友達じゃなくて、恋人

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友達じゃなくて、恋人

「なぁ、ほんとに何もいらなかったんかな? 今からでもどっかで買ってくるべき? このへん百貨店ある?」 「いや、必要ないよ。そんなに緊張しなくても大丈夫」 「だって最初が肝心だろ……あ、もう最初ではないか」  俺の前にあるのは白い壁の大きな家。こうしてここに立つのは二回目だけど昼間だとさらに豪邸に見えた。隣の広尾が自然な動きで玄関の扉を開けようとしたのを急いで止める。 「うわ、ちょっと広尾くん! なに開けようとしてんの」 「え? だって入るんでしょ?」 「入るけど心の準備があるじゃんか」  俺に腕を掴まれた広尾は少し不思議そうな顔をして動きを止める。たしかにずっと家の前に立っているわけにもいかないし、いい加減決心しなければ。緊張で硬い体から力を抜くように大きく息を吐いた。 「ふぅ……よし」 「できたの? 準備」 「んー、いや、あと五分……」  もう行くか? いや、やっぱりあと五分欲しい、と思った矢先、ガチャっと音が鳴る。何の音かわからないでいるうちに、玄関の扉が開いた。しかし開けたのは隣の広尾ではない。 「あれ、寿くん、帰ったの? あ、お友達?」 「うん、ただいま」 「あぁ、君はこの前の……」 「寿くんを送ってきてくれた子?」 「そう」  ぽかんとしている俺の目の前で会話が流れるように進んでいく。三人分の視線が俺に向けられていた。何を言うか何度も考えてイメトレだって完璧にしてきたのに、すべてが吹き飛んでいる。 「こ、こんにちは! 日高です! 広尾くんにはいつもお世話になってます!」 「こちらこそ寿がいつもお世話になってます」 「この前はありがとうね。わざわざ送ってきてもらって。良いお友達ができたのねって私たちも嬉しくて」 「い、いえ! はい!」  品の良いふたりは広尾の叔父さん夫婦だろう。向けられる優しくて喜びを携えた視線に、体がかあっと熱くなる。俺の存在を受け入れて貰えたことが嬉しくて、同時にくすぐったかった。 「恋人」 「え?」  黙っていた広尾が突然、短く言う。反射的に顔を向ければ俺の肩に手が置かれた。気負った様子もなくいつも通りにもう一度口を開く。 「日高は友達じゃなくて、恋人……になった」 「え、あ、はい、そうです……」 「そうだったのか」 「わぁ、ますます嬉しい」  叔父さんたちの顔は驚きが広がったあと、さっきよりも深い笑みに変わる。広尾に恋人だと紹介してもらえるのは嬉しいけど照れもあった。体中から汗が吹き出してくる。  しかし恋人だと知っても喜んでくれるふたりにすぐに安心し、俺はただヘラヘラと笑った。 「せっかくだからお話ししたかったけど私たち出かけなきゃなの。ごめんね、また来てね、日高くん」 「あ、はい、ありがとうございます!」  ゆっくりしていってね、と軽く頭を下げながらふたりは駅の方へ歩いて行った。俺も何度も会釈し、広尾と一緒に見送る。ふたりの背中がだいぶ離れたところでようやく息を吐いた。 「あー緊張した……」 「これでやっと入れるね」  ニヤッと笑った広尾。見慣れない表情に俺の胸は甘く軋む。こうして知らない広尾を知れるのも恋人の特権なのだろう。  開け放たれたままの扉から、俺はついに足を踏み入れた。  部屋には秒針の音だけが落ちている。カチカチと繰り返される音を聞きながら、首を横に捻った。 「なぁ暑くない? 俺汗くさくなっちゃうんだけど」 「日高の汗なら問題ないよ」 「えー……俺は嫌です」  もう十五分くらいだろうか。ラグの上に座る俺は後ろから広尾に抱きつかれている。ぴったりと密着した体はお互いの熱で暑かった。  広尾の部屋、後ろにはベッド、ふたりきり。嫌でも意識してしまう。一度体を離し落ち着きたかった。 「日高、キスしたい」  耳元で吐き出された声は熱っぽくて、初めて聞くもの。広尾ってこんな声も出すんだと驚く。恋人らしい触れ合いをしたかったのは俺だけではないとわかり、恥ずかしさと嬉しさが満ちた。もぞもぞと動くと広尾は少し腕の力を緩めた。 「……よっしゃ、いつでもどうぞ」 「なにそれ」  体ごと振り向き、向かい合う。広尾とキス。実を言うと俺も期待していた。高鳴る胸をどうにもできないまま、目を閉じる。  少しずつ広尾が近づいてくる気配がした。時間がゆっくりになり、緊張で背筋を伸ばす。 「ん」  ふにっと触れた瞬間、息を止める。痛いくらいの鼓動を感じながら、広尾の服をぎゅっと握った。キスをしていることが信じられなくて薄く目を開ける。しかしすぐに目を開けたことを後悔した。 「っ」  重なったのは熱く甘い視線。強い視線に捕らわれた俺は身動きが取れなくなる。ふにふにと唇を押し付け合いながら、広尾は俺の体を倒していった。
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