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8 血筋
目が覚めた時にはすでに誰も部屋にはいなかった。
昨晩の事が夢だったのかと思える程に綺麗な身体に驚いていると、ふわりと香った知らない男性の香水の香りに、サンドラは絶望的になった。
身体は恐らく、考えたくはないが昨晩の男が清めてくれたのだろう。そして、恐る恐る自らの陰部に手を持っていく。入口こそ濡れていなかったが、少し指を進めると、どろりとした愛液が流れてきてとっさに手を引く。恐る恐るシーツを探り、血の跡を探す。しかしシーツのどこにもそれらしき形跡はなかった。でもそれ以外の汚れた跡もない所を見ると、眠っている間にシーツごと変えられたのかもしれない。
「あの男にしたら一夜の火遊びって事なのね」
虚しくなって前に倒れる。誰かも分からない相手に処女を捧げてしまった。王家熱のせいだったとはいえ、悲しくてじんわりと涙が溜まっていく。でもこれが王族の使命であり、責務なのだ。母親もそうやって子を成し、執務をこなし、国を繁栄させてきた。その前の代も、それ以前も。自分だけがその使命から逃れる訳にはいかない。サンドラは一気に顔を上げると、侍女を呼んだ。
昼過ぎに呼ばれた女王の間には、知らない一行がずらりと並んでいた。皆知らない容姿にやや距離を取りながら母親の近くに進んでいく。母親は満面の笑みで待っていた。その姿を見た瞬間、足は縫い留められたように動かなくなってしまった。母親の横にはシルヴィオ、そして宰相の姿もある。そしてその三人を守るようにして脇に待機していたのは騎士団の仕事に戻ったジュールだった。
「サンドラ、この方々はグランテーレ国の第二王子と使者の方々よ。ご挨拶なさい」
ジュールは全くこちらを見ようとはしない。ただ真っ直ぐに前だけを見ていた。
「サンドラ・フォルミと申します。お会いできて光栄……」
目が合ったのは見間違える訳もない。昨晩、抱かれた男。正装した姿だからなのか、それとも明るい陽の光の元だからだろうか。その男性が身につけている服や宝飾品ですぐに位は分かる。白のジャケットには金色の刺繍が施され、光を浴びてキラキラと輝いているし、胸元に飾られたブローチや釦の一つ一つまでもが輝いていた。
「昨晩はご挨拶もせずに申し訳ございませんでした。私はグランデーレ国の第二王子、リアム・テーレと申します」
濃紺の髪に、濃い青の瞳。そして何度も耳元で聞いた声。間違いなくこの男が昨晩の相手の男だった。暗闇の中で一瞬でもジュールに似ていると思ったのはなぜだったのか、こうして見ると軽薄そうな笑みに、ジュールよりも線の細い身体。何もかもが似ても似つかなかった。
「二人はもう知り合いになったのかしら? 驚かせようと思ってサンドラには内緒にしていたのに、早々に夜会を退出してしまうんだもの。非礼をお詫びしなさい」
「サンドラ・フォルミと申します。昨晩はご挨拶もせずに大変失礼致しました」
「僕の方こそ名乗りもせずにあのような事を、申し訳ございませんでした」
「あのような事とは? 何かあったのかしら」
頭が真っ白になっていく。この目の前にいる男性は何を言う気なのか。そして明らかに楽しんでいる声色の母親に、もう顔を上げる事が出来なかった。
「このような公の場でお話する事ではありません。後程、女王陛下にはご報告致します」
「構わないから言いなさい」
「陛下!」
思わず顔を上げて叫んだ瞬間、ジュールと目と目が合う。しかしすぐに逸らされてしまった。
ずきんと胸が痛む。
「サンドラ、貴賓の前ですよ」
「……申し訳ありません」
「それでは女王陛下に申し上げる前に、サンドラ様のご名誉の為に確認をさせて頂きたいのです」
「何かしら、私に答えられるものなら今答えてあげるわ」
リアムは一歩前に出ると、はっきりと言った。
「サンドラ王女は王家熱を発症されておられますね?」
一瞬、女王の間が静まり返る。女王はじっとリアムを見てから、静かに頷いた。
「なぜ、そう思うの?」
「サンドラ様から独特な甘い香りが致しました。それと同時に私も高揚感に包まれました。あれがおそらく王家熱を発症した者への感覚なのだと、そう感じました」
「確かにサンドラは少し前に王家熱を発症したわ」
「それなら、私は大変な事をしてしまったようです」
広間が静まり返る。サンドラ以外の誰もがリアムの次の言葉を待っているようだった。しんとした広間の中で、酷く申し訳なさそうに続けた。
「僕は昨晩サンドラ王女の純潔を頂きました。ですので、責任を取らせて頂こうと思います」
広間が一気にざわめき出す。サンドラは目眩がして視界が真っ暗になってしまいそうだった。
「という事はサンドラの夫に志願すると言うの?」
「知らなかったとはいえ、僕とサンドラ王女が惹かれ合ったのは事実です。ですから責任は取るつもりでおります」
「リアム王子は自国の王位に興味はないようね?」
グランテーレ国は現在王位争いの真っ只中と聞いていただけに、他国の王女と一夜を共にしたくらいで自国の王位継承権を放棄するなど考えられない。でもリアムの言っている事はそういう事なのだ。
「恐れながら僕がそばにいた方がいいのではありませんか? それともこのまま国へ帰っても問題ありませんか?」
「リアム殿下にはこの国に残って頂けると助かるわね。せめてサンドラの体調が落ち着くまでは」
「しかし陛下……」
シルヴィオはあまりに聞き分けのいいリアムに警戒しているのか、小さく屈んで女王に囁いたが、女王は片手を上げて制した。
「しばらくは最初の男が相手をした方がいいのは確かよ。体液が馴染んで身体が定期的にそれを貰えると知り安定するわ。サンドラの場合、リアム王子に夫になってもらうのが最適案ね」
「僕はもちろんこの国に残りサンドラ王女と共に過ごしたいと思っております。何よりこれ程お美しい女性の夫になれるのは男の誉れですから」
「サンドラはどう?」
「私は……」
「陛下、少しサンドラ王女とお話させて頂いても宜しいでしょうか? サンドラ王女にとっては大きな決断だと存じます。僕も誠心誠意心尽くしたいと思っております」
「それじゃあまずは二人で話し合って決めて頂戴。サンドラ、もし発作が起きた時にはリアム王子を頼るように」
「……はい、陛下」
返事はしたが頭は真っ白だった。
「順番が逆になってしまいましたが、僕は本当にあなたに会いにこの国を訪れたのです」
用意された応接間での茶会では、リアムは昨晩の激しさの面影もなく好青年だった。
「それはどういう意味でしょうか」
「僕は国外で正妃にふさわしい女性を探しておりました。サンドラ様はまさに探していた女性そのものです」
「ですが私の夫になるという事は国には戻れなくなるのですよ? グランテーレ国王はお許しになるでしょうか」
「正直申し上げてもう次の国王は決定しているんです。第一王子である兄ですよ。王位争いと言われていますが今更それが覆る事はありません」
諦めたように笑う姿が、なぜか兄のシルヴィオの姿が重なって見えてしまった。
「私もそうして頂けると助かります。相手がグランテーレ国の王子であれば余計な争いもないでしょうし」
「確かにこのままでは次期女王の夫の座を巡って、国内外から立候補者が殺到したでしょうね」
曖昧に返事をするとリアムは腑に落ちないように唸った。
「一つだけ宜しいですか? 王家熱を発症してそれなりに経っていると思いますが、なぜ今だにお相手がおられなかったのでしょうか。立ち入った事かもしれませんが、これからサンドラ王女の夫となるのであれば他の男性との交流も把握しておかねばならないと思います」
「相手がいないのには理由があるからです」
「伺っても?」
「その方が、一線を超えるのを拒んだからです」
リアムは数秒固まった後、小さく微笑んだ。
「それなら僕はそのお相手に感謝ですね。だから私達は結ばれたのです。僕の気持ちは広間でお話した通り、あなたの夫となる事です。サンドラ王女は僕がお嫌いですか?」
今日は言葉に詰まる事ばかりだった。
「リアム王子が嫌とかそういう事ではないのですが、少しだけ考える時間を下さい、お願い致します」
「もちろんです。じっくり考えて下さい。どうするのが一番ご自身の為になるのかを」
「ありがとうございます。リアム様」
「どうか僕の事はリアムとお呼び下さい。その代わりと言ってはなんですが、サンドラをお呼びしても宜しいですか?」
サンドラは断るのも憚られて頷いたが、心の中にもやっとしたものが広がった気がした。
その後は頭の中を整理したくて、侍女達を下がらせてただ歩き続け、いつの間にか中庭へと辿り着いていた。
女王の間から出ていく時も、ジュールは一度もこちらを見ようとはしなかった。
ーーかと言って話す事は何もないのだけどね。
リアムの提案は願ってもいない事だった。グランテーレ国はこのテーレフォルミ王国よりもずっと大きな国で、楽観視出来ない程に力を付けてきている。それに引き換え、この国は昔からこつこつと領地を守っている蟻の兵隊のような国だった。国境が脅かされた時には戦うがこちらから侵攻する事はまずない。そしてそれを可能にしていたのは、国の周囲にある岩山だった。入り組んだ岩山はこの国を覆い隠し、侵攻の妨げをしてくれる。例え巨大な軍隊で押し寄せて来ようとも、入り組んだ道がそれを崩させた。深い溜息を吐いた所で後ろに気配がして振り向くと、そこにはシルヴィオが立っていた。
「リアム王子との話し合いは終わったのか?」
「……リアム王子を受け入れなければこの国はグランテーレに侵略されるのかしら」
「まさかそう脅されたのか?!」
「ち、違うわよ! ただそうする事が国の為になるならと思っただけ」
「本当にあのリアム王子と、その、最後までシたんだよな?」
軽蔑するように見上げると、シルヴィオは慌てて首を振った。
「そうじゃない! そういう意味じゃない! ただもし本当にそうなら、お前の身体の為にもここに残ってもらった方がいいんだよな」
「正直言うと覚えていないの。でも間違いないと思うわ。途中までは覚えているから。きっと発作が酷くて意識を飛ばしてしまったのよ。リアム王子は良い人だと思う。きっと夫としても。でも……」
「でも?」
「なんでもないわ」
「ジュールはいいのか?」
踏み出した足が止まる。ゆっくり振り返ると、シルヴィオは真剣な顔でこちらを見ていた。
「もういいのよ。ジュールには嫌な仕事をさせてしまったわよね」
「ジュールの元婚約者の事だけどな……」
「もういいの。何も聞きたくないわ!」
「いいから聞いていけ!」
大きな声を更に抑えつける声で制される。シルヴィオは申し訳無さそうに呟いた。
「ジュールの元婚約者は十年以上前にすでに他家へ嫁いでいるらしいんだ」
「侯爵家のジュールが婚約破棄されるなんてありえないわ。まさか、ジュールの方から婚約破棄をしたという事?」
「相手は俺達の“父親”の中の誰かさ」
「たまに“父親”達が消える事があっただろ。城を出ていく代わりに、おそらく口封じなのか与えられる物があったようでな。各領地を巡ってくると色んな情報が入ってくるんだ」
「ジュールはそれを知っているの?」
「知っているだろな。まだ当時十四、五歳の婚約者を女王陛下のお下がりの男に盗られたんだ。王家を憎んでいてもおかしくはないだろ?」
「私謝らないと。ジュールに!」
歩き出す腕を掴まれる。シルヴィオは困ったように見下げてきた。
「お前は何も悪くないぞ。悪いのは全部王家熱なんだ」
「でも嫌な思い出があるのに私の相手をさせてしまったわ。きっと、だからジュールは……」
「話して楽になるならそれでもいいが、これだけは言っておく。お前は絶対に悪くないからな」
返事は出来ずに中庭を後にした。
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