chapter.1 グレーゾーン

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 地上へと戻ってきたココは、ぐっ、と伸びをした。  周囲は高層ビルに囲まれていたが、その景観は、ムーンベイとは大きく異なる。人口の増加のままに建て増しを繰り返し、鬱蒼と生い茂る密林のようになってしまったあちらに対し、キャピタルは道幅も広く、一ブロックも大きい。整然とした街並みが続いている。  また、治安維持の為、街頭の至るところで、完全武装したセキュリティが目を光らせていた。路上のホームレスや屋台の営業も厳しく取り締まっているようだ。  企業のトップや権力者、多くの為政者たちが在籍している関係上、キャピタルは、ムーンベイなどの他の地区と比べても、少し空気がヒリついていた。  ココは、ジャスミンの後ろを歩きながら訊いた。 「ジャスミン、どこに向かっているんです?」 「ちょっと〈魔術師協会〉に顔を出さないといけなくてね」 「魔術師協会?」 「魔術師はね、なんでも、自称している肩書きじゃないのさ」  ジャスミンは、懐から出した手帳をココに見せた。  そこには、彼女の生年月日や写真などが記されていた。 「免許証?」 「そう。協会が発行している許可証。これがないと、街で魔法をぶっぱなしちゃダメってこと」 「許可があってもダメだと思うんですけど……」 「ともあれ、今からボクたちが向かうのは、魔術師たちの総本山さ」  通りを一ブロックも行かないほど直進し、見えてきたのは、周囲の建物にも劣らない立派なガラス張りのビルだった。  背を反らして見上げるほどの高さに、ココは圧倒された。  エントランスホールは、白で統一された近未来感漂うデザイン。  おとぎ話に出てくるような、古めかしく幻想的な、ココのイメージする魔術師とは大きくかけ離れていた。行き交う人々のほとんどが、きちっとしたスーツ姿だ。大きなとんがり帽子や大仰なローブをまとう者はまずいない。  が、ココは、施設に出入りする人々に違和感を感じた。 「なんだか、エルフが多いですね」  エルフは長身で尖った耳が特徴の種族だ。この街を勃興(ぼっこう)させた立役者であり、世界に名を(とどろ)かせる一大都市にまで押し上げた。その関係から、この街のエルフはほとんどが富裕層であり、あらゆる面で優遇されているようにも、ココには思えた。  このホールにいる人物は、受付や警備員も含め、ほぼ全員がエルフだったのだ。 「そりゃそうさ。魔法はエルフが編み出した秘術なんだから。魔術師協会に所属する八割以上がエルフだよ。彼らは排他的だ。つまりよそ者が嫌いなのさ」  ジャスミンが珍しく気落ちした息を吐く。 「ほんとは来たくなかったんだよなあ、魔術師協会(ここ)」 「どうして?」  理由はすぐにわかった。 「ジャスミーーン! おーーい!」  二人が声のほうを見ると、男性のエルフが鬱陶しいまでに激しく手を振っていた。  周囲の奇異の目が、彼に集中する。が、肝心の当人は、お構い無しといった様子だ。 「──あれが生息してるから」  まるで野生動物に対する物言いだ。  鬱陶しいエルフが全力疾走で近付いてきた。  金髪 碧眼(へきがん)、目鼻立ちのはっきりとした男性だ。しかし、海水浴に来てはしゃぐ少年のような落ち着きの無さが、彼の魅力をすべてを台無しにしていた。 「クラム、ステイ、ステイ!」  ジャスミンは、ペットをしつけるようにして、クラムを御した。 「来るなら連絡のひとつくらい寄越してくれてもよかっただろう?」 「君の耳に入れたくないからアポなしで来たんだ」 「照れてるのかい? 照れてるんだろう?──ん? こっちのかわいい女の子は誰だい」 「か、かわいい!?」  彼の綺麗な碧眼を向けられ、ココは不覚にもドキッとしてしまう。 「君、人狼? 素敵な耳だね」  クラムの手がココの獣耳へと伸ばされる。 「ちょ、ちょっと!?」  どぎまぎするココは頬を紅潮させた。尻尾の毛は逆立ち、のたうち回って、緊張を主張している。  クラムの手が耳に触れようとしたその瞬間、ジャスミンがその手をぴしゃりと弾いた。そしてココを、ぐっと抱き寄せた。 「あ、こら。お触り禁止、ココはボクのものだ」 「ふーん、そんなこと言っていいの? リグレットの奴に言いつけてやる」 「リグレットは関係ないでしょ?」  ココはジャスミンの胸に顔をうずめながら、夢見心地だった。心臓の鼓動が聴こえる。洗剤のいい匂いがする。彼女に腕を回されているこの態勢。存外悪い気分はしない。  なんだか、幼い頃、母に抱きしめてもらったときのことを思い出す。 「なんだ、やかましいと思ったら、やっぱりお前らか」  気だるげな男の声がした。  ココはジャスミンから離れた。我に返り、周囲の目が気になったからだ。  寡黙そうな白衣姿の男がそこにはいた。  強烈なくせ毛と巻き角、髭ともみ上げを繋げた彼は、ジャスミンと同じ羊人だ。 「ガスパチョ、元気してた?」 「ああ、お前らが来るまではな」 ──ずいぶんとニヒルな奴だ。でも根はやさしそうな人。  ココはそう直感した。 「彼は皮肉屋なんだ。あー見えてすこぶる喜んでる」  ジャスミンが耳打ちする。 「聞こえてるぞ、ジャスミン」 「今に見てな、喜びの舞いを踊るぞ~」 「踊らん! そら、ごちゃごちゃ言ってねえで来い、仕事の話だ」  言うだけ言って、ガスパチョは奥へと行ってしまった。 「えー!? 僕に会いに来てくれたんじゃないのー?」  クラムが不服そうに唇を尖らせる。 「残念だったね、クラム。君とはまた今度さ」  ジャスミンは清々した顔でガスパチョの後を追った。  ココも当たり前のようにジャスミンの後を付いていこうとしたとき、彼女は魔杖を持つ手を広げ、行く手をさえぎった。 「ごめんね、ココ。ちょっとここで待っていてくれるかな?」 「えっ?」 「すぐ戻ってくるから。ね?」 「う、うん……わかっ、た……」  ココはその場に立ち尽くし、ジャスミンの背中が消えるまで見送った。  突然、胸に寂しさが飛来した。家に入るすきま風のような嫌な感じだ。  しかし、ココに呆然としているひまはなかった。  じっとりとした視線を感じ、振り向いたココは、案の定クラムと目が合った。  彼の口が開かれる。 「あのさ、尻尾──」 「嫌です」 「まだ何も言ってな──」 「嫌です!」 「じゃあ、耳──」 「嫌ですっ!!」  ココはとりつく島も与えない。  ジャスミンがいなくても、自分の身くらい自分で守れるようにしなくては、と強く思い立ったココであった。
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