一、ハバネラ(恋は野の鳥)

53/53

60人が本棚に入れています
本棚に追加
/354ページ
「え、なんで?」 「僕より頭の悪い人間に弁護されて失敗するのが、どうしても我慢ならないから。だから、あんたも僕より頭が悪いと判断した時点で僕はあんたを拒否するから、そのおつもりで」 「せいぜい気をつけるわね」 「ははは、今のところ、そんなにバカではなさそうだね。僕、気に入っちゃったよ。それにセンセも僕のこと、好きなんだろ? 分かるんだよねえ、僕。ひと目見た瞬間に僕のことを好きになる女の人って、一人や二人じゃないんだから」  またチロリと舌なめずりするその先端が、私には二手に分かれて見えた。  蛇と違って真っ赤で肉厚の男の舌先。 「さっそくひとつ分析できたわ。あなた、そうとうの自惚れ屋ね。今日はここまでにしましょうか、お疲れ様」 「センセ? 今日は僕の顔、褒めてくれてありがとう。自惚れというよりは客観的事実として、僕もこの顔、奇麗だと思っているんだ。あんたは正直だと思うよ。それにあんたも、トシ食っちゃいるがブスではないよな。最近の女の人ってババアんなっても頑張って奇麗にしててえらいよね。あんたも四十路にしちゃなかなか奇麗だし、僕も努力したら抱けるかもしれないなあ。努力して欲しかったらもうちょっと色気のある服着てきなよ。ミニスカートでガーターベルトとか。ああそれか、ノーパンでもいいよ、僕は!」  ギャハハとわざとらしい声を立てて万堂はご自慢の美しい顔を思いきり歪めた。  ついに私はぽかんと口を開け、気の利いた言葉を返すことができなかった。  堀くんは無音の唇をぱくぱくさせて、職員に連行されて退室していく万堂の後頭部を見送るのに忙しく、この日は録音装置を止めるのを忘れたまま鞄にしまって研究室に戻った。
/354ページ

最初のコメントを投稿しよう!

60人が本棚に入れています
本棚に追加