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「フェリシア王女殿下。俺は、貴女を愛するつもりはない」
つい先ほど結婚式を挙げた夫のグレイは、初夜を迎えるための部屋で、妻になったばかりのフェリシアに冷たくそう告げた。
グレイは、整った顔を歪め、青い瞳を不快そうに細めて、フェリシアを睨みつけている。
(あっ、そういう感じなのね)
この婚姻は、レンフォード領の若き公爵グレイが、隣国との戦を勝利に導いた報酬として、王家の末姫フェリシアを与えられたことが始まりだった。
(誰がどう見ても政略結婚だし、私も「愛してくれ」とは言わないけど……)
こちらも妻として嫁いだからには、最低限の扱いはしてもらわなければ困る。
グレイを見ると、『もう用はない』とばかりに部屋から出て行こうとしている。
「お待ちください」
フェリシアが呼び止めると、グレイは立ち止まり、迷惑そうに振り返った。
「……何か?」
「何か? ではありません!」
グレイがこの部屋から出ないように、扉の前にフェリシアは立ちはだかる。
「このまま、お部屋から出られては困ります」
「と、いうと?」
「初夜が終わっていません」
グレイの眉間に深いシワがよる。
「私たちは政略結婚です。愛してくれとはいいません。しかし、私は王家と公爵家を繋ぐためにここに参りました」
顔を背けたグレイは、フェリシアを見ようともしない。
「グレイ様」
フェリシアが、グレイに近づこうとすると「俺に近寄るな!」と、大げさに避けられた。
(ちょっと!? 普通の令嬢なら泣いているところよ!?)
しかし、フェリシアはこんなことでは挫けなかった。
なぜなら、フェリシアの父であるライランズ王は好色家で有名で、フェリシアには、それぞれ母親の違う兄が3人、姉が7人もいたからだ。
ライランズ王は、自分の娘に興味はなく、数も多かったので資金をそれほど回さなかった。隣国との戦が始まってからは、膨大な軍資金が王家の財政を圧迫し、王女たちへの資金はさらに削られ質素な生活を強いられた。
王女たちは、生き残るために協力し合ったのでとても仲が良い。そんな姉たちが、末のフェリシアが嫁ぐことを心配して、事前にいろいろ教えてくれたのだ。
――出会った瞬間に恋に落ちて優しくしてくれる男なんて、この世にはいないわ。
――私たちの結婚相手は、たいてい王家との繋がりを求めているの。それさえ理解してれば、愛はなくてもお互いに良いパートナーになることはできるわ。
――こちらが女だからだという理由だけで舐めた態度を取る男はたくさんいるわ。それに、姫だから世間知らずだろうと騙そうとする男もたくさん。最初が肝心よ。ガツンとやりなさい。
――私たちは裕福ではないけれど、それでも王族よ。私たちを害すると、王家への反逆を疑われるわ。だから、夫の顔色をうかがって必要以上に卑屈になる必要はないの。
7人の姉たちは、それぞれ嫁いだあとも連絡を取り合い団結し、たくましく生きている。
(このパターンは、三番目のお姉様が恐れていた『初夜に、いきなり愛さない宣言』だわ。きっとグレイ様には他に愛する女性がいるのね。私を冷遇して、代わりに愛人を連れ込む気なんだわ)
フェリシアとしても、愛人は仕方ないとして、屋敷内での冷遇はなんとしてでも避けたい。
(お腹をすかせるのはもう嫌よ! ……これを使うしかないわね)
フェリシアが右手に握りしめている銀色の縄は、5番目の姉が結婚祝いにくれた、とんでもなく高価な国宝の魔道具だ。5番目の姉が嫁ぐときに、父のライランズ王が気まぐれに姉にくれたらしい。
父は普段から、そういうきまぐれなところがあって、娘たちは全員『王に向いていないから、早く退位すれば良いのに』と思っている。
きまぐれで国宝をもらった5番目の姉の夫は、大金持ちだが浮気癖がひどい男だった。夫が浮気するたびに、姉はこの縄で夫を締め上げて、浮気相手の女に貢いだ額の5倍の金を支払わせているそうだ。
5番目の姉は「巻きあげたお金で始めた投資がとても順調なの。あの夫は、もういらないから、あと一回浮気したら離縁するわ。だからこの縄はフェリシアにあげるわね。フフッ早く浮気してくれないかしら?」と嬉しそうに微笑んでいた。
(確か、この縄で縛ったら、縛った人が外すまで縄が解けないのよね)
ようするに、フェリシアがグレイを縛れば、その縄はフェリシアにしか外せないので、グレイはこちらの言うことを聞くしかない。しかも、縛られた相手は、一時的に縄に力が吸い取られ、抵抗することはもちろん、立っていることすらできなくなるらしい。
「グレイ様」
名前を呼ぶと、グレイは、嫌がるように眉をしかめて半歩あとずさった。
フェリシアは。背後に縄を隠して、いっきにグレイとの距離を縮める。驚いたグレイがビクッと身体を強張らせた瞬間に、縄を取り出し、グレイの両手首に巻きつけた。魔法がかかった縄は、スルスルと蛇のように動き、あっという間にグレイの両手を縛る。
「な!?」
驚くグレイは、呆然と手首に巻きついた縄を見つめた。
(あら? 縄を使ったのに立っているわ)
グレイは、縄を引きちぎろうとしているのか、両腕に力を込めながら「ふんっ!」とか「くっ!」とか言っている。
(も、ものすごく元気だわ。縄の効果は、あとからジワジワと出てくるのかしら?)
そうなる前に、グレイに縄を引きちぎられそうで怖い。
フェリシアは、慌ててグレイに話しかけた。
「グレイ様、その縄は魔道具で、私にしか外せません」
グレイは困惑している。
「しかも、力を吸い取る効果があるので、いくら戦の英雄グレイ様でも、縄を引きちぎることはできませんよ?」
(できないわよね? お願いだから、できないでよ!?)
内心のあせりを気取られないように、フェリシアはまっすぐにグレイを見据えた。
「グレイ様。私のことは愛さなくて結構です。でも、貴族の勤めは果たしてください」
「勤め……とは?」
「もちろん、後継ぎをつくることです。それを放棄されては困ります」
「んなっ!?」
これでもかと見開いたグレイの瞳は、信じられないものを見るようだった。
(そんなに嫌なの? 私、いちおうこれでも、お兄様やお姉様たちに、『フェリシアは可愛いね』って言われて育ってきたのに……)
たくさんの兄や姉たちは、家族の欲目でフェリシアのことが可愛く見えていたようだ。
「グレイ様。そんなにお嫌でしたら、初夜だけでかまいません」
グレイは、怒りで顔を真っ赤に染めて屈辱に震えている。
「……何が目的だ?」
「何がって? ですから、後継ぎを……」
「貴女が、俺にふれられる恐怖に耐えられるとでも!?」
そう叫ぶグレイを、フェリシアはマジマジと見つめた。艶やかな黒髪に、憂いを帯びた青い瞳、そして、男性にしては整い過ぎている美しい顔。
「いえ、別にグレイ様に嫌悪感はありませんけど?」
(あ、グレイ様が私にふれることに、嫌悪があるのかも?)
もしかすると、グレイはとても誠実で『唯一愛した女性以外ふれたくない』とか、そういう話をしているのかもしれない。
(ややこしいわね。もう、今ここで、はっきりさせてしまいましょう!)
グレイがフェリシアを愛していないように、フェリシアだってグレイを愛していない。一週間前にグレイが治める領地を訪れたフェリシアは、着くとグレイへの挨拶もそこそこに、すぐに結婚式の準備をすることになった。そして、つい先ほどの『貴女を愛することはない』宣言だったので、愛するどころかグレイに少しの好感すら湧かない。
「……グレイ様」
「なんだ?」
「愛人、いらっしゃいますよね?」
「は? 愛人などいない」
「あ、すみません、そちらの方が本命でしたね。愛人だなんて失礼なことを言ってしまいました。では、聞き方を変えまして、グレイ様には愛する方がいますよね?」
黙り込んだグレイを見て、フェリシアは『やっぱり愛人がいるのね』と確信する。フェリシアは姉たちの言葉を思い出した。
――最初が肝心よ。ガツンとやりなさい。ガツンと。
「グレイ様。すみませんが、床にお座りください」
「は?」
フェリシアが「縄を解いてほしければ、私の言う通りお座りください。それとも一生そのまま過ごしますか?」と言いながら微笑みかけると、グレイは観念したのか床に座る。
座ったグレイを見下ろすようにフェリシアは仁王立ちした。
「グレイ様。いまから少し説教させていただきます」
驚くグレイをフェリシアは冷たく睨んだ。
「まず、一方的に『愛するつもりはない』宣言って、人としてどうかと思います」
「あ、あれは……」
「口答えは許しておりません」
優しく微笑みかけると、グレイは「うっ」と口を閉じる。
「それに、レディに向かって、『俺に近寄るな!』ってなんですか? 失礼すぎます!」
グレイは項垂れた。
「もう少し穏やかな意見交換はできませんか? 政略結婚とはいえ、お互いに心地良く過ごせるような歩み寄りを……」
フッと鼻で笑ったグレイに「貴女は、ひどく世間知らずなんだな」と吐き捨てるように言われてしまう。
(なんなの、この人……)
その終始不機嫌なグレイの顔面に拳を叩き込んでやりたい。怒りで震えるフェリシアの頭の中に、また姉たちの声が蘇った。
――こちらが女性というだけで舐めた態度を取る男性はたくさんいるわ。
(なるほど。お姉さま方、あのお話は、こういうことですね? 私、今まさに舐められています)
フェリシアがため息をつくと、グレイは悔しそうに歯をかみしめた。女に縄で縛られ、床に座らされお説教されることが、そうとう悔しいようだ。
「確かに私は戦に出たことがなく、貴方から見れば世間知らずでしょう。しかし、こうして夫婦になったからには、仲良くとはいかなくとも、お互いを尊重して……」
またグレイがバカにするようにフッと笑ったので、フェリシアもいい加減話し合うのが面倒になってきた。
「ああっ、もう!」
グレイの襟首をつかみ「犬に噛まれたと思って、我慢しなさい!」と怒鳴りつけると、グレイは顔だけではなく耳や首まで真っ赤に染める。
「う、ウソだ……」
必死にフェリシアから顔を背けるグレイの口から小さな声が漏れた。
「……こ、こんな美人が、俺の妻になるはずがない」
「え? 今、なんて?」
聞き間違いかと思い聞き返すと、グレイは「何も言っていない!」と声を荒げた。
「急に怒鳴らないでください」
「貴女がおかしなことを言うからだ!」
「おかしなこと?」
「そうだ、おかしい! 俺は怪物公爵だぞ!? その呼び名を聞いたことくらいあるだろう?」
フェリシアが「さぁ?」と首をかしげると、グレイに「知らないで嫁いで来たのか!?」と驚かれてしまう。
「グレイ様は、怪物なのですか?」
少しもそうは見えない。怪物と呼ばれるには美しすぎるグレイは自嘲した。
「ああ、そうだ。俺は生まれたときから膨大な力を秘めていた。今となっては制御できているが、子どものころは、力加減を間違えて、物を壊したりしてしまうことも多かった」
フェリシアが「今は制御できているのなら、気にしなくて良いのでは?」と聞くと、グレイは表情を暗くする。
「俺が10歳の時。屋敷に遊びに来ていた女の子に「一緒に遊ぼう」と声をかけ、できるだけ優しく手を引いたら、女の子は火がついたように泣き叫んだ。あとで分かったことだが、俺がふれた箇所の骨が折れていたらしい」
「そ、それは……」
「それ以来、俺は女性には近づかず、決してふれないようにしている」
暗い表情のグレイを見ていると、なんだか聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がしてきた。
「で、でも、グレイ様には、妻の私以外に愛する方がいらっしゃいますよね? お幸せじゃないですかって、その二人を引き裂く私が言うのもなんですが……」
グレイはフェリシアを見つめると「貴女以外に? ……いや、いない」とキッパリ言い切った。その表情はウソをついているようには見えない。
(あれ? 愛人は? 愛人が出てくる展開じゃないの?)
混乱するフェリシアをよそに、グレイは話を続ける。
「俺の力の制御は、感情に左右される。だからっ! 貴女のような方が俺の妻など迷惑だ」
グレイは、心の底から迷惑そうな顔をしている。
「では、どうしてこの婚姻を断らなかったのですか? 貴方から断ってくだされば良かったのに」
グレイが断らなかったから、フェリシアはここにいる。
「それは……子どものころとは違い、力の制御はできているから弟が帰ってくるまでは、取り繕えると思ったのだ。それなのに……」
グレイは、また小声で「こんな可憐な女神が来るなんて聞いていない」とブツブツ言っている。
(うん? 美人? 可憐な女神? さっきから私のことを褒めている? 愛人もいないっていうし、もしかして、この人って……)
フェリシアは、7番目の姉が言っていたことを思い出した。
――世の中には、ツンデレという言葉があるのよ。冷たい言動を取りながら、実はその女性のことを深く愛しているという屈折した感情表現をする男性もいるわ。
(お姉様、これですか? これがツンデレというものですか?)
グレイをツンデレと仮定した場合、今までの言動は、『膨大な力を持っているので、貴女を傷つけたくない。俺に近寄るな!』ということになる。
(それにしても、もう少し言い方があるわよね?)
フェリシアがグレイを見ると、グレイは怒っているのか顔を赤くしてフイッと背けてしまう。
(うーん、もし本当にグレイ様がツンデレなら、怒って赤くなっているのではなく、照れて赤くなっているということかしら?)
判断が難しい。フェリシアはもう少し探ることにした。
「そういえば、先ほど『弟が帰ってくるまで』と言っていましたが、どういう意味ですか?」
黙り込んだグレイに、フェリシアはニッコリと微笑みかけた。
「弟さんが帰ってくるまで、縄で縛られたままでいたいのですか? 兄が縛られているなんて、弟さんもさぞかし驚かれることでしょうね」
「くっ……」
屈辱に顔を歪めたグレイは重い口を開いた。
「……弟は……カインは、今、王都の魔術アカデミーに入学している」
「あら、とても優秀なのですね」
王都の魔術アカデミーは、将来有望な魔術師しか入ることができない。
「今年、卒業なので、卒業と同時に弟に公爵位を譲渡する予定だった」
「譲渡って……」
この国では、例え家族であっても、個人の都合で爵位を譲渡することはできない。職位の譲渡は、爵位の継承者が死亡したときのみ可能だ。
「グレイ様、まさか……」
フェリシアの視線から逃れるようにグレイはうつむいた。
「……死ぬ気はない。ただ、死んだことにして失踪するつもりだった」
「そんなっ!? じゃあ、妻の私はどうなるのですか?」
「それは……弟に……」
グレイは、結婚後フェリシアに手を出さず、形だけの妻として扱い、失踪後、弟の妻にするつもりのようだ。
「弟は、俺のような怪物ではないからな。戦さえ終わってしまえば、化物である俺の価値などない」
グレイの瞳は、全てを諦めているようだった。
「そちらの事情は、分かりました」
「なら、この縄をといてくれ!」
「うーん、少し気になることがあるのですが……グレイ様、この縄とけませんよね?」
「ああ、この縄に縛られると、いつものように力が使えない……」
グレイも気がついたようで、ハッとした表情を浮かべた。
「先ほどもお伝えしましたが、この縄には縛られた相手の力を一時的に吸い取る効果があります」
「と、いうことは、この縄で縛られていると、貴女を傷つけない……?」
呆然とそう呟いたグレイは「いや、別に俺は貴女にふれたいわけではないからな!?」と聞いてもいない言いわけをする。
「問題が解決したので、グレイ様は失踪しなくても良いのでは?」
「そう簡単なことではない。弟も卒業後に公爵を継ぐつもりだろうし……。俺は予定通り出て行くから、貴女は俺の失踪後、弟の妻になってくれ」
「グレイ様は、それで良いのですか?」
グレイは「うっ」と、つまったあと「良いに決まっている!」と啖呵を切った。
「まぁ、グレイ様がそうおっしゃるなら、私はそれでかまいませんが……」
そのとたんに、グレイが目に見えて傷ついたのが分かったが、フェリシアにはどうすることもできない。
「とりあず、グレイ様の縄をほどきますね」
フェリシアがかがんでグレイの縄をほどこうとすると、グレイの長いまつ毛が一本ぬけて目に入りそうになっていることに気がついた。まつ毛が目に入るととても痛い。
「グレイ様、ゆっくりと目をつぶっていただけますか?」
「え?」
「いいから、私の言う通りにしてください」
戸惑いながらも目をつぶったグレイの目元に、フェリシアはそっとふれて抜けたまつ毛をとってあげた。
「はい、もう大丈夫ですよ」
そう言ったのにグレイは目を開けない。
「グレイ様、目を開けてください」
不思議そうに目を開けたグレイに、フェリシアは「抜けたまつ毛が目に入りそうになっていましたよ」と教えてあげる。
そのとたんに、グレイは顔だけではなく、耳や首元まで真っ赤に染めた。
「べ、別に、キスしてもらえるとかっ! お、思ったわけではないからなっ!?」
「え? あ、はい」
フェリシアが『目をつぶって』と言ったので、グレイはキスされると思っていたようだ。
(これまでの会話の流れで、どうして、そんなことが思えるの?)
グレイの縄をほどくと、グレイはフラフラしながら立ち上がった。
「あ、貴女のことは、とても大切にするが、それは弟のためであって、貴女のためではない!」
「えっと、は、はい」
「あと、寝るときに、そんな薄い服は着るな! 目のやりどころにこま……じゃなく、風邪でもひいたらどうするんだ!?」
「あ、いえ、これは公爵家の方が初夜用に準備してくださったもので……」
「なら、俺から注意しておく!」
「は、はい」
気がつけば、夜が明け、東の空が明るくなってきている。
(まぁ、いちおう夜を共にして、理由はどうであれ、現当主のグレイ様が私を大切にしてくれるなら問題ないわよね?)
フェリシアが、部屋の扉から出て行こうとするグレイの背中を見送っていると、扉の前でグレイはピタリと立ち止まった。
(どうしたのかしら?)
長い沈黙のあと、グレイは少しだけ振り返ると「……俺を止めないのか?」と聞いてくる。
「俺は部屋から出て行くぞ!? いいんだな?」
「はい、もう夜が明けましたので……」
用がないことを伝えると、グレイは一瞬だけ泣きそうな顔をしてから部屋から出て行った。
ようやく一人になれたフェリシアがため息をつくと、ドッと疲れが押しよせてくる。
(お姉様……ツンデレって、どう対処すればいいのですか?)
グレイの扱いがややこしすぎて、フェリシアは、7番目の姉に助けを求めるための手紙を送ることを決めた。
*
それからというもの、素直じゃないグレイの不器用な愛情表現が続いている。
フェリシアが庭園を散歩していると、急に現れて「ぐ、偶然だな」と言ってきたり、「ドレスが3着しかないだと? 公爵夫人として自覚が足りない」と怒りながら、大量のドレスやアクセサリーを買ってくれたりした。
ちなみに、ツンデレの扱い方を聞いた7番目の姉からの返事は『可愛いなって思って受け入れるしかないんじゃない?』というまったく使えない内容だった。
(可愛いっていうより、面倒だわ……)
食事中のフェリシアが思わずため息をつくと、なぜか毎回偶然食事の時間が一緒になるグレイが手に持っていたナイフとフォークを置いた。
「大丈夫か? 具合でも悪いのか?」
「いえ……」
青ざめるグレイに「心配しないでください」と伝えると、グレイは「べ、別に貴女を心配などしていない!」とご立腹だ。
「そうですか……。ところでグレイ様、弟のカイン様のご卒業はいつごろでしょうか?」
カシャンと音がしたので見ると、動揺したのかグレイのナイフが床に落ちている。
「……どうして、そんなことを聞く?」
「どうしてって……私の本当の夫になる方に、いつお会いできるのか知りたいだけです」
グレイは乱暴に椅子から立ち上がると、無言で去った。どこかで力任せに壁でも殴ったのか、しばらくすると、ドゴォという轟音が聞こえてくる。
(はぁ……愛するのか、愛さないのか、はっきりしてほしいわ)
その日の夜、グレイが初夜の日以来にフェリシアの部屋を訪れた。
「グレイ様、何かご用でしょうか?」
黙ったままのグレイは、床に座り込むと両手をそろえて掲げた。
「縛ってくれ」
「はぁ?」
グレイの突飛な行動はいつものことだが、今回も何がしたいのかまったく分からない。
フェリシアが戸惑っていると「もう一度、あの縄でしばってくれ」と懇願される。
理解することを諦めたフェリシアが、言われるままにグレイの手首を魔道具の縄で縛ると、グレイに「感謝する」とお礼を言われた。
「少しだけ俺の話を聞いてほしい」
「えっと、もう眠いのですが……」
フェリシアが、小さくあくびをすると「す、少しだけだから!」と粘ってくる。
「まぁ、少しだけなら。手短にお願いしますね?」
「あ、ああ!」
グレイは、これでもかと顔を赤くしながら自分語りを始めた。
「……貴女は気がついていないだろうが、実は……俺は貴女に……ひ、一目惚れだったんだ!」
フェリシアは『知っていましたけど?』という言葉を呑み込んだ。それを言うと話が長くなってしまうかもしれない。
「馬車から降りてきた貴女があまりにも可憐で……初めましてと微笑んだ瞬間、俺の心臓は射貫かれてしまい……」
「なるほど、私の外見がものすごく好みだったのですね。では、おやすみなさい」
「いや、外見だけではない! あの日、俺が貴女にひどいことを言ったにもかかわらず、毅然とした態度をとった貴女に俺は……」
まわりくどいグレイの話を聞いているうちに、フェリシアは睡魔に襲われ、途中から話が聞こえなくなっていく。グレイに手をつかまれ、ようやく目が覚めた。
「だから、俺は……俺は貴女を愛しているんだ!」
『いや、だから、知っていますけど?』という言葉をフェリシアは呑み込む。
「でもグレイ様は、私を弟のカイン様の妻にと」
「そのつもりだったが、これ以上自分の気持ちにウソはつけない! フェリシアは、俺が公爵でなくとも、俺の妻になってくれるか?」
「あ、いえ、それは……」
無理だという前に、グレイは「なら、カインを説得して公爵の地位を諦めてもらう!」と言った。
「それはそれで、凄惨なお家騒動がおこりそうで嫌ですね」
そう言うと、グレイは叱られた子犬のようにシュンと項垂れた。
「フェリシアは、カインのことを愛しているのか?」
「愛しているも何も、カイン様には、会ったこともありませんわ」
「なら!」
「でもかと言って、グレイ様に好意があるわけでは……。あ、毎日美味しいご飯を食べさせていただき、良い暮らしをさせていただいていることは感謝しています」
「感謝は好意だ!」
「そうでしょうか?」
グレイは「そうだ!」と強く言い切った。
「しかし、前にも言いましたが、妻になった女性に向かって『愛するつもりはない』とか言う男性はちょっと……」
人としてどうかと思ってしまう。
「その件は、本当にすまなかったと思っている。これから一生をかけて償わせてほしい」
「うーん……」
フェリシアが『どうしたものかしら?』と悩んでいると、グレイは「貴女には決して不自由をさせないと約束する!」と言ってくれた。
王族なのに、貧乏暮らしが長かったフェリシアは、その言葉だけはグッときた。
「これからも、毎日おいしいご飯を食べさせてくれますか?」
「もちろんだ。毎食、デザートもつけよう」
「うっ」
グレイが甘いものに興味がないらしく、今は、昼食のときにしかデザートはついてこない。
「それなら、まぁ……改めてよろしくお願いいたします。旦那様」
フェリシアがニコリと微笑みかけると、グレイは眉間にシワを寄せて震えた。
「え? どうして怒るのですか?」
慌てて首をふるグレイは「感極まっていた」と教えてくれる。
(はぁ、分かりにくいし、ややこしい旦那様ね。でも……)
顔を真っ赤に染めながら「フェリシア、貴女を見た瞬間から愛している」と囁いたグレイを見て、フェリシアは、姉たちの言葉を思い出していた。
――出会った瞬間に恋に落ちて優しくしてくれる男なんて、この世にいないわ。
(お姉様、私の夫は、この世に存在しないはずの男性だったようです。まぁ優しくする方法は微妙だったけど……)
フェリシアは、今度、姉たちに手紙を書こうと思った。
*
それから数日後、グレイの弟カインから手紙が届いた。
「俺が、カインに公爵を譲渡したくなくなったと手紙を送ったんだ」
「そうなのですね」
この手紙の内容によっては、公爵家はもめてしまうかもしれない。グレイが手紙をフェリシアに手渡した。
「私が読んで良いのですか?」
「ああ、俺はもう読んだから」
手紙にはこう書かれていた。
――結婚してグレイ兄さんの気が変わって良かったよ。前から言っているけど、僕は魔術の研究をしたいから、公爵は継がないよ。
(なるほど、グレイ様は、弟さんのお話もちゃんと聞いていなかったのね)
あきれながら続きを読む。
――でも、少しだけこうなるかもって思ってたんだよね。
たまたま、お見かけしたことがあるんだけど、フェリシア殿下って、ものすごく兄さまの好みに当てはまっているよね? 兄さまって外見は可憐なのに、実は中身はしっかりしているタイプ好きでしょう?
だから、僕、前に陛下に謁見したとき、兄様は何に喜ぶか?って聞かれたから、『兄は、フェリシア王女殿下が、ものすごく好みだと思います』って伝えたんだよねぇ。
僕に感謝してよね! これで僕も安心して魔術の研究に没頭できるよ。
と、書かれてあった。
(私、どこかでカイン様と会ったことがあるのね)
そして、この政略結婚は、カインの策略だったようだ。
(カイン様は、私を養ってくれないわ。養ってくれるのはグレイ様だけ)
そう思うと、急に残念なグレイが素敵に見えてくるので不思議だった。
(それにまぁ、グレイ様のお顔は好きだし、不器用な好意も少しずつだけど、可愛いって思えるようになってきたし、グレイ様も頑張って変わろうとしてくれているものね!)
手紙を読み終えたフェリシアは、グレイに向き直った。
「グレイ様。私たち、もう一度、初めからやり直しましょう」
「ああ」
深くうなずいたグレイに、フェリシアは微笑みかけた。
「改めまして、貴方の妻のフェリシアです」
『妻』という言葉が効いたのかグレイの頬は赤く染まる。
「どうか末永く、おいしいご飯を食べさせてくださいね」
おわり
***
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
このお話は、2023/09/7発売予定の『令嬢たちの幸せな結婚アンソロジーコミック (バンブーコミックス/竹書房)』にて、コミカライズしていただけることになりました!
コミカライズ版もどうぞよろしくお願いいたします♪
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