まりちゃんのお仕事

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まりちゃんのお仕事

まりちゃんの右側の目の下には二つの小さなほくろ。 「なきぼくろ」って言うんだよ。 ってまりちゃんは僕の目の下を触りながら教えてくれた。 小さいころ、僕の家のお隣がまりちゃんの家だった。 まりちゃんとは、幼稚園も一緒だったから僕たちはいつも一緒に遊んでいた。 だから、砂場でのままごとの最中、まりちゃんにこんなことを突然言われても、僕にはまったく違和感がなかったのだ。 「まり、大きくなったら、健ちゃんのお嫁さんになる」 そう言うと、まりちゃんは「お酌は最初の一杯だけね」とビール瓶に見立てたラムネの容器から、僕の持つオレンジのコップに水を注いでくれたのだった。 僕たちは揃って小学校に上がり、同じクラスになった。相変わらず仲良く過ごしていたけれど、二年生になったある時から、そんな日常に異変が起きた。 「まりちゃん。今日も早引け?昨日はお休みだったよね」 「しかたないよ。お仕事があるんだ。ごめんね。健ちゃんと遊べなくて」 「子供なのにひどい。やめちゃえ。お仕事なんて」 「やめたいよ。そんなの」 お仕事の内容について、まりちゃんは僕に話してくれなかった。 でも、まりちゃんの家が突然引っ越していった次の日、僕は偶然、母が観ていたテレビドラマの中、血の付いた包丁を持ち、怖い顔でこちらを睨みながら突っ立っている彼女を見つけたのだった。 彼女のお仕事が、子役俳優だということはその時、初めて知った。そして、僕は、僕のお嫁さんになるはずだったまりちゃんが、もう手の届かないところにいることをその時、悟ったのだった。 大学生になったある日、僕はスマホでまりちゃんの記事を見つけた。 まりちゃんはその頃、名前を変え、グラビアでメディアに登場するようになっていた。水着とは名ばかりの殆ど丸出しのお尻を突き出してこちらに微笑む、もう「まり」ではないまりちゃん。その画像の下に、その日は、無責任な活字が躍っていたのだった。「元人気子役待望のAVデビュー」。 その日以来、再度名前を変えた彼女の記事は、もう二度と僕の目に触れることはなくなってしまった。 「健ちゃん、だよね」 「まりちゃん?」 そんな僕とまりちゃんは、意外なところで20年ぶりに再会することになったのだった。僕は、大学を卒業してサラリーマンになっていた。 「よくわかったね。僕の事」 「だって、ほら」 まりちゃんは、僕の右の目の下をちょんと触って笑った。 そこにあるのは、まりちゃんと相対している僕の二つのなきぼくろ。 「私の事、覚えてくれててうれしいよ」 そう言いながら、まりちゃんの顔が僕の顔に近づいて、唇同士がくっついた。 それはそうなのだ。ここはピンサロ。また違う名前になったまりちゃんは、てらてらの安っぽいセーラー服を着て僕の隣に腿を密着させて座っている。僕は今日、偶然この店に入り、偶然まりちゃんと再会したのだった。 僕は、口に入ってきた柔らかい舌の甘味に落ちるのをこらえて唇を離した。 「どうしたの?」 そう言うと、まりちゃんは、俯いて僕のズボンのベルトに手をかけた。 「まりちゃん。いいよ、今はいい」 「駄目だよ。私、店長に怒られちゃう。これはお仕事だもん」 「まりちゃん。覚えてる?幼稚園の砂場で」 「・・・忘れないよ。勿論」 まりちゃんはベルトを握っていた手を止めて黙ってしまった。 僕はかける言葉に困って、ビールをまりちゃんに注文した。ほどなくして彼女はお盆に瓶ビールとグラスを乗せて戻ってきた。 「お待ちどう」 「一緒に飲もうよ」 「うん。あのね。私、ホントに健ちゃんのお嫁さんになりたかったんだよ」 「お仕事が忙しかったんだよね。撮影」 「うん。でもね、私はあのまま普通に健ちゃんと一緒に過ごしたかった。ボタンを掛け違ったら、どんどんどんどん、思いもよらない方に行って、もう戻れなくなって。それでこんな格好を健ちゃんに見られて」 まりちゃんの言葉は最後、嗚咽に紛れて聞こえなくなっていた。 僕は思わず、言葉を吐きだした。今度こそ、言葉が届いてほしかった。 「やめちゃえ。お仕事なんか」 「え?」 「やめちゃえ。お仕事なんか」 「健ちゃん?」 「やめちゃえ」 「やめたいよ。そんなの」 そう呟くと、まりちゃんは、僕にグラスを持たせビールを注いだ。 「お酌は最初の一杯だけね」
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