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エンジェルトランペット錯視現象
「ラジオ・ヘミセルロースの残党が存続していたとはな」
アフェフェはビルの瓦礫からヴィンテージ物のBCLラジオを掘り起こした。貴重なコレクションの大半が失われたが売るほどある在庫の一部は助かった。
そしてねじ曲がったラッパで足の踏み場もない。
「すみません。巻き込んでしまって。夫のリハビリがまさかこんな騒動に」
美奈代はひたすら恐縮している。アフェフェは意に介さないようすだ。
「あってはならないものがアフリカの土に還っただけだ」
アフェフェは焼け焦げた銘板を靴先でほじくる。
つぼ八くにヲ記念ライブラリーの刻印が光る。
「ナイジェリアと日本の架け橋にひどい言い草ですね」
火星晶が憤慨した。
「いや、事実だよ。彼は義援金をちょろまかしてアフロ・ハイライフスに投資した。その利益はニジェール・デルタが洗浄した。『中古のラジオが欲しい』と日本人が買い付けに来たときは驚いたよ。日本は金持ちと聞いていたが」
アフェフェはそういって溶けたSONYを拾った。それらはアフェフェがデフレ時代に商ったものだ。ナイジェリアは30年つづく軍事独裁時代にたびたび経済制裁を受けた。産油国でありながら輸出が出来ず酷い不況に陥った。時の政権は報道機関を統制し人々の情報収集手段はラジオに限られた。もちろん強力な妨害はされていたが、それをかいくる短波放送があった。やがて政変が起きて中国製の安いラジオは行き場を、アフェフェは市場を喪った。
そこへ日本のDJがひょっこり現れたという次第だ。
「つぼ八さんがそんな悪い人とは思えません」
美奈代は難病患者の遺影を拭いた。
「Ⅱ型薬剤性ミオパチーで倒れるまではな。搬送された時にはにステージ4だった」
「どうしてそんな……」
美奈代はうつむいた。つぼ八の話は夜パレ絡みで拓郎からよく聞いていた。
毎週のようにハガキを読んで可愛がってくれていたようだ。
「私に出来ることはアフロ・ハイライフスの新譜を見舞いに送るていどだ」
「ダイナミンは……」
「未承認薬の輸出は難しい」
アフェフェはかぶりを振った。
「夫はどうなってしまうのでしょうか」
居ても立っても居られない美奈代であった。アフェフェは腕を組んだ。
「君はヨルバ人をどこまで信じる?」
「藁を縋る思いで伝手を総動員して来ました。アフェフェなら治せると」
「私は医者ではない。そして君ら日本人は西洋医学を見限った」
老商人はきわめてドライだ。
「匙を投げられたのです」
美奈代の嘆願に老人はフムンと唸った。
「ヨルバの創造神話にこうある。創造主は地母神オリシャ・ンラに糧を与えて人間を土からかたちづくる任務を授けた。しかし魂を吹き込む作業は創造主が独占した。オリシャ・ンラは神の御業を盗み見しようと一計を案じた。しかし創造主は一枚上手だった。オリシャ・ンラを睡眠の罠に嵌めた。彼がふたたび目覚めた時には人間の創造が終了していた。そこでオリシャ・ンラは不満の印として人間にあざを残すのである」
「夫が観たというラッパのことでしょうか」
するとアフェフェは「またまたまたまた……」と苦笑した。
「西洋医学がダメなら民間療法しかないのでは?」
「名だたる日本の製薬会社員がナイジェリアの神話を? 滑稽だね」
「だっておっしゃったじゃないですか。月の目が太いうちに来いとか何とか」
美奈代の涙目にヨルバ人の真顔が映った。
「作り話だ。冴羽遼子を釣るための……」
はぁ、と美奈代が拍子抜けする。
「君たち日本人は信じやすい。シントーの影響だろうか。拓郎の幻覚に呪術的な原因を求めつつもどこかで科学的な説明を欲している。そこで君たちの論理回路が一つの仮説を用意した。ラジオの時報が心理的なトラウマを呼び覚ますのではないかと」
「私もそう思っていました」
火星がうなづく。
「だから私は仕掛けたのだ。仰々しい舞台も用意した。火星晶。君はHAECHI-IV――多国籍組織犯罪資金壊滅頂上作戦の現地オペレータとしてICPOから送り込まれた。旭日製薬が雇った南アの軍事プロバイダー会社員をになりすました。そして私とボコ・ハラムのつながりを暴こうとしていた」
「うっ……」
火星は焦げたビキニからこぼれそうな胸を両手で抱いた。
「だが嵌められたのは君のようだ。さしずめ君はダイナミンを扱うような男なら違法薬物の融通も造作ないと判断したのだろう。」
「その容疑で令状を取りました。つぼ八くにヲの病理解剖に不審点があると病院から公益通報があり捜査線上にあなたが浮かびました」
「ところが君はしくじった」
アフェフェはBLCラジオのスピーカーボックスを分解した。
「あっ?!」
火星と美奈代が同時に驚く。なんと中身は空っぽだ。
そしてアフェフェは内懐からスマートフォンを取り出した。録音アプリが起動している。ポーンと時報が鳴った。
そしてスマホの表示時刻は10分進んでいる。
「ラジオ番組の開始と問題行動に何の関係もない。そして君にはもう一人の監視役がついていた」
「冴羽遼子?!」
「そうだ。エルデ・クライシュテルス。オランダの海賊放送船『ラジオ・ヘミセルロース』の局員。ナイジェリア沖からプロパガンダを発信している」
「いったい何の目的で?」
「私が知り過ぎたからだ。商売がら私は地獄耳でね。だから返り討ちにしようと拓郎を利用させてもらった。実際のところ連中もエンジェルトランペット錯視現象をわかっていないのだろう。拓郎が私のスマホに反応したと気づいた時点で彼らも作戦を変更した」
「エンジェルトランペット錯視現象?」
「そうだ」
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