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部族長
■ ソコト帝国暫定首都フォディオ(旧ナイジェリア) 2028.11.8
稜線を一対の光が駆け抜けていた。月の出にはまだほど遠い。23時ごろには三日月よりも太い天体が顔を出すはずだ。
美奈代はプリーツスカートにしわを寄せてだらしなく横たわっていた。
車はそのままスピードをあげプラトー州めざしてひた走る。
「ナイジェリアは三億人の人口で長い間イギリス領だったために、英語を話す者も多く、英語公用語圏となっていますが、首都ブアリチでは現地語が使われていますし、北部地方にあるニジェール・コンゴ共和国やガーイッシュなどの国でも英語はあまり通じません。ですがこの国の人は総じて明るく前向きで優しい性格をしています。ナイジェリア人はとても親切でフレンドリーな国民性なので、外国人である私達が戸惑うような事態に陥ることはないでしょう』
「ふーん」
拓郎はスマホで検索しながら、助手席に座る火星晶の説明を聞いていた。彼女は今、後部座席に座っており、拓郎の身上話に
「ふん」
とか
「ほぅ」
など、合いの手を入れていた。ちなみに運転手は冴羽遼子だ。彼女は昨日と同じ黒いスーツスカートを着ていた。だがその胸ポケットからは青いハンカチーフが見えていて、まるでマフィアの構成員のようである。
「まあ、そんなわけで、まずはこの国に溶け込むところから始めましょう」
「……うん?」
「さすがに日本語だけじゃ不便だからね。現地語を覚えたほうが便利だよ」
そう言い、火星晶はスマホを見せてくる。その画面にはナイジェリア語の会話例が載っていた。
火星さんが教えてくれるってこと? 火星さんが?……火星さんに習ってる俺ってなんかカッコ悪くないか? などと拓郎は考えるが、しかし実際、火星に教わる以外の方法はないのである。
拓郎の通う旭日製薬東異研にこの国の出身者はいないのだ。
「それにしても、とんでもない所に来たもんだ」
眉間をもみながら街灯りのない荒涼を追う。うんざりするほど途切れない闇。
分断と憎悪が電力網を刈り取っているのだ。平和と観光の州という愛称はタイトル詐欺だ。プラトー州ではナイジェリアのタリバンが対立を煽っている。
拓郎と美奈代は同じ大学に進んだ。そしてワーキングホリデー制度を利用してナイジェリアに渡った。旭日薬品の現地法人で働きぶりを見込まれ登用。そして大学を中退して結婚した。
しかし一か月前に日本の灌漑プロジェクト現場を訪問した際に足場から転落。
幸い一命を取り留めたものの短期記憶に障害が残った。
「大山祇神社の前を通ったことをおぼえているか? 」
拓郎はきょう何度目かの質問を繰り返した。
「あなた、疲れていたのよ」
火星はバックミラーごしにうんざりした。
「いいや! はっきり覚えている!!」
公佳が病院で殺された翌日に担任の菅原先生が病死。その日の下校途中に大山祇神社で襲われた。そう供述した。
見かねた冴羽が横目でにらむ。火星はダッシュボードからヨレヨレのクリアファイルを取り出した。「あなたの記憶はそこで途絶えてるの」
すると拓郎は「だったら仕事ができないだろ。戻りたい」と帰国を希望した。
「拓郎君、困らせないでちょうだい」
美奈代が後部シートから乗り出した。手に銃を持っている。その背後に何かが鎌首をもたげた。それはくるりと向きなおりクワッと口を開いた。
「ひいっ!」
拓郎はのけぞる。
ラッパの花だ。
すかさず火星が左腕にバンドを巻いてアンプルを打つ。
「チクっとするけど動かないでね。針が折れる」
「――ッ!」
身もだえる拓郎。
ハンドルを取られないように冴羽がしっかりと握った。
「鎮静剤を打ってまで連れて行く場所か」
「長老をご指名なのよ」
美奈代が絆創膏を張り付けた。
「こんな夜中にか!」
拓郎は袖の上から腕を揉む。
「月の目が細いうちに来いと仰せだ』
冴羽遼子がアクセルを踏み込んだ。タイトスカートがなみうつ。艶めかしい。
『どこ見てるのよ』
火星が肘鉄を食らわせた。
■ ジョス高原 イソクソの町
ヨルバ人はキリスト教徒だ。ナイジェリア人の2割を占めるという。第二次ビアフラ戦争で連邦制が崩壊したとはいえ人口動態はあまり変わらない。
いくつかの藩王国を強引にまとめて独立したため各地に王制が解消されないまま残っている。ソコトの首都から車で数時間。商業都市イソクソに停車した。
中国資本の進出はめざましくこんな地方都市にも高層ビルが建っている。
26階のエレベータードアが開いた。
「草ぶきのバラックだとでも思ったか?」
冴羽が受付のボタンを押すと通信太鼓を思わせる呼び出し音が大理石の立像から響いた。
「「Pẹlẹ o」」
ヨルバ語で美奈代が長老とあいさつをかわす。
部族長のアフェフェは上海華僑に顔が効くビジネスマンだ。この国の経済をざっとまとめると1990年代に欧米諸国から制裁を科され原油輸出が滞った。
中国がそれを爆買いしたが景気は低迷した。しかし安かろう悪かろうを欲しがるナイジェリア市場は中国製品を歓迎し各地に中国城が出来た。
アフェフェはリテールビジネスで利ザヤを稼いでいる。
「それでこんな夜中に病人を呼び出して何事です?」
拓郎は問いただした。
するとアフェは奥の部屋に導いた。
「こ……これは?!」
拓郎は目を見張った。管楽器がびっしりと並んでいる。
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