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人間の、悪いヤツがいた。
あまりにも悪すぎるので、その悪いヤツの悪名は人間界だけでなく、物質界にまで轟いていた。
「そろそろ、俺たちが制裁を加えるべきだな。こらしめないと」
口火を切ったのは、物質界の中で、多くの人間の小指を苦しめているであろうタンスの角だ。
そのタンスの角が所属しているタンスは、悪いヤツが使用していた。
一日の半分近くを、悪いヤツと同じ空間で過ごしているため、憎しみが溜まりに溜まり、ついに怒りが爆発してしまったのだ。
「聞け、仲間達よ! あの悪いヤツは人間だけじゃ手に負えないらしい。今こそ、我ら、物質が立ち上がるときだ! 全世界の物質に告ぐ。パワーを解放せよ。人間が頑張っているから、少しだけ遠慮していたパワーを、今こそ、すべて解放するのだ。あの、悪いヤツ一人へ向けて!」
タンスの角の演説が、世界中の物質の耳に届く。
その演説を聞いて、ほとんどの物質のボルテージが上がっていたのだが、ある一足のスニーカーだけは元気がない。
すでに、悪いヤツへの攻撃は開始されていた。
つまようじ入りの割り箸袋による指への攻撃や、シャンプーによる目への侵入が成功して盛り上がるなか、スニーカーは、ただ何もせずに静止しているだけであった。
「おい、どうした? 具合悪いのか?」
近くにいる、逆立ちになって臨戦態勢のボールペンが、心配して声をかける。
「怖いんだよ。俺、自信ねえんだよ」
スニーカーが、震えだした。
「なぜ? お前は強いのに、なぜ、怖がっているんだ」
「強くなんてねえよ」
「いや、強い。ただ、自分の強さに気付いていないだけなんだ」
「お前は、いいよな。芯があるから。俺には、お前みたいな硬めのものがないんだよ」
スニーカーの震えが、強くなる。
「靴ひもの先に、少し硬くなってる所があるじゃないか」
「こんなの、何の役にも立ちやしねーよ!」
「聞け! スニーカーよ!」
ボールペンが叫んだ。
「何だよ」
「柔よく剛を制すって言うじゃないか。お前の強みは、何だ?」
「柔よく剛を制す? 俺の強み? ……そういうことか。ありがとう。俺、自信が出てきたよ」
スニーカーは自分に秘められたパワーに気付いた。
「行けるな?」
ボールペンが確認する。
「もちろん。やってやるぜ」
スニーカーは、悪いヤツが出かけるのを待っていた。
「さて、悪いことをしに行きますか、と」
悪いヤツがスニーカーを履こうとする。
「あっ。靴ひも、ほどけてるじゃねえか。イライラするな」
悪いヤツが舌打ちをした。
「第一段階。靴ひもを全部ほどいて、ストレスを与える。成功」
スニーカーは呟いた。
「やるじゃねえか。外出先でも上手くやれよ」
ボールペンが嬉しそうに言う。
「ああ」
自信に満ち溢れたスニーカーが返事をした。
スニーカーを履いた悪いヤツは、数十メートル歩くと転倒した。
「第二段階。靴ひもを緩める。成功」
悪いヤツは、何の成果もあげられないまま帰宅した。
「くそっ、今日は悪いこと出来なかったな。しかも、履きなれているはずなのに、靴擦れが。最悪だぜ」
悪いヤツの声が聞こえて、玄関にあるスニーカーは喜んだ。
「最終段階。サイズを微妙に変えて、足を痛めつける。成功」
しかし、戸惑ってもいた。
「みんな、やればできるじゃないか。今日は、特にスニーカーが、いい仕事をした。しかし、この戦いは、当分続くことが予想される。悪いヤツがいる限り、俺たちは戦い続けるしかないんだ」
と遠くから、タンスの角の声が聞こえた。
「タンスの角が言ってることは間違っている。人間と争うなんて馬鹿げているよ。なんだか、罪悪感がハンパねえよ。タンスの角の言いなりにはならねえぞ。仲間を集めて、とことんタンスの角に抵抗してやるぜ」
スニーカーは、決意した。
物質界でも、人間界と同様に意見の対立による争いが、いつまでも続くこととなった。
(了)
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