一緒に行く?

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一緒に行く?

 授業が終わり、いっきに教室が騒がしくなる。ペンケースとテキストをリュックサックに詰め込み、急いで席を立った。 「じゃ、俺行くわ」 「まじか」 「がんばれー」  驚きと面白がっている声を背に教室を進んでいく。俺が辿り着いたタイミングでちょうど広尾も席を立った。隣に立ち、声が届くよう体を寄せる。 「なぁなぁ、広尾だよな?」  突然話しかけた俺に広尾は怪訝そうな顔を向けた。小さな声で「そうだけど」と言うと、長い足を動かす。教室から出ていく背を慌てて追いかけた。 「俺、教育の日高。オリエンテーションで隣だったんだけど、覚えてる?」 「……」  狭い廊下で二人並びながら移動する。広尾は無言で「しつこい、うるさい」と伝えてくるが、折れてやらない。ここで諦めたら俺の生活は何も変わらない。 「てか昼一緒に食っていい? 広尾はどこで食うの?」 「……次の教室」  はじめてのまともな反応。完全に無視するわけではないことがわかり、希望を抱く。短いながらも話して貰えたことが素直に嬉しかった。 「広尾は教育じゃないよな? 次どこ?」 「……人文の授業」 「人文かー。人文って何やんの?」 「……」  俺は文学部教育学科。同じ文学部でもいくつか学科があって、広尾は人文学科らしい。他の学科のことは何も分からないから、どんなことをやっているのかは興味があった。  しかし広尾はまた口を閉ざす。はっきり拒絶されないのをいいことについていくと、教育の授業では使っていない教室に入った。  ちらほらと人がいて、皆スマホをいじったり、昼飯を食べている。見慣れない教室に、普段は見かけない人たち。俺だけ部外者な気がして少し居心地が悪く、ソワソワする。 「なんか静かだな」 「一緒にいるなら静かにして」 「ウス」  教育学科は男女ともに仲が良く、いつも教室は賑やかだ。しかしここで話しているのは俺と広尾くらいだった。厳密に言えばほぼ俺だけだけど。  座った広尾の隣に荷物を置き、俺も座る。広尾はコンビニのサンドイッチ、俺は鮭おにぎりを取り出し頬張った。  俺も次授業あるし、食べ終わったら移動しないとな、席埋まらないよな。そんなことを考えていると、横から視線を感じる。顔を向けると無表情の広尾がじっと見ていた。 「なに?」 「いや、静かにできるんだなって。ずっと喋ってるのかと思ってた」 「失礼だなー、俺だって我慢くらいできるし」  確かに「静かにして」と言われなければずっと話していただろうけど、これでも空気は読める部類だ。注目を集めたくないであろう広尾が静かな教室で話したくないのは十分察せられた。 「……そう。日高は我慢できる子なんだ」 「完全な子供扱い」  からかうでもない口調、いつもつるんでいる友達とは違うノリに俺は少し困惑する。そんな俺を眺めていた広尾は、ふっ、と息を吐いた。少しだけ表情が柔らかくなり、口角が上がる。 「うわ、こわっ」 「なにが?」  初めて見た広尾の笑み。冷たかった顔に人間らしい温度が生まれる。珍しいものを見た驚きと、あまりの格好良さに俺はおにぎりを落としそうになる。見惚れるってこういうことを言うのだろう。  さっきまでの意気込み虚しく、俺は完全に敗北を悟った。 「おはよー」 「……おはよ」  俺のために空けられていたわけではない席に当然のように座る。リュックサックをあさり、テキスト、ルーズリーフを取り出した。 「広尾この後帰りだっけ。いいなー俺も帰りてー」  広尾につきまとい三週間。被っている授業は一緒に受け、キャンパスでも姿を見つければ側へ寄り話しかけていた。その成果か、最近ではあまり鬱陶しそうにもされないし、ちゃんと挨拶も返ってくる。  敗北を知った俺はもう広尾を落とすなんてことは半ば諦めていた。最近は少しずつ友達になれていることを素直に喜んでいる。俺の独りよがりで広尾にとっては今も迷惑かもしれないけど。 「あれ?」  スマホを見るとメールに気づく。開けば学生にとって待ち望んでいるお知らせが届いていた。 「お、次休講なった! あ、悪いうるさいな」  思わず大きな声を出し、慌てて口を閉じる。チラッと隣を確認したが、怒られることはなかった。安堵し画面をスワイプする。 「……じゃあ駅まで一緒に行く?」 「え?」  聞き間違えだと思った。休講に浮かれていた思考が停止し、隣の端正な顔を凝視する。だってあの広尾が、一緒にって。  初めての広尾からの誘いに、ふつふつと喜びが湧き上がる。口元の緩みを抑えられなかった。 「行く! なんだよ広尾、寂しがり屋かー?」 「……授業始まる」 「はいはい、静かにしまーす」  教室に入ってきた教授がマイクの準備をする。その様子を眺めながら広尾との距離の縮まりを噛み締めた。いつの間にか、きちんと友達になれていたんだな。  九十分後のことを思いソワソワとしながら、まだ少し賑やかな教室で俺はペンを握った。  授業中の廊下は静かだ。他の人が授業を受けているなか、自分は自由なのだと思うと不思議な感じがする。  駅に向かう前にトイレに寄った俺は待たせている広尾を探し、廊下を進んでいた。近くにいると思っていたが見当たらない。何か忘れ物でもしたのだろうか。  だいぶ奥に入り人気がない場所に来た時、何処からか声が聞こえる。「広尾くん」と呼びかける女子の声に反応して視線を動かせば、空き教室に探している人物を見つけた。  また連絡先でも聞かれているのだろうと入口付近で待つ。しかし可愛らしい声が続けた言葉に、俺はすぐ壁沿いに隠れた。
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