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2 望まない関係
瞼に入り込んでくる光に目が覚めると、ぼんやりと人影を捉えた。
「目が覚めた? 気分はどう?」
サンドラはしばらく思考を巡らせてからゆっくりと起き上がった。いや、ゆっくりとしか起き上がられなかった。身体は信じられない程に重たくてだるい。目眩がしてベッドに手を突くと、すぐそばに女王が座った。
女王が治めるテーレフォルミ王国の女王レア・フォルミは、娘の顔色を確認すると小さく息を吐いた。冷たい指先が額に触れる。サンドラはぼんやりとした目で母親を見上げた。
「お母様、私、一体……」
「良かった、熱は引いたみたいね。身体はどう? まだ先程みたいに熱い?」
「凄く重たいわ。水の中に入ったみたい」
「薬の副作用ね。飲む毎に楽になっていくから安心なさい」
「薬? 私どこか悪いの?」
母親はにこりと笑うときっぱりと言った。
「王家熱よ。おめでとう、これであなたも女王になる資格を得たのね」
「王家熱……私が?」
心当たりはある。今までに感じた事のない身体の火照りに、朦朧とする意識の中で騎士が言った王家熱という言葉。サンドラは部屋の中を見合わして母親の手を掴んだ。
「あの騎士は今どこに? 私大変な事を……」
それ以上言葉に出来る訳がない。事もあろうか、まだ男性を知らない王女がこともあろうか騎士に手を出してしまったのだ。あの生真面目そうな騎士に無理やり口づけをし、胸を揉ませた。もしあのまま拒まれなければそれ以上の事も。青褪めていくサンドラをよそに、母親は楽しそうに笑った。
「それにしても、よりにもよってあのジュールの前で発作が始まるとはね。まあ良かったのよ。もし自制の利かない者が最初の相手だったら、望まない妊娠をしていたかもしれないわよ」
「あの騎士の名はジュールというのね。自制って、あの騎士が? まさか……」
「王家熱はね、近くにいる男性にも作用をもたらすのよ。影響を受けた相手は心とは関係なく女性を抱きたくなるの。いずれは周期も分かるし管理出来るようになれば、子供を望む相手の前でだけ発情するようになるわ」
言われた言葉の意味はよく分かった。サンドラには五人の兄妹がいたが、皆父親が違う。当の女王は独身のままで男妾は何人もいる。こうして面と向かえば色恋に狂っているようには見えない清楚な容姿だが、異父兄妹の数を考えればそうではないのだろう。
「もう少し様子を見て発情が定期的に起きるようであれば、正式にあなたを次期女王として発表しましょう。そして周期が安定したあかつきには王位を譲るわ」
「そんな! まだまだお母様でいいじゃない! 私はまだ十七よ。国を治めるなんてそんな事出来ないわ」
「あら、私も十七歳で王位を継いだわよ。それにまだまだ先の話よ。発情の周期が落ち着くには少なくとも三年〜四年はかかるもの。私は発症したのが早かったの」
「お母様は、その、その間はどうしていたの?」
聞きづらい質問にも母親はあっけらかんとして答えた。
「ずっと寝室に籠もっていたわよ。あの頃あった薬は私にはあまり効かなくて、収まりが遅かったのよねぇ。だからずっと慰めていてもらっていたの」
「その相手は? 誰かのお父様?」
「さあ、どうだったかしらね」
兄妹五人は誰も父親を知らされてはいない。暗黙の了解で母親と取り巻く男達の誰かなのだろうという事は分かるがそれ以上は踏み込めなかったし、きっとこの母親の事だからはぐらかされるに決まっている。父親がいなくとも母親からの愛情は沢山貰っていたし、取り巻く男達は皆父親ではないにしても、親類の兄や叔父くらいの距離ではいる事が出来た。
「それであなたの今後なのだけれど、入って頂戴!」
母親の声と共に侍女が扉を開ける。するとそこにはジュールが立っていた。ジュールは十分過ぎる程の距離を取って立ち止まった。あの時の狼狽した様子が嘘のように堂々としている。その様子が少し寂しくも感じていた。
「ジュールの判断が的確で、幸いな事にあなたがまだ王家熱を発症したとは誰にも知られていないの。だからしばらくあなたの護衛を頼んだわ。宜しくね、ジュール」
「はっ!」
「待ってお母様! 私専属だなんて、騎士団の仕事はどうなるの?」
「王女の護衛も立派な騎士団としての仕事よ。それにこの国は幸いな事に今は平和な訳だし、一人くらい王女専属にしても問題ないわ」
ジュールは真っ直ぐに前を向いたまま微動だにしない。ぼんやりと広い肩幅や硬そうな首筋に視線を走らせていると、ふとジュールと目が合う。しかしとっさに逸らされてしまった。
ーーそりゃそうよね。無理やり犯そうとしてしまったんだもの。悪い事をしたわ。
「お母様、もう一度考え直してください。ジュールには騎士団としても仕事をしてもらいたいんです。私の護衛は別の誰かに……」
「恐れながらそれはサンドラ様にとって危険な事と存じます」
ジュールは相変わらず視線を合わせようとはしない。それでもはっきりとそう言った。
「ジュールの言う通りよ。サンドラの意思は却下ね。他の者にあなたの体調を知られれば悪用される可能性も出てくるし、いつ発作が起こるか分からない今、発作を知っているジュールがそばで守るのが一番安心なのよ」
「でも、もしまた発作が起きたら?」
視線の端でジュールが小さく反応したのが分かった。
ーーほらね、怖いならそばにいるなんて言うんじゃないわよ。
「薬を服用しなさい。飲んで数時間もすれば今のように動けるようになるわ。それまではジュールと共に隠れているのよ」
「その、その間ジュールはどうなるの? 発作を起こすと近くにいる男性にも影響が出るのでしょう?」
「だからジュールなのよ。初めての強烈な発作を受けても我を忘れずにあなたを襲わなかった。そして力であなたを抑える事も出来るから望まぬ妊娠をする事もない。適任でしょ?」
脱力するサンドラをよそに、母親はまるで遊んでいるかのように茶目っ気たっぷりに笑ったのだった。
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