が、転職してスクールバスのドライバーになりたいという気持ちを打ち明けてきたときも、有無を言わさず、猛反対を浴びせた。もちろん交通事故など絶対的にあってはならないことだが、彼女にかかると何かと奥が深い。
「“許される事故”と“許されない事故”があると思うの。で、あなたの今回の件は後者よ。考えてごらんなさい。ケガをしたり、損害を被るのが自分自身なら、“自業自得”だけど、それが、他人さまだったり、大人数であったり、ましてや未来のある若い世代だったら、世間に顔向けできないでしょう。もうバスの仕事は続けられないし、ここにだって住んでいられなくなるわよ。もう一度考え直してよ。」
「なんかさあ、もう俺が事故を起こすことを前提に、もの言ってない?」
「当然でしょう。このテの話は、最悪の状況が起こった時のことを踏まえて考えなきゃ。人の命は地球よりも重いのよ。」
どこかで聞いたフレーズである。
「だけどさあ、だからといって、みんなで避けていたら、なり手がいなくなっちゃうじゃない。誰かがやらないと…」
「別に、あなたがそれをやらなきゃならない理由なんて、どこにもないのよ!」
長年にわたり、第一線を突っ走ってきたこれまでよりは、いくらか緩めの“第二の人生”を望んでいた彩佳にとって、何十人もの命を預かるバスドライバーなど、もっともあり得ない選択なのだろう。とはいえ、理不尽な方針にしたがって会社に残ることは本意ではないし、印税生活など現実的には夢のまた夢だ。辰也の選択肢は、事実上一択であった。
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