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***
さて、そんな最中。
一人のちょっと困った女の子が、年中クラスに入ってきたのだった。何が困ったのかというと、彼女が友達としばしばトラブルを起こすのである。
女の子は特に、屋内でお絵かきをするのが大好きな子が少なくない。外で遊ぶ子よりもトラブルは少ないので、先生からすると教室の中で静かに絵を描いている少女達はわりと扱いやすい部類であったのだが。
彼女――槇村藍子ちゃんは別だった。
最初は友達と並んで、普通にクレヨンでお絵かきをしているのである。ところが自分の絵を画用紙いっぱいに書き終ったところで、とんでもない行動に出るのだ。なんと、一緒にお絵かきをしていた別の子の絵に、めいっぱいクレヨンでピンク色を塗り始めてしまうのである。
「あいこちゃんやめて、やめてよおおおおお!」
「♪~」
「せんせえ、せんせえ!あいこちゃんが、あいこちゃんが!うわあああああああああああああああああああああああああああああああああん!」
「あ、ちょ、藍子ちゃーん!!」
今日も今日とてこんな調子。大抵私が駆け付けた時には手遅れになっている。お友達の絵は背景一面に同じ色が塗りたくられていた。ワンピース姿の女の子と家の絵だったのだろう。その空が、全面ピンク色に染まってしまっている。
「藍子ちゃん、駄目よ!どうして、人の絵を勝手に塗っちゃうの?」
「うー?」
「ねえ、どうして?自分の絵はちゃんと塗ったでしょう?他の人の絵を勝手に塗るのはいけないことなのよ?」
「む、むううう!」
藍子ちゃんは、あまり言葉をしゃべるのが得意なタイプではなかった。たくさん絵を描くので表現力や情緒は育っているのだろうが、恐らく話すことそのものが得意ではないのだろう。
歌は普通に歌えるし、歌詞とかルールとかもおおよそ覚えられる。物事を理解していないわけではないし、いざ喋るも言葉少ないながらもはっきり発音できる(吃音というわけでもない、と思われる)。しかしこうして怒られると、大抵むう、だのうう、だのという呻き声しか発さなくなるのだ。
そしてしまいには。
「ううううう、ううううううううううううううううううううううううううううううううう!うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああん!」
彼女も泣きだして、始末に負えなくなってしまう。それを見て、なんで藍子ちゃんが泣くのおお、とピンク色に絵を染められてしまった女の子まで大泣きし始めるというカオス状態に。
ああどうしよう、と私は頭を抱えるしかないのだった。
幼稚園の先生は大変だ。一人で複数の子供達を見ていなければいけない手前、どうしても藍子ちゃん一人にかかりきりになることはできない。彼女がやらかしてしまう可能性が高いとわかっていても、ずっと彼女の監視だけをしているわけにはいかないのである。
彼女を一人で絵を描かせるか。
しかし、教室のスペースには限りがある。いくら机を離してみたところで移動してしまったら意味がなく、かといって隔離できるような別室があるわけでもない。
何より、彼女が他人の絵をピンクにしてしまう理由がわからなくては、根本的な解決にならないような気がしてならないのだ。
――どうしよう。何か、手はないものかな……。
私は彼女に塗りたくられてしまったピンク色の空の絵を見ながら、ため息をつくしかなかったのだった。
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