二、私のお母さん

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 回収したばかりの汚物袋を床に叩きつけて怒鳴ってやったら、母は顔を覆って大仰に泣き真似を始めた。 「ああいやだ、いやだ、もういやだ! どうしてあたしがこんな苦しい思いをしなくちゃならないの、おお、おお、おおおん!」  臭いしうるさいので換気は諦めて、私はクソ袋だけ回収して部屋のドアを思い切り音を立てて閉めた。  中から何やら喚き散らす声が聞こえたが、知るもんですか。  私の母親は認知症を患っている。  よく認知症になると人格が崩壊して発症前と打って変わった別人に見えるなどと言う人がいるが、あれに関してはもとからこんなもんだった。  お陰様で私と母はもう何十年も前からずうっと折り合いが、悪い。  もしかしたら私に自我が芽生えた頃からじゃないかと思っている。  私たちは決定的にウマが合わないのだ。  親子なのに。  それとも……親子、だから?  ザブザブと水音を立てて中性洗剤で両手を洗う。  洗っても洗っても、爪の間まであの女の汚物が入り込んでいるような気がするから、細胞のひとつひとつまであの臭いが染みついている気がするから、どんなに泡を立てても満足することがない。  十分あまりも洗い続けてさすがに嫌になったので、私は水道を止めて薄暗い洗面台の鏡を覗き込んだ。  客観的事実として美しいとはとてもではないが言えない中年女が、しみったれた落ち窪んだ目をしてこっちを見ている。
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