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USO for Adults
「おつかれさまでした!」
「おつかれ、あかねちゃん」
「今日はあかりですよ」
「ああ、そうだったね。また、頼むよ」
あかねの今日のプレイも、監督から相手の男優、照明、カメラマンに至るまで満足な仕事をしたと思わしめる働きだったことは、見送る衆の笑顔でわかる。
あかねもその笑顔が見たくてAV女優という仕事をしている。
楽屋に帰ってきたあかねを、マネージャーの藤田が迎えた。
「あかね、おつかれ。明日もお願いね」
「明日はなんだっけ?」
「若妻・あさみ」
「今日が若妻・あかりで、明日がJK・あさみね。我ながら相変わらずの振り幅なこと」
「あなたの演技力の賜物よ」
「で、その次は?」
「2日休んで、その次は女剣士・アヌビスよ」
「なにそれ、聞いてない」
「今初めて言った」
「コスプレもの?」
「異世界ものだって」
「私、そう言うの苦手。演じるの恥ずかしくて途中で笑っちゃう」
「自分の幅を広げるつもりでやりなさい」
「ま、藤田さんを信頼してるから、変なやつじゃないだろうけど」
どんな役でも役になりきり、セックスで満足させる。
響あかねは不世出のAV女優だ。
今日もあかねは仕事を終えると、藤田に家まで送ってもらった。
あかねは、仕事疲れを風呂で癒すことを、何よりの喜びに感じる。
同業者の中には酒に溺れるもの、ホストに溺れるもの、ギャンブルに溺れるもの、いろいろいるが、あかねは風呂に(正確には入浴に)溺れている。
バスソルトや入浴剤を集めるのが趣味で、入浴には並々ならぬ情熱を傾けている。
そんなあかねのことを同業者は、
「しずかちゃんか」
と、某アニメキャラに喩えてからかったり、
「かわいこぶってんじゃねえよ」
と、悪態をついたりする。
風呂に凝るAV女優は、かわいこぶってるのだろうか?
疑問だ。
「AV女優のみんながみんな、てめえのようにやさぐれんてじゃねえぞ、コノヤロウ!」
首を捻りつつ、あかりのビートたけしの物真似が、ひとり浴室に鳴り響く。
心の声がふと漏れた恥ずかしさと、それが意外と大きな声だった驚きと、これまた意外にまんざら似てなくもなかった発見とで、にんまりにへへへ、誰が見ているわけでもないのに、あかねは照れ隠しでにやついてみる。
そんな、至福のバスタイムは、脆くも崩れようとしている。
窓の外に目をやると、こちらを覗く目とぶつかった。
視線を交錯させたまま、固まるあかね。
ここはマンションの12階。
風呂の窓の外側には、ベランダなどの足がかりはない。
覗こうとも覗きようがない。
相手がスパイダーマンか、あるいは、ミッションインポッシブルなスパイではない限り。
「なに覗いてんだ、コノヤロウ!」
あかねは動揺のあまり、ビートたけしなまま、窓の向こうの視線に語りかけた。
「たけしか」
目玉の主が、窓の隙間から軟体動物の如く侵入してきた。
「タコか、コノヤロウ!」
「たけしはもういい」
風呂場に立った目玉の主は、黒衣を頭からすっぽりと被った男だった。
「まあ、風呂につかれ」
まさかの目玉の主からの指令だ。
「そんな格好でいれば、湯冷めする。それに、目のやり場に困る」
この非常事態に気付いてなかったが、あかねは全裸だった。
いかに全裸を人様に晒す仕事をしているとはいえ、不法侵入者に無料で見せるものではない。
あかねは風呂に入り、両手で胸と股間を隠した。
「何の用ですか?」
「俺はお前に大事なことを伝えに来た。お前はこの生涯で嘘をつき過ぎた。あと10回嘘をつくと、お前は、死ぬ」
唐突の余命宣告に、あかねは声すら上げられない。
「あと10回嘘をつくと、お前は全身の穴という穴から血を吹き出し、死ぬ」
「私はもうすぐ死ぬってこと?」
「心配するな。これからなるだけ嘘をつかないように、この10回を大事に大事に使えば、お前は92歳までは生きることができる。ただし、嘘が10回に到達した場合は、この限りではない」
「そんな、なぜ私が」
「お前だけではない。みんな、そうだ。お前だけがハイペースで嘘をつき過ぎた。それだけだ」
「嘘よ、そんなの」
「嘘だと思うなら、思えばいい。ただ、この部屋の下の住人が嘘をあとひとつついたら、死ぬ。全身の穴という穴から血を吹き出して、死ぬ」
「ま、まさか」
「じきにその事実を知った時、お前は現実を受け止めざるを得なくなるだろう。さらばだ」
男は風呂場に立ち込める湯気に溶けるように姿を消した。
突然の出来事に、しばし放心状態のあかね。
ふと我に帰り、風呂からあがると、素早く体をふき、服を着る。
クイックルワイパーの柄を武器として、あの男がこの家に潜んではいないかと、くまなく探したが、男の姿はない。
そうとなれば、あとは酒を体に入れるしかない。
冷蔵庫にあるビールからチューハイからを片っ端から飲み、突然の侵入者と、それから告げられた余命宣告、正しくは「ついていい嘘の残数宣告」だったが、それを忘れようとし、酔い潰れて寝てしまった。
翌朝は案の定、ひどい頭痛に悩まされた。
鏡を見た。
だいぶ浮腫んでいる。
ああ、これは現場で怒られるな、と心配するのも束の間。
マンションの外がだいぶ騒々しいのに、あかねは気づく。
ベランダから下を覗くと、このマンションの入り口に、パトカー3台と救急車が止まっている。
このマンションで事件か?
その時、あかねの脳裏に、昨日の風呂場のあの男の、
「この部屋の下の住人が、あとひとつ嘘をついたら、死ぬ」
という言葉を思い出した。
「まさか」
と口に漏れるが早いか、駆け出すのが早いか、あかねは下の階に向かった。
下の階はまさしく、警察で溢れていて、その隙間に野次馬がその身を捩じ込むようにその様子を見守っていた。
その後ろについたあかねの耳に、野次馬の会話が流れ込んでくる。
「ここの部屋の人、血まみれになって倒れてたそうよ」
「なんで血まみれ?」
「そこなのよ。NHKの集金の人が『受信料払ってください』って来たらね、『うちはNHK見てないよ』と言った途端に、悲鳴が聞こえたらしいわよ。それで集金の人、慌てて管理人さん呼んでドアを開けたら、血まみれだったんですって」
「あなた、よく知ってるわね」
「だって、その集金の人、私なのよ」
「うそ!」
「嘘よ」
その真偽はともかく、あかねは青ざめた。
ふらついた足取りで自分の部屋に帰った。
あの男の言う通りになった。
下の階の男が、血まみれになって死んだ。
全身から血を吹き出したに違いない。
「NHK見てない」というのが、嘘だったのだ。
いや、そんなまさか、こんな非現実なことがあるわけはない。
私が見たのは幻で、たまたま下の階の住人が不審な死を遂げたから、それと結びつけてしまったのだ。
しかし、全身から血を吹き出す死に方ってあるのか。
いやいや、血まみれと言う情報しか私は聞いてない。
本当に全身から血を吹き出したのかどうかも定かではないのだ。
思い込みだ。
いろんな考察が頭を巡るが、考えてもどうしようもない。
仕事に行くしかない。
「どうしたの、あかね、いつも余裕を持って現場に入るのに、今日はギリギリじゃない」
「へへへ、ちょっとね」
マネージャーが驚くのも無理はない。
あかねの頭からあの階下の住人の変死と、昨日の男のことが頭を離れず、電車は乗り遅れるは乗り過ごすは、道は間違えるはで散々だったのだ。
「あなた、昨日、飲み過ぎたでしょ。顔パンパンよ。今日は女子高生の設定なのよ。そんな、酒でむくれた女子高生なんて、いる?」
「飲み過ぎたのは謝ります。ちょっと、いろいろあって」
「何があったの?」
昨日のあの男のことを言うべきだろうか。
いやいや、言っても信じてもらえそうにない。
「それは、おいおい」
「男にフラれたの?」
「そんなんじゃないけど」
「あなたのプライベートまで細かく口出ししないけど、コンディションはちゃんとプロとして整えてよね。おまけに遅刻ギリギリ」
「本当にごめんなさい」
バッドコンディションなのは、マネージャーも一緒に監督や制作にも謝ってくれた。
幸い、そこまで怒られはしなかった。
「あかねちゃんにしては珍しいね」みたいな声がほとんどだった。
そんな寛容な現場の空気に答えたく、あかねも120%の仕事をした。
疲労が半端ないのは、今朝の出来事もあったからだろう。
今夜はとっておきのお風呂にするんだ。
あかねは帰宅途中、奮発して高めの入浴剤を買い求め、家にたどり着いた。
「いざ、お風呂を入れるぞ」と浴室のドアを開けた。
そいつは既にいた。
「またいやがったのか、コノヤロウ!」
「そのたけし口調、なんとかならんのか」
「な、なんか、癖になってしまって」
「人前でやってしまう前に、直した方がいいぞ」
「いや、なんでいるのか、ってこと!」
「今日の嘘の、報告だ」
男はおもむろによバスの蛇口を捻る。
勢いよく流れ落ちる水流。
「何してんの?」
「ドラムロールの代わり」
「なるか。締めろ」
「洒落っ気というものを解さないとは」
ぶつくさ言いながら男は蛇口を閉める。
「昔、アントニオ・ロッカというレスラーが、蛇口を硬く閉め過ぎて、大変なことになった話、聞く?」
「聞かん。早く報告しろ」
「あなたが今日ついた嘘の量は、5。ついていい嘘の量は残り5です」
「そんなに!」
「まず、お仕事中に気持ちよくないのに『気持ちいい』と言ったのが3回」
「いやいや、全部気持ち良かったから」
「体は正直ですから。3回にカウントされています。そして、入浴剤買いに行った時、店員から『彼氏さんと入るんですか?』と聞かれて、『ええ、まあ』と答えたのが1回」
「そんなのも入るの?」
「どんな些細な嘘も入ります。ただ、これをチャラにすることも出来ます」
「どうするの?」
「私を彼氏と認めて、一緒に入浴すれば、本当のことになるので」
「しない。あと1回は?」
「あと1回は」
男はタブレットを取り出し、調べる。
「ああ、肝心なものを忘れてた。今日、女子高生だと偽ったこと」
「ちょっと待って、それは嘘じゃなくて役でしょ」
「でも、偽ってるから」
「それもカウントされるなら、俳優さんとか芸人さんとか、みんな嘘つきでしょ」
「だから、そういう方々はプライベートでは正直に生きてらっしゃいます。正直に殴りたい時殴り、不倫したい時不倫し、クスリをやりたい時クスリをやる。嘘のカウントを増やさないようにね」
「あと5回。どうすれば」
「とりあえず、嘘カウンターがありますから、それを使いますか?」
「カウンター?」
男は懐から腕時計のようなものを取り出し、
「ここに5という数字が書いてある。お前が嘘をつくとひとつずつ減っていく」
「それ、くれるの?」
「3万円」
「金とるのかよ」
「ただで身の安全が守られると思うなよ」
「くそう」
あかねはリビングに引き返し、財布を取って来ると、
「はい、3万円」
「消費税は?」
「はあ?」
と言うが早いか、男はびくんと身じろぎしたかと思うと、目の穴、鼻の穴、耳の穴、口から毛穴から、血を吹き出してばたりと倒れ込んだ。
「ぎゃああああ」
突然の惨劇に、あかねは悲鳴をあげたまま固まるしかない。
「ああ、とうとう嘘をついてしまったか」
どこからか声がしたかと思うと、風呂の蛇口から、黒い物体がぬめり出て、人の形になった。
いま全身から血を吹き出して死んだ男と似ているが、こちらの方が少し細身である。
「驚かせてすまなかった」
驚くどころではない。
あかねはただ目を白黒させるしか手がない。
「私はこの男の上司だ。この男は嘘をついた。だから、全身から血が吹き出して死んだ」
「嘘?」
「このカウンターは税込で3万円なのだ」
「そんな嘘」
「それから、蛇口を閉め過ぎたのはアントニオ・ロッカではない。ダニー・ホッジだ」
「その嘘はどうでもいい」
「ダニー・ホッジが蛇口を締めすぎて大変なことになった話、聞く?」
「聞かないから、早くカウンターを」
あかねは3万円と引き換えにカウンターを貰う。
「ところで、あなた達は何者なの?」
「俗に言う死神という奴と似たカテゴライズだと思っていただいて、差し支えない」
「死神って、命を取ったり取られたりって、あれじゃないの?」
「命を取られる死神というのは聞いたことないが、まあ、概ねそうだ」
「嘘とか関係あったっけ」
「折からの高齢者社会、医療も進んでなかなか人が死ななくなった。そこでだ、『ある一定回数嘘をついたら死ぬ』というオプションをつけることにした」
「そうなの?」
「と言っても、法案が通ったのが5年前。施行されたのが2年前だから、まだ日が浅い」
「法案って、国会に通したの?」
「我ら死神の世界の国会だがな。法に基づいてルールを課さないと、我々も罰を受ける」
「だから、この人、血を吹き出して」
「そうだ、我々も例外ではない。我々も一定量以上の嘘をついたら、死ぬ。今朝の段階でも半信半疑だったと思うが、これでわかっただろう。あと5回嘘をついたら、お前は全身から血を吹き出して死ぬ」
「もう正直に生きるしかないのね」
「そうだ。NOと言える日本人」
「何それ」
「昔、瞬きのやたらと多い作家がいてな、そいつは東京都知事もやったんだけど」
「その話、もういいわ」
「とにかく、嘘さえつかなければ、お前は長生き出来るんだぞ」
男は最初の男の亡骸を抱えて、消えていった。
「正直に生きる、ね」
あとに残されたのは血まみれの浴室。
「掃除してから消えろ!」
その翌日と翌々日はオフだった。
人と交わるから嘘をつく。
ならば、人と交わらないことだ、と、ほぼほぼ家に籠って過ごした。
オフ初日、カウンターは当然、減ってない。
オフ2日目は、この日から公開される映画を見たかったが、我慢した。
いや、今日我慢をしたところで同じなのだが、これからの毎日の過ごし方の模索の段階では、無駄な行為はしたくなかった。
その夜、日付が変わろうとした時、カウンターの数が1減った。
残り4。
「な、なんで!」
「お前は今日、嘘をついた」
いつの間にか、あの細身の男が隣に座っていた。
「普通にいないでよ!」
「お前は映画を見たかったのに、見に行かなかった。自分の気持ちに嘘をついた」
「そんなことでも、減るの?」
「どんな嘘でも減る」
「人狼ゲームでも?」
「あれを流行らしたのは、我々だ」
「やはり」
「嘘です」
「あ、1減った」
「私はまだまだ嘘の回数に余裕があるからな。こんな冗談でも嘘をつける」
「くそう」
「明日の仕事、がんばって」
「嘘の回数、回復する方法、ないの?」
「ない」
男は消えた。
もう、どうすることもできない。
あかねは腹を括った。
正直に生きるしかないのだ。
明日の現場は、私は女剣士・アヌビスを全うして、嘘の多いこの業界から足を洗う。
最後の5回、大切に使わねば。
未練は、ない。
と思った瞬間、1減った。
「自分の本心に嘘ついちゃった」
残り3。
翌朝、あかねは現場入り早々、
「おはようございます。マネージャー、ちょっと話が」
「なに?」
「私、この作品で引退します」
「え、何言ってんの?」
「わ・た・し・こ・の・さ・く・ひ」
「いや、ちゃんと聞こえてるから。突然何言い出すの」
「信じてもらえないかもしれないけど、実は」
と、あかねは一連の騒動をマネージャーに打ち明ける。
「にわかには信じがたい話ね」
「本当なんです。現に私の周りでもう2人死んでます」
「そのカウンター、本当に機能してるの?」
「してますよ」
「ちょっと嘘ついてみて」
「いやですよ。私を殺す気ですか?」
「この仕事辞めるのに、未練はないの?」
「ありません」
カウンターが1減った。
残り2。
「本当に減った」
「ちょっと、何させるんですか!」
「そんなに未練たらたらで、辞めていいの?」
「だって、しょうがないじゃないですか。この仕事を続けると死んじゃうんだから」
「監督に相談してみましょう」
「話は聞かせてもらったぜ」
監督がひょっこり顔を出す。
「わあ!」
「なら、美人マネージャーのあんたが代わりに出るかい?」
「何言ってんですか、ぶち殺しますよ」
「美人な顔して怖いな。なら、台本変えよう。あかねちゃん、もう演技しなくていいよ。気持ちいい時は気持ちいいと、気持ちよくない時は気持ちよくないと、正直に言ってよし」
「それで、作品になるんですか?」
「そういう作品にするんだよ。これはこの業界のエポックメイキング的な作品になるぞ」
AV女優が素の演技をする、というコンセプトの作品は今まであったが、これは嘘をついたらカウンターですぐわかるから、これほどわかりやすくスリリングなものはない。
この作品は大ヒットした。
人気作が出ると、それを模倣した作品が出るのは世の常。
AV業界はこういった作品で溢れることになった。
さて、こういった作品群の祖となったあかねだが、その後はこれらの元祖として女帝として君臨する。
……かと思われたが、面白半分に嘘をつかせて絶命させようと寄ってくる者が後を絶たず、ほとほと困り果てた。
中には、あかねに嘘をつかせるためについた嘘で、そいつ自身が全身から血を噴き出して絶命するなど、散々な目に遭うこともちらほら。
たまりかねたあかねは、全てを投げ出し、宮崎県内の山中の空き家に気ままな自給自足の一人暮らし。
そうしたあかねの暮らしをどこで聞きつけたのか、あかねにスローライフやSDG’sといった取材や、本を書かせようと、マスメディアの連中が宮崎の山中まで踏み入ってくる始末。
せっかく手に入れた静かな暮らしを邪魔されたくないあかねは、宮崎の山中から行方をくらました。
ただ、つい1週間前、鳥取県は大山の付近で、「2」と表示された腕時計をはめた女性が、目撃されたとか、されないとか。
【糸冬】
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