ビアフラ戦争の亡霊

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ビアフラ戦争の亡霊

「誰がヤク中だよ?!」 拓郎が憤慨するも老人は聞き流した。「まぁ聞け。我々は君を守ってやろうというんだ、少しは落ち着いたらどうかね。敵の情報を知りたいだろう?」 紙コップを差し出された。ウムトコーヒーだ。ナイジェリアに喫珈の習慣はない。ネスレなどがコーヒー豆を持ち込んだが苦みを敬遠され根付かなかった。 そこでミルクや砂糖を添加して普及を試みたがチョコレート認定される始末。 だがラゴスにスタバが開店し潮目が変わった。ウムトは二兎を追う者だ。 「貴方はプロテスタントですね?」 拓郎は即座に相手を見抜いた。カトリックと違って酒は飲まない。そしてニジェール・デルタを牛耳るイボ人はカトリックだ。 「信徒同士でいがみ合う理由はただ一つ。アフェフェは契約違反を犯した」 結局はカネの問題かよ、と拓郎は思った。「それで僕とDMTの関係は?」 老人が欧米人のように両手を広げて肩をすくめる。 「君はあれだけラジオ番組に夢中でまだ気が付かないのかね?」 「はぁ……いちおう、勉強が本分だったので」 「ハガキ職人を名乗るほどだったのにかね?」 老人は挑発を続ける。 「余計なお世話です。あの番組になんか恨みでもあるんですか?」 「大ありさ。ジール・パイオニアだ。君は浴びるほど聞いていた」 あっ、と拓郎は思い当たった。DJのつぼ八くにヲのお気に入りでナイジェリア屈指のトランぺッターだ。「イエロー・キャブ」でグラミー賞を受賞した。 しかし彼は過去の人だ。つぼ八が同年代のよしみで懐古したに過ぎない。 「『リボルト・イン・ポートハーコート』がどうかしたんですか。しかもアフロ・ハイライフズのカヴァーアルバムだ」 「そうだ。耳タコなくらい聞いていた」 「ええ。タンホイザーSGのCMに絡めた聴取者クイズが出ますからね」 「それがシグマの狙いだからね。胼胝は君の耳じゃなく脳に出来たんだ」 ピアノ鍵盤の連弾とともに拓郎は真っ暗闇に落ちた。「どうして?」 「シグマ自動車工業はナイジェリア進出の足がかりが欲しかった。つぼ八は聴取率が欲しかった。番組打ち切りが打診されていたからだ。そこで閃いた。」 「リスナーでなくアフリカにバイクを贈るって言ってました。当選者名義で」 「そうだろうとも。モノよりココロ。日本人は自尊心で満たされる時代だ」 拓郎は釈然としない。 「いい話だと思って応募しました。それでなぜ俺の脳にラッパの花が?」 パサッと座席にCDケースが投げられた。ジャケ写が何となくぼやけている。 「海賊版だよ。中華人民共和国(ピー・アール・シー)製。といっても税関は阻止できない。原盤から改竄されているからだ」 「どうして、そんな手の込んだことを」 「デジタル薬物を合法的に密輸できるからだよ。ただ薬効に個人差がある」 老人はそういうとCDをソニーのポータブルプレイヤーにセットした。 「ポーン♪」 ボイパで時報を奏でる。『ビ・ア・フ・ラ~!!』 強烈なアカペラが耳を弄した。車内に赤白黄色、ラッパの花が咲き乱れる。 「うわー!」 拓郎が頭を抱えてのたうち回る。 『リボルト・イン・ポートハーコート』はビアフラ戦争の悲惨を訴える曲だ。 ナイジェリアが植民地支配を脱する際に恣意的な国境を継承した。 部族の事情などお構いなしに引かれた線引きだ。 「かつて我々は一つでなかった。この国を強引にまとめ貧富格差を捏造したのは英国人だ。イボ人を奴隷交易に参加させるためインフラを整えた。その歪みが油田の発見で爆発した。豊かなイボ族は他部族から疎まれ独立を望んだ」 ビアフラ戦争だ。イボ族の軍将校が中央集権に反旗を翻した。国際社会は政府を軍事援助しビアフラはジリ貧になった。やがて南部の港湾が占拠され兵糧攻めが始まった。たちまち飢餓が蔓延り人々は瘦せ衰え大勢が死んだ。 その惨状を拓郎はどこかで見覚えがあった。 今にも死にそうな黒人の子供。栄養失調で下腹が妊婦のように膨満している。 その子がこちらを向いて口を大きく開けた。唇がつぼみのようだ。 いや、違う。それはラッパのように開き……。 「ギャアアア」
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