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それは、大好きな友達からの贈り物を、落としてしまった少女の話。
「バイバイ」
小学校の帰り道、詩織は四つ角でいづみに別れのあいさつをしました。
「バイバイ」
いづみも手を振って、自宅の方へと歩いていきました。
詩織はしばらく彼女の後姿を見送っていましたが、ひとつ溜息をついて別の道を歩き始めました。一軒家の住宅が立ち並ぶ狭い道路を幾度も曲がって、やっととあるマンションに着きました。
入り口であるホールに足を踏み入れ、持っていたキーを自動ドア脇の装置にかざしました。自動ドアがすっと開いて、詩織はマンションのエントランスに入っていきました。
エレベーターに向かわずに、その先にある各戸の郵便受けに歩いていきました。クリアボタンと暗証番号を入力し、郵便受けに入っていた分譲マンションの売り出しとパチンコ店のチラシを取り出しました。
詩織はランドセルを床に置いて、それらを中に入れました。ランドセルの肩ひもに付いているうさぎのマスコットが小さく揺れました。
詩織はランドセルを背負うと自動ドアに向かい、そのままマンションから出て行きました。来た道を戻って小学校の前を通り過ぎて、反対方角にある駅へと歩いていきました。
駅にたどり着くと、ポケットから定期券を出して、改札口を通過しました。
ホームに向かう通路の脇を電車が通っていきました。詩織は電車に乗るために、駆け足になりました。
ホームは電車に乗り降りする人であふれ返りました。
「すいませーん」
詩織は改札口へと急ぐ人達の中を、かき分けて進んでいきました。
電車の発車を告げるベルが鳴りました。電車を待っていた人達が車内へと消えていきました。
詩織は最後尾の車両にやっと乗り込むことができました。電車のとびらが閉まり、滑らかに電車が走り出しました。
詩織は肩で息をしながら、とびらにランドセルをもたれ掛けて立っていました。次の電車を待っていれば良かったのですが、夕方どうしても見たいテレビ番組があったので、詩織は一生懸命走りました。
詩織は気付いていませんでしたが、人がいなくなった駅のホームに、マスコットがひとつ落ちていました。それは、詩織がランドセルに付けていたうさぎのマスコットでした。
「おはよう」「おはよう」
次の日、詩織が六年二組の教室に入って、友達にあいさつを交わしました。背負っていたランドセルを自分の机の上に置いて、椅子に座りました。ランドセルを開けて、中から教科書やノートを出しました。
詩織は幾分おっとりとした、物静かな感じがする女の子でした。
「詩織ちゃん、今日提出する算数の宿題やってきた?」
詩織の斜め前に座っていた、いづみが振り返って聞いてきました。
「やってきたよ」
「私ね、昨日テレビを見ながら宿題をやったから、解答に全然自信がないんだ。だからさぁ、答え合わせしよう」
いづみが椅子から立ち上がり、算数の学習テキストとえんぴつを持って詩織の所へやってきました。
いづみは男女共に友達が多くて、よくおしゃべりをする活発な女の子でした。
二人は詩織が転校して来てから、通学路が途中まで一緒ということもあり、仲良くしている友達です。
詩織は算数の学習テキストだけ机の上に残し、後は机の中にしまいました。ランドセルの中身が空っぽになるのを確認して、ランドセルのふたを閉じました。
ランドセルを机の横の取っ手に引っ掛けようとしたところ、いづみがぽつりといいました。
「いつも付けているマスコットがないよ。今日はお家に置いてきたのかなぁ」
詩織は彼女がいっている言葉の意味がわかりませんでした。
いづみが詩織のランドセルを指差して再びいいました。
「可愛いうさぎのマスコットが、ランドセルに付いてないよ」
「えっ!」
詩織は大声を上げて、ランドセルを机の上に戻しました。横にねかせて見ました。マスコットが無くなっていました。
「本当だ」
詩織の顔はいっぺんに赤くなり、みるみる真っ青になっていきました。
「どこで落としたんだろう……いつ落としてしまったんだろう」
詩織はほほに手を当ててつぶやきました。大きな瞳は周囲をさまよっていました。
「詩織ちゃん、大丈夫? 顔色が悪いわよ、保健室に行く?」
いづみは心配になってきました。
「どうしよう、わたし」詩織はもう泣きそうでした。「とても大切なものを無くしてしまったの」
「ねぇ落ち着いて、詩織ちゃん。どこで無くしたのか思い出そう」
詩織の耳には、いづみの声は聞こえていませんでした。
この日の授業をどうやって受けたのか、詩織はまったく覚えていませんでした。それ程、詩織にはショックなことでした。
放課後、自分の席に座って落ち込んでいる詩織に、いづみがいいました。
「どの時までうさぎのマスコットが付いていたのか、詩織ちゃんわかる?」
詩織は顔を上げて、そばに立っていた彼女を見ました。
「何も覚えていないの、いつまでマスコットがランドセルに付いていたのか」詩織は首を振りました。「思い出せないの、あまりにもいつものことなので」
「私の記憶では、昨日の帰り道詩織ちゃんと別れるまでは、あのうさぎのマスコットはちゃんとランドセルに付いていたよ」
「どうして、そう思うの」
詩織は半信半疑でいました。
「だって私、あのマスコット好きなんだもの。だから、いつも見ていたんだ」
「そうなんだ」
「うん」いづみはうなずきました。「だから、一緒に探してあげるよ」
「ありがとう」
詩織はいいました。
「元気を出して、もう学校を出よう」
いづみは詩織を促しました。教室には二人しか残っていませんでした。
詩織は気を取り直して、ランドセルを机の上に置きました。机の中にしまっていた教科書やノートを、ランドセルの中に入れました。
いづみは自分の席に戻り、ランドセルを背負って来ました。
「昨日帰った道と同じ所を通って、絶対見つけ出そう」
詩織はうなずいて、椅子から立ち上がりました。
早速、昨日通った道順をたどってみました。いづみと別れた四つ角から、二人は下を見ながらゆっくりと歩いていきました。道路脇の草むらや排水溝の辺りも見ました。
普段あまり通らない車がやって来ては、クラクションを鳴らして二人に警告を与えました。その都度、いづみは詩織をかばって、道路のすみへと移動しました。
詩織が立ち寄ったマンションに着き、エントランスに入って周囲を見回してみました。
「無いなぁ」
詩織は自宅の郵便受けを開け、中に入っていたものを無造作にランドセルに突っ込みました。自動ドアに向かおうとしましたが、足を止めてエレベーター脇にある掲示板を見ました。そこにはゴミ収集のカレンダーとエレベーター点検の案内、空き巣注意のポスターが貼られていました。
「落し物の掲示はなし」
外で待っていたいづみが、マンションから出てきた詩織に聞きました。
「どうだった?」
沈んだ声で詩織が答えました。
「なかった」
「そう、でもまだ全部見終わった訳ではないんでしょ。次行ってみよう」
いづみは元気に声を高めていいました。
「次は来た道をいったん戻って駅に行くの。そして、電車に乗って一駅先で降りて、おばあちゃん家まで歩いていくの」
詩織は行くべき方向を指差しました。
「わかった。駅まで一緒に行くから、そこでお別れしよう」
二人はそのまま小学校まで戻りました。それから、駅に向かう商店街の方へと歩いていきました。
歩道をのろのろと進みながら、いづみが話し掛けてきました。
「詩織ちゃんは、今おばあちゃんの家に住んでいるんだよね」
「うん」
「お父さんやお母さんは、お仕事で海外に行っているんだよね」
「うん」
「詩織ちゃんは、その海外に行ったことってある?」
「あるよ。お父さんが最初単身赴任した際、二泊三日で行ってきたよ」
「いいなぁ、私も海外に行ってみたい。外国語は話せないけどね」いづみは真顔になりました。「詩織ちゃんは、海外で両親と一緒に暮らしてみようとは思わないの?」
「うん」
「会えなくてさびしくない?」
ふと詩織は足を止め、空を見上げました。いづみも足を止めて、詩織の横顔を見つめました。
「さびしいけど、一ヶ月に一回日本へ帰ってきてくれるからいいの。それに何かあったら電話でお話をするし、おばあちゃんもそばにいることだし、大丈夫だよ」
「ごめんね、こんな時に変なこと聞いちゃって」
「ううん、平気。お父さんやお母さんが戻ってきた時、あのマンションで過ごすの。だから、前日とかはがんばって部屋の掃除をするの」
「毎回大掃除をしているみたいで、大変だね」
「でも、うれしいから」
詩織はそういって軽く頭を左右に振って、両親への思いを払うことにしました。
小学校の前を通り過ぎて、二人は目を皿のようにしながら歩道を見回していきました。商店街に入っていき人通りが多くなっている中、二人は歩道の道路側と店側に分かれて、駅まで歩いていきました。
「いろいろな所を探してみたけど、見つからなかったね」
いづみが静かにいいました。
詩織は小さくうなずいて、改札口脇の掲示板に目を向けましたが、それらしい落し物は載っていませんでした。
「おばあちゃんの家までの道のりはまだあるんだから、気を落とさずに。途中で見つかるかもしれないし」
いづみがいいました。
「うん」
「それじゃあ、また明日」
「うん、バイバイ」
二人はお互いに手を振って、改札口の前で別れました。
詩織はがっくりと肩を落としながら、改札口を通ってホームへと歩いていきました。
詩織を見送ったいづみは、うさぎのマスコットが落ちていないか下を見ながら、自宅に帰る道を歩いていきました。
「ただいま」
おばあちゃん家の玄関のドアを開けて、詩織がいいました。靴を脱いで廊下の階段をのぼり掛けましたが、立ち止まっては廊下の奥の方へと歩いていきました。目前のドアを開けると、リビング脇のキッチンにおばあちゃんがいました。
「ただいま」
再び詩織がいいました。
「あら、お帰りなさい。今日は遅かったのねぇ」
夕食の準備をしていたおばあちゃんが、顔を詩織に向けていいました。
「ちょっと探し物をしていたから」
詩織はついうつむいてしまいました。
「そうなの。でも、夕飯までにはまだ時間があるから、自由にしていてね」
「わかった」
詩織は自室に戻ることにして、玄関脇の階段をのぼっていきました。二階の一室が詩織に割り当てられた部屋でした。
部屋に入った詩織は窓際の角にある勉強机に、背負っていたランドセルを置きました。窓を開けて外の涼しい風を受けました。家々の屋根やマンション、夕焼け空をぼんやりと眺めていました。
「見つからなかったなぁ」詩織は溜息をつきました。「どうしたらいいんだろう」
詩織は机の下に収まっていた椅子を引いて腰掛けました。ランドセルのふたを開けて、中から教科書とノート、それから自宅マンションの郵便受けから取ってきたものを机の上に置いていきました。
「あっ!」
詩織は思わず声を上げてしまいました。幾つものチラシに混じって、一枚のハガキがありました。手にしたハガキを凝視していました。震える手でゆっくりとハガキの裏をめくって見ました。
そこには、詩織が引越しをする前に通っていた小学校の、友達が書いた文章がありました。
詩織は文字を目で追っていきました。途中から視界がかすれていき、あふれる涙で文字が見えなくなってしまいました。肩は小刻みに震えていました。
「詩織どうしちゃったんだい、泣いたりして」
気がつけば、一階のキッチンにいたはずのおばあちゃんが、詩織の肩に手を当てて立っていました。詩織はしばらくの間、泣いていました。おばあちゃんは黙ったまま、彼女のそばにいました。
詩織は感情を抑えながら口にしました。
「前に住んでいた町の小学校の友達から、ハガキが届いたの。引越しする日に、その友達からプレゼントをもらったんだけど、私それを無くしてしまったの。だから、何てあやまったらいいのかわからなくて」
「詩織のお友達なんだから、そのままの気持ちを伝えればいいんじゃないかなぁ」
詩織は顔を上げてつぶやきました。
「でも、大切にするからって、私いっていたのに……ランドセルに付けていたうさぎのマスコットを、どこで無くしてしまったのか覚えていないの」
「大丈夫、わかってくれるわよ。だって、詩織の大切なお友達なんだから」おばあちゃんは優しくいってくれました。「お友達に返事を出すのは、すぐでなくてもいいんでしょ。詩織の気持ちが整理できてからでもいいんじゃない」
「……うん」
詩織はわずかにうなずきました。
「さあ、落ち着いたら下へ降りてきてちょうだい。夕食にしましょう」
おばあちゃんはそういうと、詩織の部屋から出て行きました。
泣き止んだ詩織は、明日もうさぎのマスコットを探してみようと思いました。
詩織は小学校へ向かう途中や、自宅のマンションに行く途中、駅の落し物掲示板でうさぎのマスコットを探してみました。しかし、友達からもらったうさぎのマスコットは見つかりませんでした。
詩織はうな垂れて、おばあちゃんの家に戻りました。
子供部屋のベッドに横になりながら、人差し指で円を描くように動かして、その周りをくるくる回っている、ひもがついたマスコットを眺めていました。あまりに勢いよく回したので、うさぎのマスコットは宙を舞って、ジュータンの上に落ちました。
少年はすぐにベッドから起き上がって、部屋の中央に落ちたそれを取りました。ベッドの端に座り込んで、結び直したひもを高々と持って見つめました。
「エスエッチテン・アールワン(SHIORI)。何かのキャラクター名?」
少年はマスコットのタグにあった文字を読みました。少年はこのマスコットを、駅のホームで拾ったのでした。
少年は立ち上がって、窓際に置かれた勉強机に歩いていきました。机の前に引いてあった椅子に腰を下ろしました。
そして、そばにあったゴミ箱にそのうさぎのマスコットを放り投げました。
「おはよう、詩織ちゃん。元気がないけど、大丈夫?」
いづみが椅子に座った彼女にいいました。
「まだ、うさぎのマスコットが見つからないの」
「そうなんだ」いづみは教室の通路にしゃがみ込んで、机に両ひじをつきました。「また一緒に、帰り道探してみる?」
「ううん、もういいの」詩織は首を横に振りました。「マスコットをくれた友達に電話して、謝ろうと思うの。大切にするといっていたものを無くしてしまったことを、ちゃんと話して」
「詩織ちゃんは正直者なんだよね。離れているんだから、黙っていればマスコットを付けていないのかわからないのに」いづみは茶目っ気な表情をしました。「私だったらそうするかなぁ」
「だけど、その友達ともずーっと友達でいたいから」
「詩織ちゃん可愛いから、きっとそのお友達、ボーイフレンドからもらったんだよね。だから、絶対に見つけ出そうとしているんだよね」
いづみは握りこぶしをつくって、力説しました。
「友達だって、ボーイフレンドじゃないわよ」
詩織は控えめにいいました。
いづみは親指を立てていいました。
「隠さなくてもいいよ。それにまだ、あきらめなくてもいいんじゃない? 誰かがゴミ箱に捨てない限り、どこかに落ちているか拾われているよ」いづみはすくっと立ち上がって、両手を腰に当てました。「あんなに可愛いうさぎちゃんなんだもの、きっと誰かが持っているよ」
「それでは、なおさら私の元に戻ってこないじゃない」
「そうだねぇ」いづみは照れたような顔をしました。「とにかく、無くしてから一週間くらいは、がんばって探してみようよ。ねっ」
「ありがとう、励ましてくれて」
詩織は答えました。
「ところで、明日林間学校があるけど、詩織ちゃんは準備できてる?」
「えっ!」詩織は両手を口元に当てて聞きました。「林間学校に行く日は、明日なんだっけ。何の準備をしていくんだっけ?」
いづみは次に人差し指を立てていいました。
「林間学校で川遊びする時に着る水着や寝る時に着るパジャマとか、可愛い格好をしたいの。こういう時でこそ、男子に女子力を見せつけたいじゃない」
「……そうね」詩織は彼女を見ていいました。「楽しみたいね」
「私、今日はこのままお家に帰るから――明日の準備何もしていないから、これから支度をするわ」
「わかった。それじゃあ、バイバイね」
「うんバイバイ、また明日」
詩織は小学校の正門前でいづみと別れました。彼女は無くしたうさぎのマスコットのことで頭が一杯でしたので、明日行く林間学校のことはすっかり忘れていたのでした。
詩織は駅へと向かいました。いつものように定期券を出して改札口を通り過ぎようとしましたが、思い止まって脇にある掲示板に目をやりました。
「!っ」
詩織は声にならない音を上げて、そこに立ちすくんでしまいました。
電車に乗ろうとして先を急ぐ人達が、立ち止まっている彼女を怪訝そうに見ながら通り過ぎて行きました。
詩織は人混みの中をゆっくりと改札口から遠ざかりました。落し物の掲示板の前に立って、それをしばらく見つめました。意を決したように力強い足取りで、駅長室へと歩いていきました。
詩織が見ていた掲示板には“ウサギのぬいぐるみ”と書かれていました。
「おはよう、いづみちゃん」
次の日、小学校の駐車場に集まっていた彼女に、詩織がいいました。
「あっ、おはよう。詩織ちゃん」麦わら帽子を被ったいづみが振り返りました。「今日の詩織ちゃん、何かうれしそう。いいことあったの?」
「それはいづみちゃんのおかげだよ」詩織は笑顔でいいました。「駅の落し物掲示板にこれが書かれていたの」
詩織は背負っていたリュックサックをいづみに向けました。
いづみは瞳を大きく開いて、そちらを見ました。
「よかったね、詩織ちゃん。友達にもらったうさぎのマスコットが戻ってきたんだね」
「うん、ありがとう。いづみちゃんに早く見てもらいたかったから、今日付けてきちゃった」
いづみは詩織のリュックサックの肩ひもに付けられた、うさぎのマスコットを手にしました。それはちょっと汚れていました。
「お帰り、うさぎちゃん。貴方はどんな冒険をしてきたんだい」
いづみはマスコットに話し掛けました。顔を輝かせて、詩織に目を向けました。
「やったね、これでボーイフレンドに謝らなくて済むね」
「だから、ボーイフレンドじゃないって。女友達なのよ」
詩織は苦笑いしました。
「そうなの? 今度は無くさないようにしないとね」
「今まではひもを付けていたんだけど、おばあちゃんに頼んでチェーンに替えてもらったの」
「じゃあ、今度は落とさないね」
「うん」
詩織は大きくうなずきました。
「それでは、みんな集まってくれ。各自荷物を持って、出席番号順に男女それぞれ整列するように」
先生が駐車場に停車していたバスを背にして、生徒達に向かって叫びました。
「詩織ちゃん、並ぼうか」
いづみが地面に置いたバッグを手に取りました。
「うん」
「詩織ちゃんが元気になって、私とってもうれしいよ」
いづみが横を歩きながらいいました。
詩織が列に並んでいた時でした。突然、詩織の背中で声を上げる男子生徒がいました。
詩織は驚いて振り向きました。同じクラスの久保田が詩織を指差していました。詩織は不思議に思い、首をかしげました。
久保田は勉学も運動も中くらいの出来で、大してカッコいいわけでもない、普通の男の子でした。
「それって、柏木さんの?」久保田がいいました。「うさぎの人形、エスエッチテン・アールワン」
「何それっ、何のこと?」
いづみが問い掛けてきました。
「だからさぁ、この人形の名前、タグに書かれたSHIORI」
「それは詩織ちゃんのだよ」
「しおり……柏木、詩織?」
「うん」
詩織は恐々とうなずきました。
「もしかして、駅のホームでそれを落としたとか?」
久保田が声をひそめて彼女に聞いてきました。
「そうかもしれない」
詩織は胸元に手を当てました。
「すぐに返さなくてごめん」久保田は頭を下げました。「隣町に買い物に行くんで駅に着いたら、これがホームに落ちていたんだ」
「それじゃあ、久保田くんが詩織ちゃんのうさぎのマスコットを拾ってくれたわけだ」
いづみが弾んだ声でいいました。
「そうなるのかなぁ」
久保田は頭をかきながらいいました。
「ありがとう、久保田くん。捨てずに、落し物として届けてくれて」
詩織は久保田におじぎをしました。
「いいよ、いいよ」
久保田は両手を振っていいました。
「何かいい感じよねぇ、お二人さん」いづみが二人を交互に見ながらにこりとしました。「今日は面白いことが起きるかもしれないね、久保田くんもそう思う?」
「それはないだろ」
久保田が顔を真っ赤にしながら、慌てふためきました。
「全員そろっているな。それではみんな、バスに乗り込むように。座る場所はホームルームで決めた所に、荷物は座席上の網棚に載せるように」
先生が大声でいいました。
「行こう、詩織ちゃん」
いづみが詩織の手をつないでいいました。
「久保田くん、また後で」
詩織は頭を下げて、バスに向かいました。
残された久保田は力無く吐息をついてから後に続きました。
バスに乗車した詩織は、隣に座ったいづみとおしゃべりをしながら、うさぎのマスコットをくれた友達に、どんな返事を出そうかとあれこれ考えていました。
「笑顔がよく似合うよ」
いづみがふとささやきました。
「ありがとう」
詩織は照れたようにはにかみました。
完
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