二、私のお母さん

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 万堂は私に触れようとはしなかった。  身を乗り出して圧を掛けてくるだけだ。  そもそも彼には腰紐がつけられていて、滅多なことはできないことになっている。  それでも爛々としたその目だけで、ここまで脅して来られるわけか。  殺人者の、目。  私は見たことがある。  確かにこの人は殺しの色の目をしてる。  なんとも言えない、いい色してる。  文字通り釘付けになる。  殺人者の目ってね、意外と濁りのない奇麗なものよ。  近くで見ると呼吸すらおぼつかなくなる。 「あの女たちにしたみたいに、してやろうか、今ここで?」  首筋にまとわりつくように囁く声に、私はようやく言葉を返せた。 「熟女もイケるクチとは、知らなかったわね」  ハン、と鼻で笑って万堂がようやく椅子に座り直した。  物理的に開いた距離の分だけ、私の呼吸が楽になる。 「熟女って普通、色気のあるオバサンに言うもんだろ。まあ色気があろうがなかろうが、僕の趣味じゃないけどね」  ほっとしたのが私だけでないのが、はっきりと分かった。  部屋の空気が一瞬で安堵に変わる。  万堂がくるりと後ろを向いて、堀くんに向かって笑いかけた。 「ねえ、もしかしてまァた引っかかったの? アハハハハ! 僕ってそんなに怖いかなあ? 何度も言っているんだけど! 僕、本当にやってないからね? 東京ロングヘア殺人の犯人は、僕ではありませぇん!」  ギャハハハハ、と場違いな笑い声を上げる万堂を堀くんが眼鏡越しに強く強く、燃え盛るような目を向けていた。
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