ようこそKAI植物園へ!

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※  俺は歩いていた。どこまでも続く森の中を、一人で懸命にもがきながら。  辺りは暗かった。夜だからだろうか。空には満月が浮かんでいた。月明りに照らされた自然の世界は青く染まり、海底を思わせた。  息苦しく感じるのはそのせいかもしれない。いっそのこと自分が愛したこの場所で、溺れ死んでしまえたならどんなに楽か。 「いや違う」  俺は頭を振った。  自分を変えるんだ。周りのことなど気にするな。自分が何者であるかを決めるのは、他でもない俺自身なんだから。 「そのために俺はここに――」  ふと足を止めた。 「ここに……何しにきたんだっけ?」  腕を組み、首を傾げたその時だった。 『おーい』  声がした。俺は辺りを見渡す。 『おーい』  人影が木の裏に隠れるのが見えた。俺は歩み寄り、呼びかける。 「そこにいるのか?」  誰もいなかった。名も知らない一輪のハート型の花が揺れているだけだった。  『おーい、おーいってば』  今度は真後ろの茂みに誰かが潜む気配。 「今度こそ……」  覗き込んで肩を落とす俺の前で、鋭いトゲに覆われた植物が佇んでいる。 『おーい』  俺はツタを払い、 『おーい』  枝を掻き分け、 『おーい』  木に登ったが、結果は同じだった。人の姿を追い求めた先に待ち受けていたのは、全て物言わぬ植物だった。 『おーい』  俺は頭を抱え、強く目を瞑った。 『おーい』 「頼む、やめてくれ」 『おーい、おーいってば』 「頼むから……」 『おーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーい』 「悪い夢なら覚めてくれ!」  謎の声が止んだ。  俺は瞼を恐るおそる上げた。  目に飛び込んできたのは真っ白な天井だった。自分がベッドに横たわっていることに気がつき、俺は身を起こす。何度か瞬きをしたあと、俺はゆっくりと周りに視線を巡らした。  真四角な机にパイプ椅子。同じ形の本が並べられた本棚。いつの間にか俺は、全てがシンプルに統一された部屋にいた。 「ここはどこだ……?」 「事務所さ。良かった、目が覚めたんだね」  隣に目をやると、黒縁眼鏡をかけた面長の男が柔和な笑みを浮かべていた。 「随分うなされてたから、起こしてあげようと思ってずっと呼びかけてたんだ、でも」  男はバツが悪そうに頭を掻く。 「余計なことしちゃったかな。凄い汗だけど、大丈夫?」  手渡されたタオルを受け取りながら、俺は訊ねた。 「あの、あなたは?」 「ごめん、自己紹介が遅れたね。僕はここの植物園の園長を務める(もり)カイジだよ。改めてよろしくね」  守の言葉に、俺は慌てて頭を下げた。 「す、すみません! まさか園長だったとは! 俺、実は今日バイトの面接でここに」 「やっぱりそっかぁ、君が電話をくれた――えっと」 「森山樹(もりやまいつき)です!」 「ごめんごめん、森山くんね」 「いや、謝らなければいけないのは俺の……じゃなくて、僕の方です。すみません、初日からとんだご迷惑を」  恐縮する俺に、守は片手を振った。 「別に俺で良いよ、そんなに畏まらないで。それに具合が悪かったんでしょ? 尚さら仕方なかったじゃない」  微笑む守に、緊張の糸がほぐれていく。  何て良い人なんだ。こんな人格者が上司なら、部下はさぞかしやりやすいだろうな。 「でも本当にびっくりしたよ、君、温室の入口で倒れてたんだよ」 「え、温室の外ですか? 中でなくて?」 「うん、そうだけど……」  俺は眉根を寄せた。確かに俺は温室の中に入ったはずだ。それなのに、なぜ?  顎に手をやり俯く俺の背中を、守は軽く叩いた。 「まぁ、でも森山くんはラッキーだったよ。たまたま通りかかったうちのスタッフが、君をここまで運んでくれたんだよ」  俺は顔を上げた。 「そうだったんですか……ちょっと待って下さい。まさかそれ、お一人でですか?」  頷く守に、思わず声が大きくなる。 「俺、こう見えて体重80キログラムあるんですよ! そんな俺をどうやって」 「確かに森山くん、ガッシリしてるもんねぇ、でもうちのスタッフはもっと力持ちなんだ」  俺は生唾を飲み込んだ。一体、どんな怪力の持ち主なんだ。やはり植物園の仕事も、タフでなければ務まらないということか。 「森山くんさては今、うちのスタッフのこと、どんな怪物なんだよ! って思った?」  黙り込む俺を見て、守は吹き出した。 「図星なんだ! まぁ、誰かって初めはそう思うよね!」  ひとしきり腹を抱えていたあと、涙を拭きながら守は腰を上げた。 「良かったら今から会いにいく?」  俺は上目遣いに守を見た。 「え、誰にですか?」 「決まってるじゃないか、うちのスタッフだよ。だって」  一呼吸置き、守は付け加える。 「森山くんはこれから、我が植物園の一員になるんだからさ」  俺は目を見開いた。 「え、でも、面接は」 「合格だよ」  すかさず守は口を挟む。 「君は認められた。だから助けられたんだ」  守は俺の目を見据えた。 「さぁ、君の新たな同僚達に会いに行こうか」 ※            
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