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魔術師協会のビルには、魔術師の歴史や文化を展示した回廊が併設されていた。
ジャスミンと別れたココは、彼女が戻ってくるまでの間、クラムの案内で回廊を見学することになった。
二人の他に見物客はいない。
とても静かな空間だった。
ただの時間潰し。その程度の認識ではじめた見学のはずが、いつの間にか、ココは、解説文を熟読するくらいに夢中になっていた。
ショーケースに入れられた魔導装置の模造品が、年代順に展示されている。
黎明期の魔導装置は、展示棚に収まらないほどの超大型な代物だったらしい。
魔杖がコンピュータに接続され、さらにそのコンピュータが、壁一面の装置に大量のケーブルで繋がっている。かなり大がかりな装置だ。
が、今では、同等かそれ以上の性能を持つ魔杖が、オーケストラの指揮棒ほどのサイズにまで、小型、軽量化している。
そこには、研究者たちの涙ぐましい努力と波乱に満ちた感動の物語があったのだろう。
クラムが無言で一歩間を詰めてくる。それに合わせてココも一歩遠ざかる。
「キミは、ジャスミンのお友達なのかな?」
「うん、多分、そうだね……」
ココは適当に彼と話を合わせながら、距離を保ち続けた。いつ、また、尻尾や獣耳に手を伸ばしてくるか、わかったものではない。
そもそも、見ず知らずの人間に、身体をベタベタと触られてうれしい人などいるのだろうか。そんなこと、考えなくてもわかるはずなのに、獣耳が珍しい、尻尾がもふもふしている、などと安直な理由で、触れようとしてくる輩が多い。
ココは内心うんざりしていた。
だが、クラムは、性懲りもなく友好的にアプローチをしかけてくるのだ。
「仲間外れにされた者どうし、仲良くやろう、ね?
それじゃあ自己紹介から、僕はチャダ・クラム。こう見えて、けっこう偉いポジションの人間なんだよ」
「ココ・ルーブルです。どうも……」
ココは一瞬躊躇ったが、二人は握手を交わした。
「あの、ジャスミンの仕事って……」
「あぁ、そのことか。それに関しては、僕の口から言うのは、ね……。でも、こうして、時折ここを訪ねては、仕事を任されてるんだよ。特別なんだよ、彼女」
「特別……?」
クラムは頷いた。
「ジャスミンは、すでに協会を抜けた人間なんだよ。しかし、その繋がりは今なお健在で、一部からの信頼も絶大。……とはいえ、彼女を嫌悪する人々がいるのも、また事実」
「それは、彼女が羊人だから?」
残念ながら、種族間の差別はこの街にも蔓延っている。それは、あまりにも安直で愚かしい行為だ。だがしかし、いつの時代、どこの街でも起こりうる問題でもある。人が人として存在し続ける限り、解消されることのない永遠の課題だった。
「おっしゃるとおり。魔術師協会は、大多数がエルフで構成されている。エルフにとって魔法は、神秘であり、誇りなんだ。それを、他種族の人間が、我が物顔で操ろうとするのが、一部のエルフには気に入らないんだろうね」
彼は一旦言葉を切り、さらに続けた。
「けど、もうひとつ理由があるんだ。それは、さっきも言ったとおり、彼女が、すでにここを去った人間だってこと」
いまいちピンとこないココのために、彼は詳しく解説してくれた。
「魔法は、エルフの道楽のために編み出されたわけじゃない。突き詰めて言ってしまえば、種の存続、武力の脅威に対する抑止力なんだ」
こちらへ、とクラムに促され、ついていくと、そこには、魔法の誕生とその歴史が壁一面に描かれていた。
「学校の授業でも習ったと思うけど、今から約五十年前、世界で最初に認知された魔法、及びその事件〈最初の火〉だ」
「あの、ごめんなさい。わたし、学校に行ったことなくて……」
おずおずと言ったココに、クラムは少し驚いた様子を見せたが、特に何も聞いてはこなかった。
「ここ、ブラックウォーターは、北方大陸と南方大陸の合流地点にあるんだけど。そこら辺の地理はわかる?」
「う、うん……。なんと、なく……?」
ココの知識は、初等学校一年生が学ぶ知識ですら怪しい。
──そういえば、ずいぶん昔だけど、ママと一緒に世界地図を見たことがあったっけ?
でも、当時の記憶などおぼろげだ。
確か、この街の北には、荒野が広がっていて、さらに北上すると、寒くて広い森が広がっているのだ。そして、森の向こうに国境があって……。
逆に南方には、いまいち何があるのかわからない。温暖な土地が広がっていることくらいしか……。
「本当に大雑把な説明するんなら、この街は敵国から狙われやすい土地というわけなんだ。しかし、ブラックウォーターは都市国家。軍隊を保持していない」
「それが、ジャスミンと何の関係が?」
「まあ、答えを急かないで……。では質問、この街に軍隊は存在しないはずなのに、なぜ、他国は攻めてこないんだと思う?」
「えっ? えっと……」
「他国が、物量にものを言わせて押し寄せれば、この街はきっと、一日と持たずに陥落する。そんな未来は火を見るより明らか。なのに、してこない。不思議でしょう?」
「うーん…………」
ココは必死に考えを絞り出した。
「な、なんか、この街には、うわーーってなるくらいのすごい力があって、他の国は、それにビビって攻撃してこない……とか……?」
「…………まあ、そんなところかな」
──マジかよ!?
ココは自分で答えておきながら、正解したことに驚がくする。
「その、うわーーってなるくらいのすごい力が、魔法なんだよ」
「魔法が……?」
「魔法は国防の要。その力を証明したのが〈最初の火〉と呼ばれる事件。一瞬にして、南方大陸のとある農村を不毛の焦土に変えた恐ろしい力。多くの国家が魔法を脅威と認めた。
魔法はミサイルや爆弾などの現代兵器とは異なり、撃ち落とせないし未然に破壊もできない。そして、いつ解き放たれるかもわからない」
クラムは後ろで手を組んで歩きだす。
「もし仮に、この街に宣戦布告をし、武力で制圧しようとする輩が現れたとしたら、我々は世界各国の首都に滞在している魔術師に指示を飛ばす。『魔法をもって報復せよ』と」
「あぁ……」
彼の言わんとすることがなんとなくわかった気がする。
政治家たちが多く在籍する都市が、突然巨大な業火に包まれる光景が、ココの脳裏に閃いた。
「魔法は抑止力なんだ。僕たちの街は、魔法によって守られている。……いや、僕たちが魔法を守っている」
ココは小首を傾げた。
「ここからが本題だよ。魔法はエルフの神秘と言ったけど、それは誇張でもなんでもないんだ。真に魔法を理解しているのは我々のみ。つまり魔法は、ブラックウォーターに生きるエルフだけの専売特許なんだ。
〈最初の火〉以降、世界中の国々が、魔法の研究に熱を上げ、多額の金を注ぎ込んだ。けど、それらは徒労に終わった。それらしい魔法は扱えるようになっても、〈最初の火〉のような、国防の要になりうる魔法を編み出すには至らなかった」
クラムは、ピタっと足を止め、ココのほうを振り返る。
「でも、世界はすでに魔法に魅入られていた。その強大な力を手に入れんとする、国家の野心が潰えることはなかった。
国家の安全が脅かされている状況では、それに対抗するために、相手と同等の力を保持する必要がある。でも、秘匿は、我々、魔術師協会にのみ継承されている」
「じゃあ、魔術師協会は、その魔法の秘密が他の国に盗まれないように守っている、ってこと?」
「そういうこと。だいぶ話が脱線したね。魔術師の使命は秘匿を守ること。そのリスクが少しでもあれば、看過することはできない。
協会と袂を別ってなお、魔法を操ることは異端なんだ。もし、ジャスミンがエルフであったのなら、同族の情けをかけられたかもしれない。あるいは、羊人であったとしても、協会に所属し続けている限り、同胞として、周囲から厳しい目を向けられることもなかった。でも、彼女はその道を選らばなかった」
つまり、魔術師協会の一部のエルフたちは、ジャスミンが、魔法の機密情報を他国に売り渡すことを警戒しているのだ。
しかしココは、彼女がそんな無粋な真似をする人物には思えなかった。
「そんな不確定な理由で、ジャスミンは嫌われているの?」
クラムは自嘲気味に笑った。
「そう、実にくだらない。でも人間は恐怖を感じる生き物だ。その恐怖が僕たちを生かし、人間足らしめている。
じゃあ、ココちゃんは、見聞きしたことを、誰彼構わず言いふらすような友だちに、自分の秘密を話したいと思うかい?」
ココはぶるぶると首を振った。
「ま、ここまで、もっともらしい言い分を並べておいてなんだけど、本当はもっと単純な理由。嫉妬だよ、嫉妬。ジャスミンはエルフでもないのに、彼らにも勝る魔法の素質がある。それを一部のエルフたちが、屁理屈こねて、彼女を貶して、自分を正当化してるだけ」
ココは、ふと浮かんだ疑問をぶつけた。
「じゃあ、他の国の人がこの回廊を見たら、魔法の力が盗まれちゃうんじゃ!?」
純真無垢なココの反応に、彼は目をぱちくりとさせる。
少しの沈黙のあと、クラムは吹き出した。そして声を立てて笑った。
「これはただの美術館さ。その心配はないよ」
なんだか小馬鹿にされたみたいで、恥ずかしい。ココは頬を膨らませた。
ひとしきり笑ったクラムは、目もとを指先でぬぐった。
「はあ、笑った笑った。……少し話し疲れたね。お茶でも飲まない? 僕が奢るよ」
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